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Day.5-0 ヴァルト・ラガド

 ヴァルト・ラガド、ロメール帝国軍三大将の一人。

 猜疑心と虚栄心の塊のようなこの男はこれまでの人生の中で数多の人間を、時に策謀、時に実力行使によって蹴落として今の地位に就いた。

 恨まれることには、慣れていた。どんな手を使ってでも帝国の頂点へ上り詰めること、それこそが彼にとっての本懐であった。


 自室の安楽椅子に深く腰掛け、葉巻を吸っている。

 酒を飲もうと思ってグラスに注いだのだが、結局唇を湿らせただけでそれから手をつけていない。

 このところ水分を摂取するのを控えている。体が、疼いてくるからだ。


 自分の肉体が徐々に変化しつつあるのを感じる。

 時折、突き上げてくる衝動に叫び出しそうになる。


 これが……“支配株”の影響か。

 ラガドは窓の外を降りしきる雨を眺める。

 今夜は本降りになりそうだ。3日前の夜のように。


 まとわりつく紫煙を指で弄びながら、ラガドはしばし回想に耽る。

 

 時間は、二週間ほど前に遡る。


 ロメール帝国領内ノヴォトキア 

 天気:快晴

 時刻:正午


 真っ青な海に向かって高台から張り出した作りをしている建物だった。

 そのテラスからは、海を渡ってすぐ先にあるスカイピア連邦の島々がはっきりと確認できる。


 二つの国の間を静かに流れるホログサーノ海は格好の漁場として世界中にその名を知られている。

 この日も眼下に無数の小舟が漂っている。彼らは伝統的な漁の方法によって、その日必要な分の魚だけを獲って生活している。


 降り注ぐ強い日光を浴びて、浅黒い肌をした男がニヤリと笑う。

 テーブルを挟んで向かいにラガドは座っていた。


「とっておきの物をご用意いたしましたよ」


 男が言う。

 名を、ルダという。

 ロメール帝国やスカイピア連邦を主として活動する闇の武器商人である。


 ラガドは彼と密会を重ねていた。

 彼が帝国内から武器類を不正に輸出している組織に繋がっていることはわかっている。だがそれについてラガドは黙認していた。

 いずれ、ルダと彼が仲を取りなす全ての組織は潰す、あるいは乗っ取る。だがその前にこの男からは通常ルートでは絶対に出回らない強力な武器を買っておく。


 ラガドにとってこの蜜月は長くは続かないはずだった。


 ルダの背後に立っている男が一人。

 ボディーガードだろう。

 その場からピクリとも動かず彫像のように佇んでいた。

 漆黒のサングラスをかけていて表情は窺い知れない。

 それと手にはH&K MSG90、セミオートマチックライフル。


 念の為言っておくと、サングラスもライフル銃も、この世界この時代には存在しないものである。

 ラガドからは、未知の装飾品と未知の武器、という風に映っている。

 それがこの男の不気味さを際立たせていた。

 が、あえてそちらをジロジロ見るような真似はしない。余計な詮索はこの場には不要だ。


「ほぅ、とっておきの……」


 このルダという男は顔が広い。どこで手に入れてくるのか、古い時代の魔道具、呪われた武器、毒薬、骨董品、何でも持っている。独自に開拓したルートを使い確かな目利きで物品を仕入れてくる手腕には、裏の世界の住人達の信任も厚い。


「ご覧下さい。

 ただし、覚悟が決まらぬうちは直に触るのはやめた方が良いでしょう」


 そう言って瓶をテーブルに置いた。

 中では、見たこともない軟体動物が蠢いている。


「寄生型の、魔物か」


「パラディフェノン、と言うらしいですね」


「どこからこれを?」


 瓶を持ち上げてみる。中の魔物の動きは鈍い。


「闇の一族、ご存知ですか?」


「まさか……彼らは最早この世界には存在しないでしょう」


 それは既に歴史の闇に葬られた一族のはずだ。100年以上前に。


「一般的にはそのような認識かと。

 しかし私が取引をした相手は自分のことをそう呼んでいました。

 真実かどうか、定かではありませんがね」


 闇の一族とはかつて、魔物と契りを結び人間を滅ぼそうと画策した者達だ。

 その企みは大魔導師パドラ・アイギスによって未然に防がれ、闇の一族はその時の戦いに敗れたことにより滅び去ったと聞いている。


 今だに、存続していたというのだろうか。


「これはパラディフェノンの“支配株”です。

 簡単に言えばこれが親であり、寄生先の動物達を操る司令官ということです」


「これを、服用するとどうなる?」


「“支配株”は寄生した者と同化します。

 同化が完了したら、次は繁殖を試みるでしょう」


「繁殖?」


「次々と、他者に自分のコピーを植え付けてゆくのです。

 そしてコピーがまた別のコピーを植え、無限に増殖していく」


「なるほど、疫病のようなものか」


「もっと悪質ですね。

 疫病は自らの意思を持ちませんが、パラディフェノンは“支配株”により統率された動きをすることが出来るので」


「つまりこれと同化すれば……」


「無限増殖する魔物の軍隊を手に入れたも同じということです」


 ラガドは喉を鳴らした。

 驚くべき魔物だ。これを手に入れれば、無敵の軍団を作ることが出来る。敵地へパラディフェノンの兵士を放り込むだけで、勝手に増殖し敵軍を壊滅させてくれるわけだ。しかも壊滅させたそれらの兵は、何の見返りも必要とせず味方となる。


「だが……その話は本当でしょうな?

 これに頭を乗っ取られてしまう危険性は?」


「その点については、安全が完璧に保証されたものではない、という風に言っておきましょう。

 意志が弱い者であればパラディフェノンの繁殖衝動に負けてしまうでしょう」


「繁殖衝動……」


「パラディフェノンはほとんど知性を持たない原始的な魔物です。

 こいつの行動原理はあくまで、種の保存。

 “支配株”によるコントロールも実際のところどこまで効くものか……」


「試した者は、いないのか?」


「いたようですが皆とうの昔に死亡してしまって治験データはありません。

 そもそもパラディフェノンは人間界には存在しない魔物です。

 魔族たちが住まうという、魔界にしか生息していないはずの種族ですから」


「ふぅむ……闇の一族が魔族と通じているからこそ、それを持ち出せたということか。

 ならば闇の一族はパラディフェノンについてもっと詳しい事を知っているのでは?」


「私にそれを訊いてこいと?

 とんでもない、彼との取引はそう気安いものではないのです。

 機嫌を損ねたり下手を打てば、私とてすぐに消されてしまいますよ」


 ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべていたルダがこの時一瞬、真顔になった。


「……では、よろしい。

 この私も多少のリスクを冒す覚悟くらいはある」


「気に入っていただけましたかな?」


「良かろう、これは頂くとするか」


「取引成立、ということでよろしいでしょうか」


「あぁ」


 そう言ってラガドは懐から一枚の羊皮紙を取り出しテーブルへ置いた。

 丸まっている羊皮紙を広げ、ルダは内容を検める。


「確認いたしました」


 素早く羊皮紙を丸め直し、ルダは傍らのボディーガードへそれを手渡した。


「注意事項として、パラディフェノンは雨の日に活動が活発になると聞いています。

 繁殖衝動も爆発的に増大するそうなので、天候には注意を払った方がよいでしょう」


 ラガドは無言で頷く。それから、羊皮紙に記された“ロメール王とスカイピア連邦首脳部との秘密会合の日程及びロメール王の通行ルート”に関して捕捉説明をした。


「ロメール王の通行ルートはそこに記されているものでほぼ間違いはないが、王の身辺には強力な魔導師達が警護についている。

 彼女らの守りを掻い潜って王を討つのは至難の業だと思いますぞ」


「それは我々が考えるべき事柄ではありません。

 私はただこの羊皮紙を依頼主へ送り、あなたはパラディフェノンを得る」


「そしてロメール王は死亡し、この私が次なる王の後見人として帝国の実権を握ることになる、と」


「私の方は金さえ手に入ればそれで充分。

 いや、それだけではありませんね。

 あなたという太い客を獲得できる、というのもありますね」


「なるほど確かに有意義な取引であった」


 ラガドは瓶を手に立ち上がった。


「もうお帰りですか?

 お食事など、ご一緒されませんか?

 豪勢な海の幸が堪能できますよ」


「結構だ、私は偏食家でね。

 海産物はあまり口にしない」


 一礼し、ラガドは歩き去る。

 背中に突き刺さるボディーガードの視線を感じながら。


 ラガドは海面を浮上する魚のように回想から戻ってきた。

 窓を断続的に叩く雨の音。

 それを聞いていると、体の奥底から突き上げてくる衝動に震えが止まらなくなる。


 パラディフェノンは雨の日に活発になると、ルダは言っていた。

 その通りだ。

 3日前も、今日も。


 段々と自分の体が自分でなくなっていくような感じがしている。

 時折視界が暗転して、見たことも無い景色が目の前に広がることがある。

 単なる錯覚だ、それは分かっている。

 だがあの景色が酷く懐かしいような気がしている。

 帰るべき、故郷を垣間見たかのような感触。

 パラディフェノンの記憶なのか。

 ならばあれこそが、魔界の景色か。


 雷鳴が、すぐ近くで轟いた。

 鏡に、ラガドの顔がはっきりと映し出される。


 皮膚を押し上げてうねる無数の触手。

 半開きの口から飛び出しているのは、もはや舌とは到底呼べないような粘液に塗れた物体。


 ギリギリのところで保っていた手綱はもう、千切れる寸前だった。

 ヴァルト・ラガドは今宵、生まれ変わろうとしていた。


 人間ではない、寄生魔獣パラディフェノンとして。



 ここで再び場面は転換して、二週間前、ロメール帝国領内ノヴォトキアへ戻る。


 取引が終了しラガドの姿が見えなくなると、武器商人ルダは太いため息をついた。


「たいへんな野心家だな、彼は」


「そのようだ」


 ボディーガードの男が発言した。低音の、濁った声音をしている。


「だがそれなりに勇気というのも持ち合わせているね、この場に単独でやってくるとは」


「秘密の取引だ、側近にも知られたくなかったのだろう」


「いや、だがどうかな。

 案外、どこかに……」


 ルダの発言を受けて男は動き出した。

 テラスの端まで歩いて行き、そこで立ち止る。

 おもむろに、その手に持った“武器”を構えた。

 スコープを覗き込む。

 そして一発、発砲した。

 空の薬莢が飛んで、眩く輝く海へと落下していった。


「お前の言うとおりだった。

 密偵がいたよ」


 ルダは男の傍へ近寄り、男が指差す先を見た。

 頭部を撃ち抜かれ、密偵は崖を転がり落ち波間へと呑み込まれた。


「抜け目ないな、ヴァルト・ラガド。

 あれ以外にもどこかからこの場を監視させているのかもね。

 だがよくこの距離で密偵の居場所がわかったな、サイト」


 ボディーガードの男、サイトはサングラスの下から人差し指と中指を差し込んで目をマッサージしているようだった。

 それからルダを見、唇の端を吊り上げて笑った。


「これくらい、わけねぇさ。

 俺は“地獄耳”なんだ」


 この世界この時代に存在するはずのないライフル銃を肩に担いで、転移者(サイト)が言った。


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