Day.3-1 悲鳴
どこかで悲鳴が聞こえた気がした。
はっとなって俺は跳び起きる。
外が、明るい。
シトリの宿で布団に寝かされていたようだ。
今何時だ?
腕に装着したままのホマスを見る。
矢尻頭の蛇がうねるような文字が、朝の9時を告げていた。
昨日、マリさんの店で俺が気を失ったのが何時ごろだったか。
正確にはわからないが夜の7時にはならないくらいだったろう。
14時間も寝ちゃったのか……。
頭が重い。
そして体も重い。
元来俺は酒に強いタイプではない。一気飲みの後のハードな縦揺れは相当に効いた。
しかし今の悲鳴は何だ?
のそりと起き出して部屋を出る。
廊下を歩いている時に、またその悲鳴が聞こえた。
間違いない、この、宿のどこかから。
ここに現在宿泊しているのは俺とイリヤさんだけ。
イリヤさんなら、何かあっても悲鳴なんか上げそうにない。いや、そもそもそういうピンチとは無縁の人だ。
さらに言えばイリヤさんが暴漢なんかに襲われたのなら、俺はその暴漢の方に同情する。相当酷い目に遭うだろうから。
シトリか。
シトリの身に何かが。
自然に早足になる。階段を駆け下りる。
食堂の方からまたしても悲鳴。更に悲鳴。悲鳴。
悲鳴、多いな……。
なんか、段々わかってきた気がする。
食堂の引き戸を開けるとそこには、俺の思った通りの光景が。
机の上に、ざるに山盛りのマンドラジンがあった。
叫び声の発生原因はこいつら、か。
「キャーーー」
「キャーーー」
やかましい。
野菜なのに主張が激しい。
「あ、起きました?」
シトリが奥の調理場から顔を覗かせた。
「やぁ、おはよう」
「すごーくよく寝てましたね、お兄さん。
昨日はお疲れ様でした」
「うん、すごく疲れたけど……このマンドラジンは何?」
「朝ごはんです」
「……」
なんとなく山積みにされたマンドラジン。
模様がちょっと顔みたいに見える、ニンジン。
しかも叫んでいる。
これ、そのまま丸かじりするの!?
「あの、」
「あ、軽く塩茹でしてますし、大丈夫ですよ」
「あぁ、そうなんだ」
座って、マンドラジンの山に向き合う。これ、食べるのかぁ……。
活け造りより断然キツいなこの野菜は。活きが良すぎる。
「どうしたんです?
おいしいですよ!
まぁ最初はみんなびっくりしますけど」
「イリヤさんはもう出掛けたの?」
食える気がしないので、話を逸らす。
「あ、イリヤさんならずいぶん前にお城の方へ出かけましたね。
昨日の事件の後処理がいろいろとあるみたいで」
あぁ、そうだ。
昨日はとにかく大変だった。
城門も北門以外の全てが破壊されたし、北門周辺の街並みはリュケオンとジュークの死闘でめちゃくちゃになっている。
それ以外にも北門の兵士たちがいなかった理由や、色町ネハンで妨害装置を操作していた者の行方など、解決しなければならない問題が多く残った。
「マスキュラさんは?」
「あっ、マスキュラさんと王様はお散歩に出かけてますよ」
「散歩!?あの人体大丈夫だったの?」
「あの後ジュークさんが手当してくれたので、無事です。
マスキュラさん、体は丈夫ですし」
魔術を腹に喰らってあれだけ動いて、それでもう朝から散歩か。すごい人だ。
いや、それよりも……。
「王様って外に出て大丈夫なのか!?」
街の住民に顔バレしないのだろうか。外をそんな気軽にほっつき歩いて。
「はい、目深にフードを被って一応変装してましたし。
それに人通りの少ない場所を歩くってマスキュラさんが言ってました」
えらく簡素な変装だなぁ……。だが街の住民からしてみれば、まさか王様が街を護衛もつけずにウロウロしてるとは思わないだろうから、そこまで気を付ける必要もないのか。
それに、マスキュラさんがついていれば、危険はないか。
「あ、それと」
「ん?」
「皆さんが、お兄さんのことを誉めてました」
「あ、そうなの?」
「ええ、昨日の一件、被害を最小限に抑えられたのはお兄さんのおかげだって、イリヤさんも言ってましたし」
「そっか……」
我ながら、頑張ったと思う。それと結果的にはアルコール・コーリングというスキルについて自分自身理解を深めることが出来た。
この能力を駆使してどこまでのことが出来るか、かなり具体的に掴めた。
これは俺にとって大きな収穫だった。
何より、向こうの世界じゃあ人の役に立つことなんてまるっきり無かった俺が、多くの人を助けることが出来た。これは地味にうれしい。
だが魔族という人間にとっての脅威がいよいよ明確にその姿を現したことで、国内情勢はいよいよ緊張感を増すことになるだろう。
「なに難しい顔をして考え込んでるんですか!
はやく朝ごはん、食べちゃってください」
「え?これ全部俺が食べるの?」
「いえ、マンドラジンは保存が効きますんで、残ったら明日にでも回します」
ということは……ここで残すとその分を明日食わなきゃならないのか。
ううむ。
「なんなら私も一つ、つまんじゃお」
横から手を伸ばしてシトリが細めのマンドラジンを掴みあげた。それを何の躊躇も無く歯で噛み切った。
「キャアーーーーー」
ひときわ大きな悲鳴がマンドラジンの口(?)から迸る。
断末魔……だよなぁ今の。
「あぁ、おいしい。
とっても甘いんですよ、マンドラジン。
育つのが早いし気候に左右されにくいんで、重宝します。
今回のは出来もいいですねぇ」
「ほんとに旨いの?」
「食べてみてください」
キラキラした目でシトリが俺を見詰めてくる。
催促されているようだ……くそ、ここで食わなきゃ男じゃねぇ!
恐る恐る、一本持ち上げてみた。
顔のような模様が微妙に動いてるんだよなぁ。
「あ、ちなみにそのキャーーーーーって音は、マンドラジンの内部の空洞を風が通る時の音なんですよ。
まるで楽器みたいに複雑な空洞があって、一つ一つ音が違うのがおもしろいですよねぇ」
「あ、そうなんだ」
ありがとう、雑学を。しかしだからといって、食べる難易度に変化は無し。
「ええい、行くか!」
思い切って、ガブリと噛み付いた。
できれば丸呑みにしたかったがどれも太くて長い。
「キャーーーーーーイタイーーーーーーー」
……風の通る音って、“イタイ”とか聞こえるんだろうか。
が、咀嚼してみて驚いた。
本当に、甘い。食感はニンジンのそれだけど、味はカボチャみたいに濃厚だ。
しかも後味がしつこくない。濃い味が口いっぱいに広がった後ですっと消える。
上品な甘み、というやつか。
端的に言って、これは旨い。
侮ってた。
「どうです?」
「……いやぁ、シトリの言った通りだよ。
こりゃあ驚いた」
「あと、栄養が豊富で、二日酔いの時にもいいんですよ」
「おお、そうなんだ!」
「いっぱい食べてください。
昨日お兄さんが手伝ってくれたおかげで、たくさん収穫できましたから」
「じゃあもっと、頂こうかな」
異世界の食べ物も、なかなかどうして悪くないや。
ガブッ。
「キャーーーーイタイーーーーヤメテーーーー!」
ああ、おいしい。