挿話5 トニー
あれから若様は「まだクレア姉様に会いに行ったら駄目?」と言いつつも、真面目に宮廷に通った。
お屋敷に帰ってからは、クレア様の婚約者に関しての調査報告をもとに、どうすれば速やかな婚約解消へと導けるのか、旦那様に教えを請うた。
そんな中、ヘンリー様からクレア様と婚約者が夜会に出かけるという情報を得た若様は、旦那様に届いていた招待状を手に会場に向かった。
「あの方とお付き合いのある女性のひとりが出席しているようです」
広間の片隅の柱の陰で、私は若様にそう報告した。
しかし、若様は聞いているのかいないのか、ダンスをしているクレア様を惚れぼれ見つめる一方、婚約者には呪うような視線を向けていた。
「クレア姉様、今夜も綺麗。僕だってクレア姉様とダンスしたいのに、あいつばっかりベタベタくっついて」
「あの方がクレア様と踊れるのも今夜が最後ですよ」
「あ、そっか。ダンスどころか、きっともう会えないね」
若様はクククと笑った。まったく、センティア校ではそんな笑い方まで教えてくれるんですね。
最初にダンスを踊ればすぐにクレア様と婚約者は別行動になると聞いていたのだが、この夜はなかなか離れる様子がなかった。婚約者が何か勘付いたのか、警戒しているようだ。
「早くクレア姉様から離れろ」
若様が再び焦れてきた。
いくら柱の陰にいようとも若様の存在は目立つので、周囲では令嬢方が遠巻きにこちらを窺っていた。さらに、令嬢方が集まっているせいで若い男性方も寄ってきそうだ。
このまま長時間ここにいるのは無理だと考えはじめた時、ようやく婚約者がクレア様から離れた。
婚約者はしばらくは広間で知り合いらしき方々と話したりしていたが、やがて広間を出て行った。若様と私はその後を追った。
若様が自らこんなことをする必要はまったくないのだが、クレア様が婚約破棄する瞬間を見たいようだ。
婚約者は休憩用の客間に入った。
若様と私が近くに隠れて待っていると、すぐに女性がひとりやって来て同じ部屋に入っていった。報告によると某子爵の未亡人で私と同じ歳らしいのだが、童顔なのか若く見えた。
扉の前に立つと中から話し声が聞こえた。それが怪しい雰囲気へと変わるのに時間はかからなかった。
「クレア姉様を連れて来るから、トニーはしっかり見張っててね」
そう言って若様は会場へと駆けていった。
私が急いで馬車に乗り込むと、先に戻っていた若様はすっかり悄げていたが、冷たい水で濡らしたタオルを頬に当てると体がビクッと跳ねた。
「しっかり冷やさないと腫れますから、我慢してください」
「うん」
若様は小さく頷いた。
「僕、いよいよだと思ったら嬉しくて、つい紳士らしくするの忘れちゃって。クレア姉様が怒るの当たり前だよね」
私にはクレア様は怒っているというより哀しんでいるように見えたのだが、まあ実際どうだったのかは本人にしかわからない。ただ、確実に言えるのは。
「いつも淑女らしく振る舞うクレア様が人前で若様を平手打ちとは、思いきりましたね。よっぽど若様のことを大事に思っているのでしょう」
「僕が大事?」
「クレア様はあの時、ご自身より若様の評判を守ったわけですから。何人もの方に見られていましたし、今後クレア様に関してどんな噂が立ってもおかしくありません」
あそこにいたのは若様に好意を持つ令嬢方が多かっただろうから、かなり悪意のある噂になりかねない。
「それなら、今度は僕がクレア姉様を守る」
若様が力強く宣言した。
「どちらにせよ、若様がクレア様と婚約すれば守ることに繋がると思いますが」
「婚約? 僕はすぐに結婚するつもりなんだけど」
「……さすがにそれは無理かと」
「そうなの? 何で?」
「結婚には色々と準備が必要ですから。それに、クレア様は若様との結婚をまだ了承されてませんよ」
「そうだね。明日はクレア姉様に会いに行っていい?」
「明日は行くべきだと思います」
「早く今日のこと謝らなきゃ。クレア姉様、許してくれるかな」
若様は不安そうに呟いた。




