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Day.4-0 朝はやってくる

 燻る煙が風に流されてくる。

 焦げ臭いにおいを嗅ぎながら、ビクター・ガリアーノは一人で茶を飲んでいた。


 チコの母親は今はおとなしくしている。

 突発的に暴れ、すぐに眠りに落ち、また目覚めて暴れる。

 これを短い周期で繰り返していた。


 小康状態の今、ガリアーノはチコが眠ったのを確認して湯呑を持って外の空気を吸いに出たのだ。

 洞窟の火災は、森に燃え広がる前に鎮火したようだ。

 一先ず、そちらは安心と言ったところか。


 問題は、あの親子だ。

 ガリアーノは金には困っていない。

 蓄えはたんまりとある。

 二人くらいの人間を養うことなど造作もない。

 が、それをする義理はないのだ。


 不憫だと思う。

 チコという、あの少女の事を。


 だが手を差し伸べたとしても、それであの子を助けることになるのか。

 母親があんな状態になって、あれをずっと看病しながら、果たしてチコは暮らしていけるのか。


 ため息をつく。

 あの親子の姿と、かつて死んだ自分の妻と娘の姿が重なって見えた。


 罪滅ぼしのつもりだったのか。

 ガリアーノは、自問した。


 傭兵として戦場を渡り歩き、無垢な者達の命をたくさん奪ってきた。

 その報いか、妻と娘は別の傭兵部隊によって殺された。


 あの親子が、自分の家族とダブった。

 だが死んではいない。

 チコとその母親は、生きている。


 何とかしてやりたいと思っている。

 そういう事を思ってしまっている。


 殺伐とした傭兵の世界から抜け、自由気ままな狩人生活を続けてきた。

 もう、他人に対し責任を負うのはしんどいと考えていた。

 無くした時の悲しみを、わかっているから。


 そんな自分が今また、他人をどうにかしてやりたいなどと都合のいいことを思っている。

 そうすることで自分が気持ちよくなりたいだけではないのか?

 心の端っこに(わだかま)っている罪の意識から、逃れたいだけではないのか?


 まぁ、いい。

 結論を急く必要はない。


 そのうち王都の使いの者がやってきて、その者が親子を何とかしてくれるかもしれない。

 魔術に精通したロメール帝国の魔導部隊の連中なら、母親の治療法も知っている可能性はある。


 それまでの間、彼女らの傍にいてやるだけでいい。

 

 肩の骨に鈍痛を感じる。

 昨日、魔獣に吹っ飛ばされて崖下の川に落下した時に、川底に打ち付けた部分だ。

 落下している最中は、死ぬかと思った。

 悪運によって、何とか命を拾う事ができた。


 ガリアーノは、昨日出会った二人の事を思った。

 イリヤと呼ばれていた女剣士と、頼りなさそうな付き人の男。

 

 女剣士のすさまじい剣捌き。

 あれは只者ではない。

 ロメール王直属の遊撃部隊と称される者達の中に、剣術に秀でた女がいると聞いたことがある。

 あのイリヤという女剣士がそうだったのかもしれない。


 もう一人の男は、戦闘にはほとんど参加していなかった。

 どういう理由で連れてこられたのか不明だが、見た目からは想像できないほどに、勇気ある行動をする奴だった。

 そして魔獣の中にチコの母親がいるのを何故だか、知っていた。

 もしかするとあれは……魔導部隊の一員だったのだろうか。

 にしては狩人協会の近くで会った時は何にも知らない旅行者みたいな感じだったが。


 あの二人にはまた会う予感がしている。

 その時はもっと、話をしてみたい。


 茶を啜る。

 湯呑が空になった。


 一度、家に戻ろう。

 新しい熱々の茶を入れて、それを飲んだら仮眠を取っておく。


 ゆっくりと玄関の引き戸を開けて中へ入る。

 チコが寝息を立てている。

 時折、苦しそうに顔を歪めているのは、悪夢にうなされているからだろうか。


 悪夢くらいは当然、見るのだろう。

 これから先も、何度でも見ることになるだろう。

 チコは心に深いトラウマを負ったはずだ。


「可哀想にな」


 ガリアーノは呟く。


 母親の方は……柱に立ったまま磔にされたその状態で、気を失っている。

 起き出したらまたチコを睨んで暴れだすのだろう。

 まさか縄を振りほどいたり引きちぎったりするほどの力は無いのだろうが、油断はできない。


 眠るチコの左腕に、衣類を裂いて間に合わせで作った包帯が巻かれている。

 痛々しい傷だった。

 何の遠慮もなく歯で噛み付かれ、出血していた。


 この世は残酷だ。

 どれだけ全うに生きていたって、清廉潔白な人間だって、突如として悲惨な出来事に見舞われる。


 この子の未来には何が待つのか。

 自分はそれに、関わるべきなのか。


 そんな事をとりとめもなく考えていると、茶を入れるのも忘れていた。

 ふと、母親が動いた気がした。

 項垂れていた頭が少し、振られたような。


「お目覚めかな……」


 また暴れだすのだろう。

 近付いて縄の結び目を確認する。きつく縛られている。問題はない。


「うぅ……」


 弱々しい呻き声がした。

 母親が覚醒したのだ。


 ガリアーノは少し離れて、様子を窺った。


 母親の視線は、チコを捉えた。

 瞳の中に宿る狂気の色が、今は見られない。

 澄んだ眼で、娘をじっと眺めている。


「チ……コ……」


 か細い声が、聞こえた。


「おい……嘘だろ!?」


 名前を呼んだのか。

 自分の娘の名前を。


「正気に戻ったのか!?」


 ガリアーノは慌てて駆け寄った。

 

「おい、あんた!」


 母親は白目を剥いて口の端からヨダレを垂らした。


「ク……クオオオォ!!」


 絶叫した。


 その声に驚いてチコが短い眠りから覚めた。

 飛び起きて、後ずさる。

 悲しい顔を、している。


 ガリアーノは今起こった現象を確かに見た。

 一瞬だったが母親は正気を取り戻していたように思える。

 そして娘の名前を呼んだ。

 もしかしたら……人間性は失われていないのではないか。

 ガリアーノは思った。


 母親の人格は、まだ眠りから覚めていないだけなのでは?

 時間をかければ、やがては戻ってくるかもしれない。


「チコ、聞いてくれ」


 ガリアーノは、頭を抱えて膝から崩れ落ちたチコの傍にしゃがんだ。


 言っていいのかどうか。

 変に期待をさせてしまうだけではないか。

 これでもし母親が戻らなかったらこの子はいよいよ、壊れてしまうんじゃないか。


 それでも、伝えよう。

 隠し事をしないで。


 現実はいつも厳しいが、人はそんなに弱くはない。


 チコと向かい合い、ガリアーノは真っ直ぐに視線を通わせる。


 夜の闇がどれだけ深かろうと、それが永遠に終わらないように感じられようと、あの洞窟にも差し込んでいたほんのわずかな光のように、心の支えになるものが一つあれば、必ず夜明けはやってくる。


 取り戻そう。

 この子の日常を。


 ガリアーノは、決心した。

 その理由が自分自身の境遇から来る単なるエゴの表出だったとしても、それでもいい。

 今、自分が感じている想いは嘘ではない。


 この子に伝えなくては。

 明けない夜は無いのだということを。


 それだけは平等だ。

 何があっても揺るがない事実だ。


「今、お前の母さんがな……」


 どんな悲劇の後にでも。

 生きている限り、希望を捨てない限り、誰のもとにも、


 必ず朝はやってくる。


 

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