Day.3-0 ある狩人の受難
今回は2日目と3日目を繋ぐ番外編となります。
王都ロメリアの狩人協会に通い始めて5年が経過しようとしているがその間にAランクの依頼が出ているのを発見したのは1、2回だけだ。
熟練の狩人の一人であるビクター・ガリアーノは、自分にもツキが回ってきたのだと確信した。
金貨100枚という報酬額ははっきりいって破格である。
Aランクでもここまでの高額は今までお目にかかったことがない。
狩人協会はロメール帝国とも提携していて、帝国の手が回らない討伐依頼なども日々回されてくる。
しかしあまりに危険度が高いものに関しては、帝国正規軍が対処に当たる為に狩人個人への依頼という形ではあまり出てこない。
Aランクはもちろん、“かなりヤバい”依頼である。下手すれば命を落としかねない。
それを承知の上で、ガリアーノはこの依頼を受けた。
レベル2400、この数値は彼の人生において知り合った人間達の中で最も高い。
若い頃から現在まで、常に死線をくぐるようにして生き抜いてきた。
戦場から戦場へ、傭兵として飛び回っていた時期もある。
今は高額報酬を狙って狩人協会でランクの高い依頼を片っ端から漁っている。
金は、裏切らない。
それはガリアーノが人生で得た教訓であった。
人は、裏切る。
仲間と思っていても、金のトラブルですぐに掌を返すのが人間だ。
金だけは従順だ。
だからガリアーノは金に執着していた。
Aランクの依頼にまだ、誰も手を出していないのはラッキーだった。
もしかしたら自分より前に誰かがその依頼を受けたのかもしれないが、依頼が再掲されたものだったら、その前任者は魔物の討伐に失敗したことになる。
魔物の討伐失敗はほとんどの場合、狩人の死を意味する。
ガリアーノは多くの人間の死を目撃してきた。
屍を踏み越えて行軍する、あの何とも言えない感触。
それも鮮明に思い出せる。
殊更他者の死に感傷的になったりはしない。
情が豊かな人間は傭兵には向いていない。
涙も枯れ果て、血も凍りついてしまったような男こそが、殺伐とした仕事には適当だ。
かつてガリアーノにも家族がいた。
妻と娘が。
彼女たちは死んだ。
ガリアーノが傭兵として戦地へ赴いている間に。
彼女たちの住む村を戦火が焼き払った。
死体すら、見つからないほどの惨状だった。
黒焦げに炭化した塊があちこちに落ちていた。
それが人間の成れの果てだと、最初は全く気付かなかったほどだ。
ガリアーノの村を無慈悲に焼き捨てたのも、どこかの国が雇った傭兵達だった。
ガリアーノは妻と娘が焼け死んでいくまさにその時、別の地で、罪もない人々に、無数の矢を射掛けていたのだ。
守るべきものを失った虚無が彼を襲い、無気力という抗い難い病が彼を臥した。
一人きりで立ち直る為には何かが必要だった。拠り所となる何かが。
それは金だった。
ガリアーノは金だけを信じる、孤独な狩人になった。
そうして、Aランクの依頼を獲得して、件の村へと足を運んだのだった。
依頼を受けたのは昼頃のことだった。
馬車と運転手を金で借入れ、大急ぎで村へ。
到着したのは既に夕刻であった。
本来なら日はまだ落ちてはいない時間のはずだが、空を厚く覆う黒雲が日光を遮って、一足先に夜の世界を演出していた。
雨が降りそうだ。
しかも結構な勢いで降るかもしれない。
雨除け用の装備は持ってきていなかった。
最悪、馬車の荷台で雨をやり過ごすことになるか。
箱型の荷台のついた馬車を選んだから、室内にいれば濡れる心配はない。
村長と面会し、魔物についての話を聞いた。
鳥型の魔物。
村はずれの山奥の洞窟を根城とし、時折村の近くまでやってきては人をさらって洞窟へ連れて帰るらしい。
その被害者が日に日に増えてきて、いよいよ困り果てていたところだという。
仕事にかかる前に、確認しておきたい事項が一つだけあった。
なぜ、軍に魔物の討伐を依頼しないのか。
わざわざ大金を払って狩人に依頼を出す真意は何か。
ここをはっきりさせておかなくては。
この片田舎の、録に食い扶持も無さそうな村に、金貨100枚なんていう大金を用意出来るものなのか。
用意できたとして、なぜ、そうする必要がある。
村長から返ってきた答えは、以下の通りであった。
これは村の伝統であり掟である、と。
かつて、ロメール帝国成立よりもずっと昔、この地を統治していた国があった。
その国で致死性の疫病が蔓延した時、国家の首脳陣は治療不可能な患者を僻地であるこの村に押し込み、隔離した。
結果として疫病の流行は防がれたものの、村では案の定疫病が大発生しほとんどの村人が死んだ。
それから、村は頑なになった。
特別な事情のない限り外部の人間を村へは入れない。
それが伝統となり、掟となった。
だから魔物による被害が拡大するまで、事態を外部に漏らすことはしなかったのだ、と村長は言った。
なるほど、ガリアーノにもわからなくはない事情だ。
悲しい過去が、この村の人々の心を閉ざしてしまった。
ガリアーノには、心境が理解できる。
失われた者達は帰っては来ない。
そして残された者達は心の空洞に重く硬い石を詰めて、今日まで過ごしてきたのだろう。
金は、現物を目にした。
確かに、支払いは可能なようだ。
名目上、村長個人の依頼という形になっているが、金は村中の人々から寄付を募ったものらしい。
ガリアーノにとっては、金さえもらえれば構わない。
村長と話をしている最中に、予想通り雨が降り出した。
ガリアーノは村長宅で雨が止むのを待たせてもらうことにした。
通り雨であったのか、程なくして雨は上がった。
厚い雲も遠くの空へと流れていって、いつしかもう、あたりはすっかり夜の帳が下りていた。
仕事にかかるのは翌朝からにしようか。
そう考えていた。
一応近くまで行って下見だけはしておきたいと思い、ふらりと山を登ってみた。
どれだけ登れば洞窟にたどり着くのか、周囲の闇が濃すぎて見当もつかない。
ささやかな水音がどこかから聞こえてくる。それほど遠くない場所を川が流れているようだ。
松明を一本、持ってきている。
小さな火を熾すくらいの簡単な魔術なら自分にも使える。
だが、そこまで本格的に山に分け入らなくても良かろう、と思い直し下山することにした。
依頼を横取りされる心配はさほど、無い。
Aランクの討伐依頼に手を出す狩人など、ほとんどいないのだから。
ふと、視界の端を何かが通り過ぎた気がした。
見間違いか?
いや、確かに、何か……誰かが。
小さな足音が聴こえる。
ザクザクと落ち葉を踏み締める音が。
こんな夜に、魔物が跋扈している山へ入ろうなどと、命知らずもいたものである。
それか、自分は化かされているのかもしれない。
山には、様々な“もの”がいる。
山を棲家とする動物たちも、山に憑いている霊的な存在も、そして魔物も。
ガリアーノは狩人としての長年のキャリアから、少々の事態では動じない度胸を身に付けていた。
敵意ある存在なら、いつでも対処できるようにしておく。
ふいをつかれて襲われないよう、気を張る。
が、足音はどんどん遠ざかっていく。本当に単なる人間なのか。足取りがあまりに淡々と決然としているところからして、この一帯の山の地理に詳しい人間か。
追ってみることにする。
こちらの存在を気取られないように、慎重に。
闇の奥に目を凝らすと小さな背中が見えた。
子供!?
藁を編んだような粗末な服を着ている。
危険だ。
こんな山奥に民家があるわけもなし。
遊び半分で入ってもよい場所ではない。
「ママー!」
その少女が、辺りに向かって叫んだ。
母親を探しているのか。
「ママー、どこにいるのー!?」
こんなところに母親が?
いや、違うのか。
例の魔物に奪われた母親を、未だに探し続けているのではないか。
いずれにせよ、ここにいては危ない。連れて帰るべきだ。
かつて自身も人の親であったガリアーノはそう判断し、少女に近付こうとした。
頭上から、細い木の枝が落ちてきた。はらりとガリアーノの肩に、かかった。
何も、感じなかった。
頭上にあった気配に対し、気がつかなかった。
少女の方に注意が向いていたからか。
見上げた先に、そいつはいた。
樹木の太い枝にぶら下がり、逆さになってガリアーノの見下ろしていた。黄緑色をした瞳が、闇夜に輝いている。開かれた嘴の中に無数の鋭い歯が並んでいた。
鳥型の魔物とは……これのことか!
漆黒の翼を折り畳み、ガリアーノを観察しているようだった。
この位置関係は、良くない。真上から襲われるのは、避ける必要がある。
武器は背中にくくりつけた斧のみ。それを手にする為には……。
ガリアーノの足下の枯れ葉が、ザリッと鳴る。重心を、後ろに。
駆け出そうとする寸前、魔物が、動いた。
翼を広げると共に樹を蹴り、大口を開いて垂直に落下してくる!
ガリアーノは迅かった。嘴に挟まれる寸前で上半身を大きく沈め、後ろへ跳んだ。
ガリアーノのいた位置の地面が、魔物の刺突で抉り取られ土と葉を撒き散らす。あとわずかでも回避が遅れれば、ああやって吹き飛んでいたのは自分の肉身だ。
が、歴戦の勇士はこの程度の一撃では殺せない。
背中に手を回し斧を握った。同時に縄の結び目を解く。
低い位置から再び嘴を突き出してきた魔物に対し、ガリアーノは斧を振り下ろした。
幾度となく修羅場を共にした武器を。嘴と眉間の間を目掛けて叩き付ける!
硬い感触が前腕から上腕へ伝わる。叩き斬れなかった!?
魔物はそれでも一旦突撃を止め、首を持ち上げた。
ガリアーノより遥かに高い上背。
大の大人がこの魔物の前ではまるで子犬だ。
「クオオオオォォォ!!」
甲高い咆哮が、ガリアーノの鼓膜と大気を震わせる。
大きく開かれた両の翼を叩き合わせる。突風が起こった。
両足の踏ん張りが効かない!
飛ばされる!?
体が浮き上がるのを感じた。
後方へ、ガリアーノは吹っ飛んだ。
必死に首を捻って背後を確認した時、その背筋が凍った。
地面が、無い。
崖だった。
先程から聞こえていた川の流れる音は、この崖の下から聞こえていた。繁茂する樹木に隠されて、見えていなかったのだ。
もう、遅すぎる。
掴まれるものも無く、ガリアーノはただひたすら落下していった。
彼には、己の迂闊を呪う時間も与えられなかった。
魔物が少女を見下ろしている。
少女もまた魔物を見上げていた。
「ママ、こんなところにいたんだ」
少女は無邪気に言って、笑った。
時刻はもうすぐ、0時を回る。
3日目が、始まろうとしていた……。