Day.4-15 鉄を纏うもの
「乗り移っているだと!?」
イリヤさんが声を上げた。
俺は禁書をめくってみる。例の楔形の頭部を持った蛇みたいな文字がうねっている。そして所々に挿絵があって、様々な種の魔物についての解説がされていた。
これはなかなか読み応えのありそうな内容だ。
が、今はゆっくり読書をしている時間じゃなさそうだ。
「噛み付くって言ったよね、その本。
多分、そこに封じ込められた存在は元々、何かに憑依して生き永らえてきたものだと思うよ。
で、禁書に封じられた今でも、同じ習性を保ち続けている……」
「ほぅ……だが私も噛まれたぞ?」
「防具の上からでしょ?
あとイリヤは魔術に対する強い抵抗力を持った体してるから」
イリヤさんは確か、肩当のところをガシガシやられてたっけ。
直接生身に触れたわけじゃないから大丈夫だったという事か。
にしても毒やら魔術やら、何にでも抵抗あるよなぁイリヤさん。
「そうか、ではそいつはどこへ?」
「誰か他に噛まれた人、いないの?」
「いや、いないな」
「……いますよ!イリヤさん」
そうか、そういうことか!
どうりでおとなしかったわけだ、禁書。
ポルカだ、そうとしか考えられない。
禁書が暴走するポルカに噛み付いたのは、飼い主を想ってとかそういう生易しい理由からじゃ無かったんだ。
乗り移る為だ。自分が活動する為の便利なボディが欲しかったからだ。
「ポルカですよ、きっと」
「あの機械仕掛けの犬か」
「え、何それ?」
ジュークは王立図書館であったことを知らない。かいつまんで、イリヤさんが説明する。
「へぇ、禁書め、なかなか考えたね。
ある程度の知能があって、武装もあるわけね。
これは早急に探し出さないと後々面倒なことになるかも」
ジュークとイリヤさんが同時に俺を見る。
あぁ、俺も同じことを考えていたよ。
俺の出番が来たってことだな。
「わかりました。
任せてください」
イリヤさんが酒瓶のコルクを抜いてくれた。俺は酒を受け取り、いつものようにラッパ飲みする。
酒が喉を通り食道を、胃を流れ落ちてゆく。それに伴い全身の細胞が活性化するかのような錯覚。
アルコール・コーリング。
それは酒の神ゴッド・アルコホールから託された俺だけの能力。
“酔えば酔うほど地獄耳”だ。
対象はディジーさんだ。
ポルカを直接探してもいいが、まずは彼女の安全を確かめておきたい。
アルコール・コーリングには、特定の対象に向けて聴覚を飛ばすという使い方がある。
これは俺がその人物の顔を覚えているという前提条件が必要になるが、ディジーさんの場合、よく覚えているから大丈夫。忘れたくても忘れられないキャラしてるよ、あの人は。
聴覚が、一足飛びにディジーさんの許へ。
鼓膜が音を拾い始めた。
どこだここは?
ガタガタと騒がしい音が鳴っている。工事現場みたいな感じだ。
それと、複数の人間の悲鳴が。
ディジーさんの立つ位置をもとにして、ソナーを展開。
周囲の音の反響から場所と状況の特定を。
そして全容が……判明した。
「これは!?」
思わず、息を呑んだ。
既に事態は、最悪の方向へと向かおうとしていたのだ。
北門だ。
リュケオンとジュークが死闘を繰り広げた、あの場所にディジーさんは立っている。
その眼前に、ポルカはいた。
いや……“ポルカであったもの”というべきなのか。
二人の強大な魔術師の死闘により北門周辺の街並みは盛大に破壊されていたが、あれから2日が経って瓦礫は粗方除けられて、道の端へと固められていた。
その瓦礫が、宙に浮遊している。
更には作業に用いたのだろう工具や、簡素な仕掛けのウィンチ、鉄のホイールなどが瓦礫とともに浮かび上がっていた。
それらは宙の一点に向かってふわふわと移動し、くっつき始めていた。
徐々に、巨大な物体が形作られてゆく。
歪なその鉄くずの塊たちの上部から冗談みたいに突きだしているのは、ポルカの首だ。
この現象は恐らく、ポルカの磁力によって引き起こされている。
禁書からポルカへと移動した魔性の存在は、機械仕掛けの犬の持つ特性を駆使して戦闘用の新しいボディを組み上げようとしているのだろう。
北門に移動したのは、扱いやすい瓦礫がたくさんあったからだろうか。
だがそんな知識をどこで得た?
街の最新の情報なんか、どうしてポルカが知っている?ましてやずっと図書館に置かれたままだった禁書が?
考えられる可能性は一つ。
ディジーさんがキスをせがんだ時、イリヤさんはたまたま手近にあったポルカをディジーさんの唇へ押し付けた。
あの時点で既にポルカには魔性の存在が宿っていたから、そいつがディジーさんにも移った。
だから魔性の存在は、ポルカの能力とディジーさんの知識の両方を使えるわけだ。
帝国屈指の頭脳と、それにより生み出された兵器。
魔性の存在は二つの優秀な駒を思うままに操れる。
「おい、何が見える!?」
「これはヤバいですよ……北門に、ディジーさんとポルカはいます。
ポルカが磁力を使って巨大な体を作り上げようとしています。
ディジーさんも操られています」
「既に動き始めていたか。
私達も急いで向かわなければな」
「はい、行きましょう!」
と、その時アルコール・コーリングは別の気配を捉えた。
兵士の一団が駆け付けたらしい。
武器を手に、巨大な敵へ突撃してゆく。
「いや、少し待ってください!」
部屋を飛び出そうとしていたイリヤさんを制止する。
俺の予想が正しければ、今の俺達の装備ではポルカには勝てない。
何故なら今度の敵は、磁力を操る。
ということは……。
俺の鋭敏化した聴覚は兵士達が次々とポルカに吸い寄せられてゆくのをはっきりと認識していた。
兵士達は宙に高く舞い、ポルカのボディに近付いたところで、逆に跳ね飛ばされた。
磁石にはN極とS極がある。極性の違う二つを合わせれば引っ付き、極性が同じものを合わせれば、反発する力を生む。
「イリヤさんの鎧って何の材質で出来てます?」
「竜胆玉鋼だが」
全く聞いたことのない材質だな……だが“鋼”とついている以上は鉄を含むのだろう。
「剣は?」
「同じだ」
「ならポルカの磁力に操られてしまいます。
鉄製の道具は一切、あいつには通用しません」
イリヤさんも図書館で見たはずだ。ポルカが兵士の槍を逸らすのを。
「ならば磁力で引き寄せられるより速く斬ればいい」
さらりと、イリヤさんは言う。
「いや、さすがにそれは……」
無理だろう。それにポルカは既にその身を雑多な物で分厚く覆ってしまっている。強固な鎧を身に纏っているようなものだ。
「やる前から諦めてしまってどうする?
私は己の腕前を信じるのみだ」
「マジでやるんですか!?」
「無論だ。
ダメならその時に改めて考えればいい」
すごい脳筋理論だ。でもイリヤさんならホントにやれちゃいそうなんだよな。
「が、防具は全て外しておかなければならないか」
そう言ってイリヤさんは鎧を脱ぎ始めた。
重厚な鎧のパーツがどんどん外されてゆく。
床に置くときの音がすごく重そうだ。一体総重量は何キロくらいになるんだろう?
薄手の全身タイツのような服だけを身に付けたイリヤさんが俺の前に立っている。
こうしてみると本当に艶かしい体をしている。あれだけハードな戦闘を日常的にこなしているとは思えない丸みのある美しい曲線を持っている。すらりと背も高いし、そのままパリコレでも出れそうだ。
誰もが見惚れてしまうくらいの極上の肉体を前にして男としてはもう
「じろじろ見るな、変態」
「は、はいっ!」
こうなるのである。
「ジューク、服を借りてもいいか?」
「うん、クローゼットから好きなものを持っていって」
「お前もさっさと脱げ。
プレートアーマーなんか着て行ったら敵の思う壺だぞ」
もちろん、俺もそうしたい。現在進行形で兵士達が酷いことになっているのを透聴しているし。
だが出来ない、出来ないのだ!
「あのぉ……ちょっと都合が」
「は?何を言ってる?」
「甲冑の下、何も着てないんで」
一応パンツだけは穿いてるよ。こっちのは絹だから穿き心地がいいね!
「普通は一枚身に付けた上で甲冑を着るんだ……でないと皮膚がこすれて擦り傷だらけになるぞ」
あ、そうなんだ。知らなかった……。
「先に教えておいて欲しかったですぅ」
「これはイリヤが悪いね」
半笑いでジュークが指摘した。
「うむ、そうだな。
すまなかった、謝ろう」
「いえ、俺もこすれるのが段々気持ちよく……じゃなかった、こんなもんだと思って何の疑問も抱きませんでした」
「ジューク、すまんが」
「……女物しかないけど?」
「この際、仕方がない。
着ろ!」
イリヤさんが語気を強めて言ってくるので、俺は渋々ジュークのクローゼットを開けてみた。そして、予想はしていたが、そこにある服はどれも見事にお洒落でかわいいゴスロリばかりだった。
先に断っておくが、もちろん俺に女装趣味は無いのである。
だが、背に腹は代えられない。
俺は甲冑を外しながら、LGBTについて思いを馳せたのであった……。