Day.5-18 光芒
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4:33
「この私を……斬るだと!?
そうはさせん……私はまだ“支配株”の真の力を見せてはいない!!」
ラガドが両腕を突き出す。無数の触手が絡まるようにして形成されたその異形の腕が、うねりながら俺とイリヤさんを襲う。
「つまらん!」
イリヤさんは大きく前に踏み込む、低く上体を沈めた。それに合わせて剣を振り上げ、前方の空間を切り裂いて突撃してきた触手全てを一刀のもとに斬り伏せる。いくら触手を束にしたところで、まとめて斬られればそこまでだ。
俺は、アルコール・コーリングでイリヤさんの流麗な動きを追いながら触手を回避。当たらなければどんな攻撃も意味は無い。
が、この見え透いたアタックはラガドにとって本命ではなかった。
ラガドは、伸ばした触手を自らの意思で切り離し、捨てた。
そして本体は、中央大聖堂の入り口扉へ。
「逃げる気か!?」
駆けだしたのはイリヤさんの方が先だった。あの速度ならラガドが扉に辿り着く前に、その背中へ剣が届く。
南棟側の扉に、ラガドは走り寄る。イリヤさんが追う。
その扉の向こうから、巨大な質量が接近。アルコール・コーリングは足音からそれを検知。2メートルを超す巨体が、扉の向こうに。
「イリヤさん!
扉の先から敵が!」
俺は警告を発した。
ラガドが立ち止り、振り向いて、ニヤリと笑った。
扉が盛大に吹っ飛んで、全身をプレートアーマーに包んだ巨漢が姿を見せた。
その右手にはこれまた巨大なハルバード。
顔面が焼け爛れ、見るも無残になっている。その焼けた皮膚を変形させ蠢く触手。
「処刑人エクス!?
生きていたのか!?」
イリヤさんが巨漢から距離を置いて剣を構えた。
あれが、処刑人か。
なんてデカさだ。
それに、あのイリヤさんが一旦距離を置く、だと?
それほどの使い手だというのか。
「私の優秀な部下が、歓迎するそうだ。
ファッハッハハッハ!!!」
ラガドの背中が廊下へ消えてゆく。ここで逃がしたら……この城で起こった悲劇がまた繰り返されるだろう。世界中のどこにでも、あの男は恐怖と混沌を生み出せる。
絶対に、絶対にここで決着を付けなくてはならない。
俺は弓と、地面に転がった矢を数本回収、それを持って走る。
処刑人が、俺に対しおもむろにハルバードを構えた。
顔面から数本の触手が俺目掛けて襲い来る。当たらない。サイドに体を流して回避。しかし回避したところにハルバードの強烈な横薙ぎ。自身の触手を巻き添えにすることを全く厭わない、圧倒的腕力の一撃。喰らえば俺は、胴体から真っ二つになるだろう。
大聖堂を支える石柱が目の前にある。跳んで、石柱を蹴って死の横薙ぎをやり過ごす。だがハルバードはただの一撃で、極太の支柱を破砕し瓦礫を撒き散らした。
宙にある俺に向かい、更なる触手の追撃。身を捻って受け流す。
着地、背後に感じるは突風。ハルバードの突き。
俺は、避けなかった。
感じたのは、もう一陣の突風。
ハルバードの攻撃を、竜胆玉鋼の剣が横から叩いて軌道を逸らした。
俺の体の横を通過する巨大な得物が空気を撹拌して俺の髪を逆立てる。
「ここは私に任せろ!!」
イリヤさんの頼もしい声。
軽く頷いて俺は廊下へ。
二人の間に、余計なやり取りはいらない。
「ここは私に任せて先に行け」「でも、イリヤさんが」「いいから早く!」などというありがちな展開は俺達には必要なかった。
イリヤさんは処刑人エクスを、俺はラガドを。
一瞬で、それを決めた。
ならば後は、互いの仕事をするだけ。互いのベストを尽くすだけ。
「待て!ラガド!!」
逃げられると思うな。俺のスキルは“酔えば酔うほど地獄耳”、一度捉えたら絶対に離さない。
ジュークは、肉体強化魔術は一時間くらいしか効力が持続しないと言っていた。
確か術をかけてもらったのは3時過ぎであったか。
もう30分くらいは時間が過ぎている。いつ何時効力が失われてもおかしくない。
だがせめてあと数分、数分でいい。
俺の体よ、もってくれ。
4:34
「エクス、酷い有様だな。
ご自慢の兜はどうした?
落下した時に、失くしたか?」
イリヤとエクスは一定の距離を保ちながら円を描くように移動している。剣とハルバードは血を求めて、切っ先を向け合っている。まるで試合開始前の闘犬が唾液に濡れた鼻先を突き合わせて威嚇するように。
イリヤの後方では未だ、死闘が繰り広げられていた。
イリヤの背へ、寄生兵士が駆け寄ってくる。その気配を感じた。奴らは無尽蔵だ。倒しても倒しても、次がやってくる。呆れ返るほどの数だ。裏を返せばそれだけこの城にはたくさんの人間がいて、そして、今回の事件によってそれだけ多くの命が失われたということだ。
イリヤはいちいち振り向かない。処刑人を前にして、そのような隙を晒せない。
だからといって、何も心配はしていなかった。
イリヤには、頼れる仲間がいるから。
寄生兵士を吹っ飛ばして石柱へ叩き付け、床面を滑るように移動しながらイリヤの背後へ、ノルドが駆け寄ってきた。
「師匠!」
「背中の守りは私に任せよ!」
「有り難い!」
「その男は私の手には余る」
ノルドは剣を手にしていない。素手だ。彼の専門は徒手空拳による拳法。得物を持たない状態こそが本来の彼のスタイルだった。
これで気兼ねなく、処刑人との戦いに集中できる。
イリヤはエクスに向かって再度、獰猛な笑みを浮かべる。
ケイの奇策によって炎上して転落したエクスは死んではいなかった。
恐らくあれは炎を雨で消す為にエクス自らが選んだ方法だったのだ。
やはり、自分が斬らなくてはならない。
これは宿命だ。
そう、イリヤは思った。
ロメール帝国軍遊撃部隊、現在の所属はイリヤただ一人。つまり実質遊撃部隊というのはイリヤの別称に過ぎない。
明確な入隊条件は無いが、少なくとも一個中隊に匹敵、すなわち200名程度の兵士から成る軍隊と同等以上の個体戦闘能力が求められる。
それは言い換えるならば、ただ一人の人間が、戦争において、たった一人で敵軍を壊滅させられる可能性を孕むほどの能力を持つ、ということだ。
このような特徴から、イリヤほどの際立った武の才を持つ者でなければ遊撃部隊として認められない。
イリヤの師であるノルドが現役時代いかに強かったかがこれで理解できよう。
処刑人エクスとはかつての同僚。
遊撃部隊という組織に最初に属した男。要するに、遊撃部隊結成の切っ掛けとなった男。ロメール帝国最強と謳われた男。そして、強すぎる攻撃性と殺人衝動から狂気の淵へと転落した男。
イリヤは、そのような男と対峙している。
まるで鏡だ。
イリヤは思う。
あまりにも強大な力は、方向性を間違えれば簡単に、邪悪な殺人兵器へと姿を変える。
イリヤには師があり、仲間があり、そして生来の強い意志があった。
だが一歩間違えればイリヤでさえも、処刑人のように闇へと堕ちていただろう。
環境要因がほんの一つ掛け違えていれば、あるいはほんのささいな切っ掛けが生まれていれば。
どのような善も、裏を返せば悪になる。
完全なる正義など、どこを探しても存在しない。
イリヤが振るう剣も、真なる正義を体現しているものではない。
イリヤが今宵殺した多くの仲間には家族があり、友があり、夢があったことだろう。
それら全てを、イリヤの剣は奪い斬り捨てたのだ。
魔物に成り果てたとはいえ、元は皆同じ人間だった。
イリヤに言い訳はない。
自分がした事について弁明するつもりはない。偽善を語るつもりはない。
誰かが成さねばならないことだったのだ。それを出来る力が、自分にはあったのだ。
イリヤの剣は、揺るがない。
正義でも悪でもなく、判断基準は彼女の中にしかない。
自分が信じるものの為に、自分が守りたいものたちの為に、ただその為だけに在ればいい。
多くを求めれば多くを失い、理想を語れば残酷な現実が襲う。
ラガドがそうだ。エクスも、きっとそうなのだ。
イリヤが剣を振るうのは、自己満足でしかないのかもしれない。
それでも、そこに意味はあるのだろう。
酒井雄大が、彼女の芯の強さによって気高く開花したように。
彼女の強さは、誰かを常に救っている。
イリヤは、彼女が持つ竜胆玉鋼の剣のように、鮮烈な光を放ってそこに立つ。
「その状態では苦しかろう。
決着をつけよう、かつての友よ。
私が、安らかなる死をくれてやる」
水のようにイリヤは動いた。
エクスの暴風圏へ、足を踏み入れた。
死への恐怖などとうの昔に心の奥底へ仕舞い込んだ。
今、イリヤにあるのは意志、どんなものにも決して穢されない、揺るがされない意志。
意志が、死の権化へと叩き付けられる。
初撃は突き。処刑人の最初の一手はそれだった。
最短でイリヤの体へ届く攻撃、槍での突きだ。
ただの槍ならばイリヤは剣で軌道を逸らして一気に距離を詰めに行くだろう。
だがそれは槍斧に対しては実行できない。ハルバードは槍の側面に斧と突起を備えた特異な形状をしている。剣は、そのどちらかに引っ掛かることになる。そして膂力に勝るエクスによって、絡め取られてしまうだろう。
器用なことに、エクスはハルバードを捻りながら突きこんでくる。この動作によって真下から跳ね上げられる危険を排除。同時に突きの威力自体も底上げしている。歴戦の猛者ならではの発想だ。
イリヤはしかし、下がらない。
時間はかけない。かけられない。
前へ。
回転しながら突っ込んでくる殺意へ。
半身になって槍による突きを回避。それでもなお、突起が迫る。イリヤの胴当ては先のエクスとの戦闘時に激しく損傷している。斜めに深い亀裂が走っており、恐らく次の攻撃には耐えられない。
なぜ、なにゆえに彼女は前へ進むのか。
ガッ。
鈍い音がして、ピックが胴当て深くに潜り込んだ。回転力と単純な腕力によって遂に、イリヤの防具は砕けた。
しかし、それこそがイリヤの狙い。
深く亀裂が走っているということは、そこに“突起を引っ掛ける為の溝が生じている”ということ。
破壊の際に一時的に、ハルバードは溝にはまって回転を、止める。
「おおっ!!」
イリヤが吼えた。
凶悪な刃物が揃う先端を一気に抜け、柄を肘打ちで跳ね除け、駆け抜ける。
エクスはそれでも慌てない。触手、触手、そして触手。10本どころではない。一体何本生成しているのか。圧倒的な肉量を持つエクスの肉体は、寄生魔獣パラディフェノンとの親和性が極めて高い。いくらでも、武器を生成できる。
イリヤは駆ける。矢の如く。一筋の光の如く。
触手による攻撃よりも遥かに速く。
何物よりも、あるいは音よりも速く。
竜胆玉鋼の剣が閃いた。
果たして誰に、今のイリヤの動きを追う事ができようか。
光芒が、そこに生じたようにしか見えなかったであろう。
剣は、断った。
処刑人を、その首を、一撃で刎ね飛ばした。
刹那の決着。しかし簡単では無かった。
覚悟と機微なくしては勝ち取り得ない戦いだった。
宙を舞うかつての同僚の首を一瞥し、イリヤは剣を振り払い、血を飛ばした。
「 」
何かを言いかけて、イリヤは口を噤んだ。
かけてやる言葉など何もないと悟ったからだ。
エクスは自ら血の道を歩み、その行路の果てに散った。
慰めも蔑みも、この男には意味を成さない。
無言のまま、イリヤは一礼した。




