Day.5-17 此岸
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ロメール帝国最強の女剣士イリヤ・ブラッド・レーヴァティンと、この冴えない中年男子が“同時に”“同じ距離を”踏み込んだ。
あり得ないことだが、俺はこの現象に何ら違和感を抱かない。アルコール・コーリングの影響で聴覚以外の感覚器すら、限界以上の鋭敏さを獲得していた。そこへジュークによる肉体強化のブーストが乗る。
結果、俺はイリヤさんの見ている世界を、等しく見ていた。
その速度を、その一切の無駄の無い躍動を、その剣筋も、その眼差しも。
イリヤさんと並び、その横顔を見るのは初めてではない。けれど、戦いの最中、この女剣士が一体どういう顔をしているのか、この距離で自分の目で確かめるのはこれが初めてだ。
怒りが、あった。
身勝手な理由で他人の命を弄び陵辱した者に対する、燃える怒りが。
デストリアと戦った時もそうだったはずだ。この人は、こんな顔で、チャベタ村長と対峙していたのだろう。
しかし怒りだけではなかった。イリヤさんを突き動かしているものはもっと、複雑で、豊かで、そして大きな想いだった。
怒りの中に憐れみや悲しみを垣間見た。かつて、間違いなく同じ目線に立っていたのであろう同僚の成れの果て、それを手にかけようとする時、イリヤさんの胸に去来するものは何か。
そして如何なる想いを抱こうとも、それでも剣を振るう訳とは。
俺は理由を既に聞いている。
あまりにも多くの悲劇を見てきたと。
けれど立ち止まらない。
喜びも悲しみもあらゆる感情を受け入れて、それでも前へ進むと。
イリヤさんはそう言っていた。
感情を摩耗させることも、封印することもない。
ただあるがままに、引き受けながら、戦う。
その様を、強いと俺は思った。
あの強さが俺の心に火を灯している。
イリヤさんと出会わなければ、俺はこの世界でここまで頑張れていただろうか。いやきっと、元の俺のままに、自堕落に過ごしていたはずだ。
大した役には立たないと思っていた。酔えば酔うほど地獄耳、など。精々が他人のひそひそ話でも盗み聞き出来る程度だろうと。
だが実際には、俺の予想とは全く違った。
俺はこの、音を掌握し全てを認識するスキルを使って、ここまで来れた。
あんな強い人の、隣にまで。
偶然の出会いと、たまたま手にしたスキルが、今の俺の武器だ。
充分だ。これ以上は、望めないだろ?
俺くらいの人間がこんなに戦えてるんだから、これはもう奇跡だろ。
イリヤさんの踏み込みに、俺の踏み込みが同期する。
寄生魔獣パラディフェノンの“支配株”であるラガドまで、一直線。立ち塞がるのは、所詮は雑魚のみ。
「突っ込むぞ!」
凛々しい声。もちろん、俺もそのつもりでしたよ。
矢を放つ。一発。狙ったのは先頭で呑気に大口開けて触手を出そうとしていた寄生兵士。喉の奥深く、鋭く突き刺さり恐慌状態へと陥る。
パラディフェノンは触手へ攻撃を受けると、まず触手自体を収縮させる。これは奴らの生得的な特徴だと考えられる。
次に、ダメージに対して大きく体を振って暴れまわる。恐らく、宿主の体を遠くへ運ぼうとしているのだ。逃避反応である。それがうまく機能しないのは、城内に連中が密集しすぎているから。
暴れれば当然、仲間とぶつかることになる。襲撃しようとしている一団に、これで乱れが生じる。
「どけぇ!!」
左足を深く踏み込み、体を捻る。右足を持ち上げながら、体を半身へ。肉体強化により生じた尋常ならざる筋力が生む爆発的回転エネルギーが、右足の一点に乗る。打ち込むのは足底、サイドキックだ。本来は距離を取るだけの蹴り。相手の前進をストップさせるだけの攻撃。
だが今は、何もかもが、違う!
ドコオッ!!
寄生兵士の腹筋を一撃で打ち折り、肋骨まで粉々に砕きながら蹴りの威力は突き抜けた。数体の兵士をまとめて、蹴りの一撃で文字通り、蹴散らす。
横手から顔面へ触手。わかっている。大気が動く、その音を拾っている。つぶさに、高精細に。
触手が俺の頬に触れる刹那、俺は首を振った。ボクシングで言うところの、スリッピング・アウェー。攻撃のベクトルと同じ方向へ顔を回すことで衝撃を緩和する高等テクニック。
そこから、右手で自分の背中でも掻くようにして触手を握り、肩に担ぐ。前方へ体を丸め、右手に握った触手を強く引く。典型的な背負い投げだ。
引く力の強さに触手が根本から千切れて粘液を撒き散らしつつ寄生兵士が悶え、たたらを踏んだ。
手近な兵士に、千切れたそれを無理矢理叩き込む。
更に深く体を沈ませて水面蹴り。
周辺の敵の足下を薙刀のように刈り転倒させる。
イリヤさんの剣は鋭い軌跡を描いて空間を通過、触手を、首を、肉を血を、敵を物言わぬ肉塊に変えてゆく。
先の背負い投げの際、背中に背負っていたや矢筒から残りの矢が全て床へ溢れ落ちていた。空の矢筒には用はない。兵士の顔面へぶつけ、迫る触手を2本まとめて掴んでキスさせる。気色の悪いコピーが絡まって互いに互いを、殺す。
止まらない。アルコール・コーリングによる超・聴覚は近付いてくるもの、触れてくるもの、何者をも逃がさない。
音は、濁流だ。夾雑物だ。
そのままでは処理能力が追い付かない。だか使い続けることで、高め続けることで、俺のスキルは無意識に俺に正解を囁いてくれるようになった。
この乱戦の最中、俺には対処すべき事柄が全てわかる。それらの優先順位がわかる。間違えない。
微妙スキルだとガッカリしていたスキルはしかし、突き詰めてみればチートスキルだった。
俺の周囲に乱れ飛ぶ、寄生兵士の群れ。誰一人、俺を傷つけられない。
聴覚は強烈に他の感覚器を引っ張り上げ、常人には不可能な境地へ。
肉体が軽い。どこまでも、柔らかく、かつ激しく。舞踏のように。
俺が掻き乱し、イリヤさんが斬り捨てる。無言のやり取り、無言の了解。
きりもみ回転をしながら脳天から、兵士が床に叩き付けられ脳漿を撒き散らした。気が付いてみればそれが最後だった。
俺とイリヤさんの前にはもう何者も、残ってはいなかった。
ヴァルト・ラガドだけが、そこにいた。
「おい、いつの間にそんなに動けるようになったんだ?」
「ジュークの肉体強化ですよ。
凄まじいものですね、これ」
「あぁ、あれを受けたのか」
「え?何か不味かったですか?」
「いや、効いている内はいいが、あの魔術は効果が切れた途端に全身が重くなるぞ」
「げっ!?そうなんですか!?」
今の全能感は長くは続かないのか。まぁ当たり前のことか。この自由な感覚に慣れてしまうと、いつもの体の動きが重く感じるのは仕方ない。
が、問題はあるまい。
このまま、決めてしまえばいいのだから。
「バカな……このような事が」
ラガドが、後退りながら呟いた。そもそも、こんな十把一絡げの雑兵で勝てるつもりだったとは。
悠長に眺めている暇があったのなら、一目散に逃げるべきだったんだ。
もう、それも叶わない。
「外はどうだ?」
イリヤさんが訊いてくる。俺もちょうど確認していたところだ。
「だいたい片付いているようですよ」
ジュークの魔術はもとより、やはりシトリの参戦が大きい。
立ち込めていた絶望の黒雲は、急速に晴れつつある。
「何だ、呆気ないものだな」
「イリヤさん戦いっぱなしだったでしょ?
もうそろそろ疲れてません?」
「気を使ってくれるのか?
御生憎様、まだあと一体くらいは斬りたい気分だ」
剣の切っ先は、ラガドへと真っ直ぐ向けられる。
「ラガド……お前とは好誼の仲だ。
その私に斬られることを、光栄に思え」
「イリヤ……なぜわからぬ!
帝国は脅威に晒されているのだ!
どのような手を使ってでも、誰かが守らねばならない!」
「あぁ、だがその役目はお前じゃない」
言いながら、一歩、イリヤさんは距離を詰めた。




