Day.1-9 サクゥイ・ユダーイ
「やぁ、ジューク。
たまには普通に出てきたらどうだ」
黒煙を伴って突如出現した少女に向かい、イリヤさんが言う。
「それじゃ面白くないじゃん。
てか、君、誰?
見ない顔だね。
誰誰?」
「え、ええっと」
女の子の不意打ちの登場に俺が気圧されていると少女はぐいと上半身を近づけて俺の顔を間近に覗き込んできた。
「わわっ」
思わず、顔を手で覆って避ける。この至近距離で女子と見つめ合うのはキツい。経験がない。いや、酒に酔ってる時に事務員のおばちゃんとなら経験があるってそれ今言うことじゃないだろ!っていう一人ツッコミをしてしまうほどちょっと慌てている。
「あーわかった!
どっかから飛んできたやつ!
そうでしょ?イリヤ」
「正解だ」
「名前は?」
「あ、俺の名前は」
「言うな!」
いきなり、イリヤさんが言い放った。まるで雷のように激しく鋭く。
俺も、ジュークと呼ばれた女の子も思わずイリヤさんのほうを向く。
「迂闊に名を、口にするな」
「……え、どうし、て?」
「時機を逸したから今言っておくが……お前のその名、それはこちらの世界では極めて危険な名前だ」
「危険……?」
「酒井雄大は、相手を豚に変える魔術を使う際に詠唱する、呪文のことだ」
「ええっ!!?」
「呪符を掲げながら唱えれば、相手を豚に変えその者は一生元の姿には戻れない。
これを呪符を使わずに言えばそれは、相手に対する最大級の侮蔑ということになる。
仮に王に向かって言えば、その場で即刻斬り捨てられても文句は言えない」
そ、そんな……。俺の名前、めっちゃヤバイやつじゃん。そういえば最初に俺がイリヤさんに対して名乗った時、イリヤさん、条件反射的に剣を抜いたもんな。だから俺は斬られそうになったのか。
「な、なんてこった……」
「うっそー!サクゥイ・ユダーイっていうの君!
信じらんない!こんなひどい名前初めて聞いたよ。
っはっはっは!!」
「わ、笑うな!
というか君、誰だよ」
「私ぃ~?
こう見えて魔導師です!」
いやどう見ても魔導師だよ。
「ジューク・アビスハウンド。
ロメール帝国軍魔導部隊隊長にしてロメール帝国魔導師養成所所長、そしてロメール帝国特別顧問。
よろしく、豚くん!」
豚じゃねぇ!
そして肩書きが多い!
「つまりジュークは実行部隊の長であり、学長でもあり、王と対等に会話ができる数少ない人物でもあるということだ。
本人はこんなだから誤解されがちだがな」
イリヤさんが補足説明をした。
ううむ……それほどの大人物には見えないが。
「ちなみにさっきの黒煙は魔術ではなくただの煙玉だ。
ジューク自体は窓からこっそり侵入してきたに過ぎない」
「あ!イリヤ!ネタばらししないでよぉ」
「下らぬ手品はそろそろやめておいたらどうだ?
そもそも今日は一体何の用だ」
「あ!そうそう、ちょっとした伝言があるんだった」
ジューク・アビスハウンドは俺の方を向いた。
「もし王に謁見するつもりだったのなら、それは中止だね。
王は外遊中に敵襲に遭い、まだ帰国していない」
敵襲だって!?
それのどこが“ちょっとした伝言”なんだ。
ものすごい、ヤバイ話なのでは?
「外遊中だと?
私はその報告を受けていないが」
「何でも極秘の会合があったらしいね。
てなわけで、豚ちゃんはしばらくどこかで身柄を押さえておかないとね」
「その、豚ちゃんていうのはちょっと……」
「ダメぇ?かわいいのに」
「そんなことはどうでもいい!
ジューク、敵襲と言ったな?
どこでだ?
王は無事なのか?」
「私の直属の精鋭魔導師達が王の警護についてるからね、まず大丈夫だと思うよ。
ただ帰路の警備体制が充分に整っていないから、帰国までに数日かかるだろうね」
「そうか、了解した。
私が赴く必要は無さそうだな。
それで、敵の正体は?」
「護衛部隊との連絡が一時的に途絶えているから、今のところ不明。
だけど、魔導石の通信リンクを妨害する能力を相手が持っているとすれば……」
「魔族の可能性が高いか」
「魔族?魔物じゃなくて?」
「魔物の中でも特に知能が高い者達を、私たちは魔族と呼んでいる。
奴らの存在は人間にとっては脅威だ。
なぜなら奴らは私たちとの共存を望んでいない」
「今のところ表立っての戦いは起こっていないけど、魔族が本格的に人間に対し宣戦布告してきたら……太刀打ちできるかどうかは未知数ってとこだね」
意外にもこの世界は、危険な状況にあるようだ。
人間と同等の知性を持つ……“魔族”か。
「それで、伝言ついでにイリヤと軽く打ち合わせをしておこうかな~って思ってね」
「うむ、分かった。
ならばこの男はどうする?」
「込み入った話になるだろうし、どこかで待機しておいてもらわないといけないね」
「ならば私の利用している宿に連れて行こう」
俺のことをそっちのけにして、イリヤさんとジュークとの間で話は決まってしまった。