Day.5-12 吹き荒れる、殺意の暴風
今回のパートはバトル回ですが、バトルの書き方なんていう偉そうなエッセイを連載している作者がどのような戦闘シーンを書くのか、それが端的に示されていると思います。
初めての方もとりあえずここだけさらっと読んでもらえると、僕のバトルシーンに対する情熱を感じていただけるのではないでしょうか。
どうかひとつ、深呼吸をしてから、本文をお読みください。
呼吸をするのも忘れるようなシーンの連続なので。
3:40
廊下は静かだった。
だがそれは単なる静寂とは異なる趣きを持った静けさ。
嵐の前の静けさ、というやつである。
イリヤが足を止め前方の闇を睨む。
2メートルを超そうかという巨体が道を塞いでいる。
全身を特注のプレートアーマーに包み、穂先が天井まで届こうかという長さの槍斧を持っている。
イリヤの気配を察し、巨兵は振り向いた。
兜の奥から3本の触手が伸び縮みしている。顔は窺えない。しかしこの巨体、この武器、この威圧感……イリヤにはすぐに誰かわかった。
「処刑人エクス……」
かつて、イリヤと共にロメール帝国軍遊撃部隊の一翼を担った男。
しかし抑えきれぬ殺戮衝動が原因で、今や地下牢の罪人を処刑するだけの日々を送っているはずの堕ちた英雄が今、イリヤの目の前にいた。
「お前も、寄生されていたのか」
エクスが健在であれば、こんな状況下では嬉々として暴虐の限りを尽くしただろう。
あまりにも動きが見えないところからして、既に寄生されているのではと内心、考えていた。
杞憂であってくれと願ってはいたが、こうして残酷な現実を見せつけられると認めざるを得ない。
戦わねばならないのだ、と。
イリヤがロメール帝国軍へ入隊する以前は、最強の名を欲しいままにしていた男。
その男が、異世界転移者たちのもとへ辿り着く為の最後の試練となるか。
あるいはエクスも転移者たちのところへ行こうとしていたのかもしれない。
こいつならば、たとえ転移者といえども油断はできない。スキルを発動するより前に、あの巨大なハルバードに圧殺されてしまうことも十二分に考えられる。
一歩、処刑人は踏み出した。それに伴い廊下に地鳴りのような振動が響く。
舞い上がった細かな埃。仄暗い廊下に投げかけられたろうそくの明かりの中で粒子がきらめく。
穂先を引き摺りながら、エクスが近づいてくる。
鉄のハルバードが石造りの床面と摩擦を起こしてガリガリという不快な音を生じる。
「一応警告しておくが……それ以上近づいたらお前を斬る」
何ら反応はない。
否……触手の動きは盛んになった。獲物を、発見したからだろう。
「ふん、やるしかないようだな」
竜胆玉鋼の剣を下段に構える。
ハルバードが動くより先に、兜とアーマーの隙間を、剥き出しの頸部を、斬り飛ばす。
シュオッ
触手たちの擦れる音。
3つの触手がうねり絡まりながら、突っ込んでくる。
斧よりも先に、そちらで来たか!
しかし想定済み。
得物のリーチに入る前に遠距離用の武器で先制攻撃を仕掛けるのは定石、イリヤほどの剣士に予測できない動きではない。
身を沈め、頭上に回避。
と同時にクラウチングスタートの体勢から床を強く踏んで駆ける。
触手の攻撃で気を付けなくてはならないのは先端部のみ。
やり過ごしてしまえば問題はない。
一気に距離を詰める。
エクスがハルバードを頭上高く振り上げた。しかし遅い。それを振り下ろすまでの間に、イリヤの剣は予定していたコースを通過し終えるだろう。
ドゴオッ!
「!?」
しかし攻撃は、中断されることになる。
天井を、エクスのハルバードの斧部分が叩き、破壊したからだ。
穂先が天井につくほどの得物を、両腕で持って振り上げれば、当然天井に当たる。始めからエクスの狙いは、これだった。
降り注ぐ瓦礫がイリヤに迫る。咄嗟のバックステップ、いや、そうではない、より、前へ!!
剣を振らず、エクスの巨体の側面を。戦闘を避け、転移者との合流を優先する。結果的にはその方が、後のエクスとのやり取りが楽になるはず。
が、それすら処刑人は許可しない。
振り下ろされたハルバードが床を激しく打ち、砕いた!
イリヤの足元に亀裂が生じて、床が抜ける!
「くうっ!!」
エクスと共にイリヤは階下へ落下。瓦礫に足を取られながらも何とか着地、だが剣は振れぬ。
恐るべき威力の斧の横薙ぎ。
転がって回避するイリヤの頭上を死の旋風が駆け抜ける。壁を打ち砕き、それは止まった。
距離を取る。
一発の重さはエクスの方が上。手数かあるいは、研ぎ澄ました一撃で決めなくてはならない。
エクスはただ無意味に暴れているのではない。破壊され粉々になった石片はあたり一面に散らばって不規則に配置されたブービートラップと化している。イリヤが誤って踏めばバランスを崩すだろう。
エクスは悠々と瓦礫を踏み抜いて進んでくる。質量の塊のような男だ。
ハルバードを小脇に構え、穂先による突き。
単発ではイリヤには当たらない。
身を翻して回避、その終わり際へ触手!
イリヤは止まらない。
跳んで壁を蹴り、更に槍の柄を踏みつけて前へ、触手を避けながらエクスへ急速に接近しようと。
エクスはイリヤが踏んだ瞬間にハルバードを引き戻す。
体勢を崩したイリヤの足が柄から離れる。
違う!
宙返りを決めながらエクスの頭上へ。
襲い来る触手を剣で切断し、肉体が交差する刹那、エクスの頭部を左足で跳ね上げ、そのまま背後へと着地。
天井が抜けて2階層分の高さがそこに生じたからこそ可能になった立体的な反撃。
咄嗟の機転だ。
顔面をのけぞらせたエクスに格好の隙。
振り向きざまのイリヤの突きが背中側から、露出したエクスの延髄へと吸い込まれ……
直前に、ハルバードの柄の尻部分が棒術のようにイリヤにまっすぐ迫る。
先ほどのハルバードを引き戻す動きをそのままに、背後への突きへと力のベクトルを変えたのだ。
突きを中断し剣で受ける。
しかし重い衝撃、バランスが崩れる。
エクスは既にハルバードから手を放し、体勢を低くしながら振り向こうとしている。
左拳が床に散らばる瓦礫を掴み取る。
アンダースローによる投擲。
更に触手。
飛礫を剣で捌いている余裕はない。
目も閉じない。
飛来物が体を、顔を傷つけるのに一切構わずイリヤは痺れる腕を無理やり奮起させ袈裟斬り。
沈み込む体の動きを追うように竜胆玉鋼の剣が空間を通過、触手を断つ。
エクスはハルバードを前後逆に持ち替え、尻部分を用いて棒術のように素早く突きの連打。
イリヤをどんどん後ろへと追い詰めていく。
このまま下がれば行き止まり、右手側に階段がある。
しかしイリヤに逃げるという選択肢はない。
自分が逃げれば、処刑人は転移者たちを殺しに行くだろう。
せめて迫り来る危機を彼らに伝えることが出来れば……。
この一瞬たりとも気が抜けないやり取りの最中、そんな時間は見いだせない。
狂気に支配されているとはいえ、処刑人エクスの技量は本物だ。
肉体に搭載している筋肉量も圧倒的に違うし、得物のリーチもまた異なる。
柔よく剛を制す、というようなご都合主義はエクスの前には存在しない。
問答無用、圧倒的な暴威の前に、小手先の技術など灰燼に帰すだけだ。
下から掬い上げる一撃、イリヤは寸前でスウェーバック。
エクスの兜の中から新たに生えた触手が2本、まっすぐ突っ込んでくる。
イリヤの常人離れした動体視力はこの時、エクスがハルバードから両手を離したのを見逃さない。
右足、踵で地を踏み締め体幹をねじって半身になる。
その力動のまま剣を三日月のような軌道で閃かせ2本まとめて切断。
それだけではない。
跳ね上げた左足、その爪先がしなるムチのようにエクスの首にめり込んだ。
トーキック、硬いブーツを履いているからこそ可能な、蹴りの威力をより一点へと集約させた蹴り。
グギッ、と骨がダメージを負う音が鳴った。爪先に感じる確かな感触。
しかし、エクスは停止しない。
あまりにも太い首が、本来なら致命傷であるはずの攻撃をも受け切る。
エクスは、ハルバードを再び正常の向きで構え、熟練の漁師が水中で魚へ銛を突き降ろすように、斜め上からイリヤを刺し貫かんとする。
蹴り足は未だ完全に引き戻されてはいない。
跳んでの回避は不可能。
ならば。
棒高跳びの選手が頂点付近で大きく体を弓なりにさせるように、イリヤはのけぞって突きをかわす。
が、ハルバードの形状は特殊、穂先には槍、斧、そして突起の3つの武器が揃う。故に多彩、故に回避は、困難。
イリヤの腹を引き裂くようにピックが通過、金色の胴当てを削り取り、そこに恐ろしい爪痕が残る。
生易しい防具ならば意にも介さず断ち割ってしまったことだろう。
イリヤは更に身をねじり、倒立からの逆さ蹴りでエクスの兜を叩く。
床に突き刺さった穂先をエクスが抜くより前に死の暴風圏より離脱。
初擊からここまでで経過した時間はせいぜい数十秒。
この間に無数の死が、両者の間を吹き抜けた。
イリヤの胴当ては激しく損傷し亀裂が斜めに走っている。
硬い防具はその分、ヒビが入った際にはより破損しやすくなる。
恐らく次の衝撃には、耐えられないだろう。
エクスが引き抜いたハルバードを中段に構えた。
兜の奥から触手が次々と湧き出てくる。
その本数、今や10本以上。
小さく短く、イリヤは息を吐き、新しい空気を肺に吸い込んだ。
血なまぐさい空気だ。戦場に漂う空気。
イリヤの顔に、絶望の色はない。
煮え滾る意志、それに応えるように唇の端が持ち上がる。
獰猛な笑みだ。
楽しいから笑っているのではない。
笑みとは本来、捕食者が餌を前にした時に浮かべる、攻撃の意思表示。
喰らってやる━━━━
女剣士は、己が信じる正義のため、殺意を振るう獣となる。
3:42




