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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ベナンダンテ:白銀の女王

作者: The.Snow.Queen.

残酷な描写有、ダークファンタジーです。

感想・ご意見全力待機です。


 あの出会いは運命なのか、必然なのか。私には分からないけど、でも。

 大きく人生を変える出来事だった。


***


 見慣れた森の入り口で町の子ども達が石を投げてくる。子どもの手でも投げられる石は小さいけど、それでも当たると痛い。殴られる感覚に似ている。ざらついた石の表面は私の肌を傷付け、赤い線を引いていく。

 子ども達は石を投げるのに飽きたらず、殴る蹴るの暴力まで私に加えていた。

「おい! そいつに触ると赤目がうつるぞ!」

 一人がそう叫ぶと他の子ども達は甲高い声を発しながら、その顔に笑顔を浮かべて私に触れていた男の子から逃げて行く。

 彼らにとってその行動は痛めつけるのではなく、遊びの一環だった。小柄で力も弱い私は、ただ涙を流しながら止めて、と懇願するしか方法は無かった。


「母さんが言ってたぞ! 赤眼は人間じゃないって!! 人狼だって!」

「ここから出て行けよ!」

 恐怖に従順で素直な子どもには、私が異質な存在だという事実が殴ることに対して罪悪感を生まない。また殴られる、そう思った瞬間、私の上に影が降り立った。


「やめろよ」

 まだあどけなさの残る少年の声。白銀のふわふわな髪は日に当たって輝いていた。私は助けが来たことよりも、目の前の少年の美しさに心が奪われていた。いや、私だけじゃない。私を痛めつけていた子ども達もだった。

 私を殴ろうとした男の子の胸倉を掴んで、白銀の少年は静かに告げる。同じくらいの背格好なのに、男の子の足が浮いていた。彼にそこまでの力があることにも私は驚いた。

「やるか? 次は俺が相手になってやるぞ」

 きっと本能で感じ取ったのだと思う。“彼には勝てない”と。白銀の彼が地面に投げ捨てるように男の子を離すと、みな一目散に逃げて行った。


「あんた、大丈夫?」

「う、うん……」

 振り返った彼は不思議な色合いのグレーの瞳に好奇心と私を浮かべ、形の良い唇で笑った。

「俺は赤い眼、かっこよくて好きだ」

 好きだ、と言われたのは私じゃなくて私の目なのに。何故か胸が弾んで体が熱くなった。


 私の心を占めたのは、白いふわふわの狼のような男の子だった。


***


 部屋中に鬱陶しい目覚ましの音が響く。目を閉じたまま、音源である時計のボタンを押す。

 ゆっくりと瞼を開けると、窓のカーテンの隙間から陽光が差し込んでくる。

 朝。壁にかけてあるカレンダーを見る。ディア暦1818年4月20日。

 私の初仕事の日だ。


 顔を洗い、髪を結う。鏡には不安げな表情で金色の髪を編み込んでポニーテールにする、赤眼の少女が映っていた。


「ひどい顔……しっかりしなきゃ」

 私は今日からハンターになる。人狼を狩る専門者。人狼狩りのプロ。

 たるんだ頬を両手で叩き、私は鏡を見つめた。


 食堂に着くと既にアンドレイとミレーナがいた。桃色の癖のある髪をおかっぱに、同じ色の瞳とそばかすがアンドレイだ。双子の妹のミレーナは桃色の髪をハーフアップにまとめている。

「お姉ちゃん、おはよう!」

 赤眼が来たぞ、と近くで囁き合う声をかき消すようにアンドレイは私を呼んだ。彼のボーイソプラノの声は特徴的で離れていてもよく聞こえる。

「ブランお姉ちゃん、昨日はよく眠れた?」

 ミレーナはサンドイッチを頬張りながら、私を見上げた。

「まあまあね」

 私はこんがり焼けたベーコンとふんわりした卵焼きを口に含んだ。RRHの料理長こだわりの卵は何もつけなくても美味しい。敷地内にある鶏が生んだ卵をその日のうちに使っているのだ。RRHは対人狼に特化した治安維持組織だ。正式名称はRed Riding Hoodで、世界中に支部があるが私が所属する総本部はラフィエ王国の首都フィーネに位置している。


「連続失踪事件、未だに詳しい事は分かっていないみたいね」

 私は机上に置かれたRRH発行新聞の一面を見ながら呟いた。2年程前から起きている連続失踪。犯人は人狼だという噂があるが、まだ詳しいことは分かっていない。アンドレイとミレーナはびくりと体を強張らせ、不安そうな表情を浮かべた。


 双子のきょうだいと朝食を済ませた直後、建物内をつんざくような音が響き渡る。

『出撃命令です。アクトの街で人狼が出現。第4部隊、第7部隊、出撃準備を』

 繰り返します、と事務的な口調で指示が繰り返される。

「あたし達の出番ってわけね」

 ミレーナは渋々といった表情で立ち上がった。


 私達は急いで食堂を出て、ゲートに用意されていた車に乗り込んだ。


 命令にあったアクトの街に到着すると、既にニコライ隊長が到着していた。いつも笑顔を絶やさないニコライ隊長はとても四十路過ぎには見えないが、実力は折り紙つきでRRHにもまだまだ数少ないデヴァイナーだ。

 デヴァイナーは人狼の動きを読むことが出来る能力を持つ。人狼が何人いるか、誰が化けているのかを判別することができ、別名占い師とも言われている。このRRH総本部にもそうそういない。

「ブランシェット、アンドレイ、ミレーナ。通報にあった狼はアクトで強盗を働き、それがバレた騒ぎでえらく精神が高ぶっている。現在は身を隠しているが、いつ狼狂になるか分からない。心して動くように」

了解ラジャー

「第7部隊と共同とはいえ、アクトは広い。小隊に分けて捜索する。ブランシェットとアンドレイペア、私とミレーナのペアで行動する。狼を発見したら通信をしてくれ」

「はい」

 座学でやったのは、部隊は基本ハンターとシンパサイザーで構成される。シンパサイザーはシンパサイザー同士で離れていても状況を送り合う事が出来る。部隊の通信手段を担っているのだ。そして、ハンターが人狼を狩る。これが基本の部隊編成。しかし、私が配属された第4部隊はハンターの私、シンパサイザーのアンドレイ、ミレーナ。デヴァイナーのニコライ隊長で構成されている。私達の部隊は総本部でも初のデヴァイナーが指揮する部隊ということで、能力面や性格面からの適性を重視した構成らしい。デヴァイナーが指揮しやすいように、隊員同士の相性を重視したものなんだとか。あくまでも噂ではあるものの、私はこの部隊が好きだ。


「では、任務開始」

 ニコライ隊長の合図に、私とアンドレイはニコライ隊長ペアとは反対方面の捜索に向かった。

 アクトの街は首都フィーネに近い街で、住人もそれなりにいる。人々は人狼が出たことが恐ろしいのか、家に閉じこもっているため、人気が全く無い。おかげで捜索がはかどる。

 人の気配が無いからだったのか、ふと見覚えのある姿が目に入った。白銀の短髪で背の高い男性。

「……グレイ?」

 今は任務中だし、しっかりしないと。しかし、どうしても気になって視線を戻してみると誰もいなかった。


「お姉ちゃん!」

 走っていると後ろからついてきたアンドレイが呼んだ。

「ニコライ隊長が狼見つけたって! ここから11時の方向だよ」

「了解」

 ミレーナから情報を受け取ったアンドレイに言われた方向に行くと、ニコライ隊長が人狼と対峙しているところだった。


 ニコライ隊長の武器であるナイフが指に挟まれている。ニコライ隊長の微笑みの先にいる男性も目を血走らせ、牙を出し、唸っている。臨戦態勢だった。

 肌に突き刺すような空気、油断できない時間が流れている。私はニコライ隊長の隣に立ち、毛を逆立てる人狼に静かに告げた。


「大人しく投降しなさい」

 尻尾や耳がもう出始めている人狼は、唸りながらも返答する。もう完全形態になるのも時間の問題だ。そうなる前に出来るだけ被害が少ない方法で捕えたい。

「お前らRRHが人狼を殺さないで済むわけがねぇだろうが」

「大人しく投降すれば殺しません。信じて、お願い……貴方を殺したくない」

「うるせえ!」

 彼は叫ぶと完全形態に入った。人間の皮膚からは毛に覆われ、手は前足に、後ろからは尻尾、顔は狼のそれに変化していき、大きく立った耳があちらこちらに動き、音を拾っている。唸り、牙を見せると地面を蹴って私達の方へと突進して来た。


「気をつけろ!」

 ニコライ隊長の声が響く。人狼は私を狙って走って来る。

 私はレッグホルスターからリボルバーを2丁取り出し握った。撃ちたくなんかないけど、牽制にはなるかもしれない。しかし、人狼はおかまいなしに牙を向けて来た。

 腕を狙って飛ぼうとした瞬間、足払いを掛ける。バランスを崩した彼は、石畳の道を転がった。


 私は地面を蹴りあげ、距離を縮めると彼の腹部に蹴りを入れる。人狼は呻き声を上げたがすぐに態勢を立て直し、今度は私の首元を掴もうと手を伸ばしてきた。私はしゃがみ込み、みぞおちを狙って立ち上がる。私の頭が彼のみぞおちに勢いよく当たった。骨が当たり、脳に波がくる。

 彼に反撃の機会を与えないように、私は拳銃のグリップエンドでこめかみをぶつ。右足に力を入れ、くるりと回転しながら左足で彼の顎を蹴りあげる。ひるんだ彼に全身の力で体当たりをした。


 大きく後ろに飛ばされながら地面を転がっていく。

 立ち上がろうとした瞬間、彼の後ろ足に縄がかけられた。

「やった!」

 アンドレイお手製の罠だったらしい。物陰からアンドレイがガッツポーズをした。人狼は多数を相手にしているせいか、みるみるうちに興奮していく。アンドレイの罠を千切り、再び私に向かって来た。

「ブランお姉ちゃんに手出しはさせないわ!」

 柔らかな声でミレーナが鞭で人狼の顔をはたく。勢いよくぶたれた部分は皮膚が裂けてしまっていた。


「糞が……クソッタレがアァァァア!!」


 大きく遠吠えすると牙の間から大量のよだれを垂らし始めた。手足が震え、爪が地面を抉る。目は焦点が合っておらず、フラフラと視線を彷徨わせている。

「様子がおかしい……」

「狼狂か」

 ニコライ隊長が静かに呟く。これが狼狂……? と聞くまでもなく、人狼はなりふり構わずこちらに向かって来た。応戦していたミレーナを飛ばし、突っ込んでくる。

 かわそうと身を翻すが、様子がおかしい人狼の方が素早かった。一瞬で間合いを詰め直し、そのまま体当たりされ、私は反動で地面を転がった。

 まるで馬車に突き飛ばされたかのような衝撃だった。鈍い痛みが体を支配する。手に持っていた2丁拳銃を握り直し、銃口を向ける。狼狂がどういうものなのか分からないけど、彼に私の言葉はもう届かない事は分かる。このまま撃つしかないのだろうか? もっと良い方法が、助かる方法があるかもしれない。


 考えを巡らせる頭を振り、私は人狼を見つめグリップを強く握る。撃てば彼は死ぬ。

 ――本当にそれで良いの?

 幼い自分の声が頭に響いた。私の迷いを鋭く咎めるように。


 そこからの景色は時計の針をゆっくりと動かしたかのように見えた。

 人狼の大きな牙が目の前まで迫り、同時にこめかみを槍が突き刺していた。一瞬で命を奪われた人狼は、血の海に亡骸となって横たわる。

 死んだ。死んでしまった。


「おい、コーリャ。お前の隊員は狼狂した人狼を殺せないのか?」

「彼女は初任務なんだ。仕方がないだろう」

 第7部隊の隊長が私を蔑むような、下品に笑った。ニコライ隊長は少しだけ表情を硬くして、第7部隊長から私をフォローしてくれた。

「役立たずの腰抜けが部隊にいるとは、災難だったな」

「よせ、セリョージャ」

「ふん」


 私は人狼だった“モノ”にもう一度目を向けると、そのまま意識を手放した。


 それからどうやって自室に戻ったか記憶はなかった。

 人狼が死んでしまったこと、狂ってしまったこと、全てが衝撃的で今も悪夢を見ているかのようだ。


「今日はゆっくり休むと良いよ」

 部屋まで送ってくれたらしいニコライ隊長の顔を見る。不安げな表情をしていたのだろう、出て行こうとした隊長は私に向き直った。

「狼狂というのは、文字通り人狼が狂ってしまうことを言うんだ。理性なんかないし、敵味方の識別さえ出来ない。目につくもの全てを喰らう。そうなってしまえば元に戻せないし、救う方法は殺すしかない」

「殺された人狼は……強盗の証拠なんてありませんでした。本当はやっていないのかもしれない、でも誰かに人狼だってバレてしまった……証言で何とでも罪を被せられる。本当は死ぬ必要なんて無かった人物かもしれない、普通に生きていただけなのかもしれない。私はそんな彼を撃って良いとは思えませんでした。あの時、足を撃っていればあんなことにはならずに、RRHに収容されただけかもしれないのに……」

「ブランシェット、これからこの仕事を続けるには切り替えが必要なんだ。デヴァイナーは、狼の位置や化けている狼を判別できる代わりに、欠点があるんだ」

 ニコライ隊長は少しだけ悲しそうに微笑むと、いつもの笑みに戻って続けた。


「1つは判別できる範囲が限られていること。もう1つは“彼らの声”が聞こえること。私も初任務は衝撃的だった。理性はないとはいえ、感情が入ってくる。痛い、助けて、いじめないで、ってね」

 もしかしたら今日の彼もそんな気持ちだったのだろうか。

「1週間寝込んだよ。まるで自分達が悪者になった気分だった。私達RRH、特に人狼を狩るハンターは人間からは英雄視されている。正義の味方だと思っていた。でも……その声を聞いた時は本当にそうだったんだろうか? ってね」

 ニコライ隊長はそっと息を吐いた。

「私にも生活があるし、私の人生がある。進むには犠牲が必要なのかもしれない、と言い聞かせて毎日を過ごしていくといつの間にか切り替えられるようになった。任務で人狼が死んで、最期まで声が聞こえていても、“あれは仕事だった”って。ブランシェット、君はとても優秀だ。感受性が高い。だが、その特性が君の首を絞めないようにするには、いつだって割り切る事が必要なんだ。不器用な人間ほど生きにくい世界だから」


 今度こそお暇するよ、とニコライ隊長は出て行った。私は扉に頭を下げ続けながらずっと考えていた。

 何が正解だったの? 私はどの選択をするべきだった?



 今日は任務担当ではない非番の日。非番といっても休日ではなく、訓練に時間を使う為の日だ。

 私はいつものようにレッグホルスターから愛用拳銃を取ると、的に向かって片手ずつ撃っていく。片手拳銃とはいえ、反動もあるので両手で撃つことはまだ出来ないが、出来るように毎日訓練している。

 隣のブースでは、双子のアンドレイとミレーナがお互いの武器を使って戦闘訓練をしていた。アンドレイはトラップを仕掛けるのに秀でているが、ミレーナ同様鞭を使う。同じ双子といっても、鞭の適正はミレーナの方が高いらしくアンドレイが押されていた。白い円の外に出たら負け、というルールなのだがアンドレイはその線の際まで追い詰められている。ミレーナの勝ちだと思った瞬間、彼女は地面に消えた。落とし穴だ。

 ああやって双子は自分達の適性を活かして、絶妙なコンビネーションを魅せる。シンパサイザーは通信を担う役目とはいっても、戦闘がないわけじゃない。もしかしたら、2人の方が私より強いかもしれない。


 私は自分を強いとは思った事はないけど、弱いとも思った事が無かった。ただ今は自信が無かった。

 罪を犯した人間を取り締まるのが警吏で、罪を犯した人狼を取り締まるのがハンター。私はそう思っていたし、今も思っている。決して根絶やしにして良い存在じゃない。

 討伐課に配属された時、人狼を守るハンターになると決めたはずなのに。私は彼を守れなかった。素早い判断で狼狂になる前に捕えていたら……。そうしていれば、槍で串刺しにならずに済んだかもしれないのに。


「おい、赤眼のブランシェット!! 射撃場を使うのか? 使わないのか? ボーッとするなら出て行け! 訓練の邪魔だ」

 訓練官が怒鳴る。私は続ける気にもならず、その場を後にした。


 ブランシェット・シャルル・ティーク、悩んだ時は根源を調べる事。

 私は父に幼い頃から言われ続けていた言葉を口にして、図書室へと向かった。


 RRHでの養成学校でも人狼については学んだ。でも、その知識はおそらく表面的なものだけ。

 私は人狼についてもっと深く調べようと、本を漁った。


 ウェアウルフ。

 人間の姿をした獣。狼でありながら人の世に紛れて暮らす魔物。人を喰らうもの。人々の知識はこれだけだ。

 何故、ウェアウルフが生まれたのか? どこから来たのかなんて誰も知らない。


 図書室の螺旋階段を上がっていくと、頂上に禁書の間があった。普段は施錠されていて、入れるのは最高責任者と本部長、副部長だけだ。

 でも、今日は――

「開いてる……?」

 そっと扉を押すと、私を迎え入れるかのようにゆっくり開いた。

 禁書の間は埃っぽく、書架に並べられている本のどれも古びた背表紙をしていた。書架の中心に配置された執務机の上に一冊の本が置かれている。題名は『ウェアウルフ』、著者はマデリン・キンバリー。RRH総本部の副部長だ。


 表紙をめくると、丁寧な字でマデリンの言葉が書かれていた。

『私が人狼研究を始めた最初のきっかけは、知的好奇心からだった。次のきっかけは、ソリドスの悲劇で恋人が殺されたことだった。しかも目の前で。ここに私が研究したすべての事を記す。 マデリン・キンバリー』


 衝撃的だった。私はページを次へとめくっていく。


『人狼というのは別名で、正式な呼び方はウェアウルフである。容姿は人間に酷似しているが、五感が優れている。ただし、精神面では脆く追い詰められたウェアウルフは“狼狂状態”になる。この状態になったウェアウルフは自身の能力を最大限まで上げ、尚且つ錯乱しているので非常に厄介だ。そうなった場合――』

 止める方法は殺すしかない、と書かれていた。


 人狼と人間は相容れない存在なのだろうか、と落胆しかけた時気になる箇所を見つけた。


『ウェアウルフの歴史について。ウェアウルフの始まりは、中世の時代まだ国というものが安定せず領土拡大に権力者たちが躍起になっている「波乱の時代」で生物兵器として研究されていたのが始まりとされている。そしてその名残にウェアウルフの群れ(パック)には必ず“女王”と“騎士”が存在する。女王は群れのウェアウルフを統率する役目を担い、騎士は女王を守る存在である。女王因子を持つ個体の特徴には赤眼が挙げられている』


「どういうこと……? 生物兵器だった?」

 書物に書かれている事が正しいなら、人狼は魔物なんかじゃなく、人間を元に作り出した兵器だとしたら。

 今の世界は間違っている。人間に生み出された人狼が使い捨てにされ、後世でも差別されるなんておかしい。憎むべきは人狼じゃなく、生み出してしまった先人達で、波乱の時代を過ぎた今は歩み寄るべきだ。


 出来る。人とウェアウルフが共存できる時代を作る。


 ただ、狼狂をした人狼を見れば人々が恐れるのも分かる。人間では太刀打ちできないような破壊力と足元にも及ばないだろう身体能力。それが最大限まで強化されるのだから一般人からしたら災厄そのものだろう。

 でも、何か手はあるかもしれない。


 扉の方から足音が響いてきた事に気付くと、慌てて書架の影に隠れた。

 入って来たのは警備員だった。私には気付かず、一通り見渡すとそのまま出て行った。

 私はマデリンの本を執務机の上に置き直し、書架から取り出した本も元の場所に戻して禁書の間を去る。


「……RRHに警備員なんていたかな?」

 ふと疑問に思って禁書の間を振り返ると、何故か誰かに見られているような気がした。



 あれから私はずっと悩んでいた。人狼が生物兵器だったこと。私達は生物兵器として生みだされた彼らを狩る側の人間。

 本当にこれで良いのだろうか? 誰も幸せになんかなっていない。きっとあるはず、皆が幸せになる方法が、どこかに――。


「お姉ちゃん! どうしたの?」

「考え事しているの?」

 ふいに背中に温かみを感じて振り返ると、アンドレイとミレーナが抱きついていた。

「おはよう、2人とも」

「おはよう、ブランお姉ちゃん悩み事?」

「ううん、何でもない」

 純真無垢を体現したようなこの双子には、重い話はしにくい。何より人狼のことを言えばきっとショックを受けるだろう。


「あらぁ~、ちょうどいい所にいたわねぇ。そこの3人組、あたしを手伝って頂戴?」

 アンドレイ達の追及を受けている所に、オリーブ色の波打つ長髪を腰辺りまで揺らして、切れ長のグリーンの瞳に片眼鏡をした女性がやって来た。自らの体付きを強調するようなトップスの上に白衣を着ている。

 マデリン・キンバリー。女性初の副部長を務め研究室長も兼任している。そして、人狼研究のエキスパート。


「了解です」

 これはチャンスかもしれない。あの本を書いたのはマデリン副部長で、成り行きとはいえ滅多に会えない本人と過ごす時間がやって来た。色々聞いてみたいことがある。


「やって欲しい事は書類整理と提出をお願いしたいの」

 マデリン副部長についていくと研究室にやって来た。書類だらけで机にはいくつもの山が作られている。これは雪崩れてしまうと恐ろしい事になるだろうな……。

 意外にも手伝いといえども中々に忙しく、あっちこっちに書類を提出したと思えば、書類整理に走り、廃棄分の書類の塊を処理場に持っていくなど副部長と2人きりになる時間は暫く訪れなかった。


 これで最後の分よ、と提出分の書類をアンドレイ達が持って行ってくれた後、ようやくマデリン副部長と2人きりになれた。


「何か聞きたそうね?」

 話を切り出すタイミングを探していると、彼女の方から話しかけてくれた。

「あ、あの……ウェアウルフについて研究されているんですよね」

「そうよ。ハンターとして現役だった頃からずっと」

「そうだったんですか……。私もハンターをする上でウェアウルフについて詳しく知りたいって思っていて」

「聞きたい事があるのね。ウェアウルフは本当に興味が尽きない対象よ。彼らが人間と違うのは――」


 その時だった。

『緊急出撃命令です。連続失踪事件の犯人が逃走中とのこと。第2から第4部隊、出撃準備を』

 こんな時に緊急出撃命令とは。かなりの重要性事件らしい。私はマデリン副部長に一礼すると、戻ってきたアンドレイ達とゲートへ向かった。


**


「人狼の男と人間の男と違うのは、夜がとても丁寧ってこととかね」

 あの子が聞きたがっているのはそんなんじゃないわね、と独りになった研究室でマデリンは呟いた。


**


「今回は連続失踪事件の犯人の拠点が発見されたとの通報だ。連続失踪事件について3人は知っているかな?」

「はい、不特定の男女数人が失踪している事件ですよね。2年程前から定期的に失踪しています」

「犯人は複数人、今回の拠点を中心に活動しているとの情報。もしかしたら誘拐された人々がいるかもしれないが、今回は警備隊と共同戦線だ。我々のすべきことは人狼の捕獲だということを念頭に」

「……了解」


 車を降りると他の隊に加えて警備隊もいた。合流すると、既に目星をつけていたらしい拠点まで案内してもらい、突破に秀でた第1部隊が突撃したのを合図に私達も後に続いていく。

 中には何人かの人狼がいて、その奥にも部屋があった。他の隊員達に任せ、私達は奥の部屋へと向かう。

 扉を蹴破るとそこには失踪事件の被害者らしき人物が数人、横たわっていた。ここに捕えられている間、殴られていたのだろう。彼らの顔には痣や出血の痕があり、怯えた目でこちらを見ていた。かなり人数が多い。

「これは警備隊だけじゃ厳しいな……ブランシェット、先に奥を見てくれ」

「了解です」

 被害者を警備隊とニコライ隊長、アンドレイ達に任せると、私はさらに奥へと進んだ。


 ひときわ広い空間に、玉座のように置かれた椅子。王の間とでも言いたげなその部屋に、人狼らしき男性が立っていた。艶やかな黒髪を片側だけ三つ編みにして垂らし、澄んでいる黒い瞳には虚ろで唇から犬歯がのぞいている。その容貌はまるで絵画から出てきた天使のように神々しい美しさを放っていた。しかし、彼の瞳には昏く、悪魔的な雰囲気も感じられた。

「貴方が連続失踪事件の黒幕?」

 ゆっくりと話しかける。

「……」

 彼は口角を上げながら首を横に振った。

「やっぱりお前だな、小娘。人間の血が入っているとはいえ、陛下の血が濃い」

「何を……言っているの?」

「女王が覚醒するには狼達との接触が必要……未来の女王陛下、俺様と遊ぼうぜ!」

「だから、何を言っているの!?」

 全く話が通じない。彼の話している事が全く理解出来ない。女王?


 彼は一瞬で間合いを詰めてきた。まずい。そう感じるとともに同時にリボルバーを取ろうとする。

「おせぇよ」

 2丁の拳銃は既に彼の手元に渡っていた。

「所詮はまだ人間だ、な!」

 呆気にとられてしまっていると、足が右の脇腹を抉った。地面に叩きつけられる前に受け身を取ったものの、脇腹が鈍い痛みを持っている。あっという間の事だった。気を抜いちゃだめだ。彼は強い。


 彼は拳銃を使うつもりはないらしく、手で弄んでいるだけだった。痛めつけるのに武器は要らないとでも言いたげだ。

 私は手をつき立ち上がると、彼を見る。漆黒の瞳はまるで鏡のように、彼の見る世界を映し出す。しかし、どれも空虚でどこか寂しげだった。何か物足りなさそうな、何かを待っているかのような――。


 地面を蹴ると瞬時に私との間合いを詰めてきた。彼が人狼だとしたら完全形態状態にならず、ここまでのスピードとパワーを誇るのは、相当手練れで厄介な相手なのだろう。

 長い足が目の前まで迫る。咄嗟に顔を守るため腕を持ってくるも、やはり衝撃は大きかった。同じように私はまた地面を転がって倒れた。

「かはっ……!」

 腹部を倒れた拍子に痛めたらしい。空気が逃げるように口から出る。横腹に拳銃が投げつけられる。

「もう終わりかよ、小娘?」

 強い。私じゃ歯が立たない。負けるかもしれない。圧倒的な実力の差に私は歯ぎしりをする。ここで私が捕えなかったら、失踪事件の被害者は増えるばかり。不当な扱いを受ける人狼も守りたいけど、人間だって守りたい。どちらの種族も守る為にはこんな様じゃ叶えらない……。

 彼の足が私の頭を踏む。地面にめり込んでいるかと思う程、頭蓋骨がきしむ。


「お姉ちゃん!」

 遠のきそうな意識の中で特徴的な声が響く。

「ブランお姉ちゃんから離れて!」

 ミレーナの鞭が私の上に立つ彼に襲い掛かるも容易にかわされてしまう。

「アンドレイ、ミレーナ、ブランシェットの治療を。……そして今の君はヴァン、かな?」

 彼が離れた隙にアンドレイとミレーナが駆けつけてくれた。ニコライ隊長は先ほどの彼と睨み合いを続けながら、お互いぴくりとも動かない。ヴァン、と呼ばれた彼は不敵に笑うと大きく頷いた。

「ご名答。ヴァンダリカだ」

 ヴァンダリカと名乗る漆黒の瞳と髪をした青年は、ひらりと私達から離れるとショーマンのように大きく両手を広げた。


「別れの挨拶に名乗ってやるよ。俺様はヴァンダリカ、別の名をフェイトシア。1人で2人、2人で1人のウェアウルフ達のチーム“フェイトシア”のリーダー。またいつか会おうぜ、女王陛下サマよぉ」

 ヴァンダリカは椅子をひっくり返すと地下へと続く穴へと逃げて行った。


「……ご迷惑をおかけし、申し訳ございません」

 私はアンドレイ達に支えられながらニコライ隊長の元へ歩み寄った。

 私の失態のせいで犯人を逃してしまった。それもウェアウルフ達のチームリーダーと名乗っていた人物を。

 必ず捕えなければならなかった。捕えるべき存在だったのに。彼を野放しにしてしまえば、人間にも人狼にもどういう被害が及ぶか分からない。何故か、彼が絶対に何かを起こすと本能が訴えていた。


 ニコライ隊長はいつもの顔でゆっくりと私の様子を観察すると、頭を撫でた。

「ヴァンと1人で交戦出来るだけ物凄く成長したということだよ。まだ配属されて間もないのに誇れることだ」

「ありがとうございます……」

「さて、肋骨と上腕骨が骨折しているかもしれないな。急いで医務室へ向かおう」



 総本部に戻る道中、体を走る痛みに耐えながら思い返していた。彼は私のことを“女王”と呼んだ。

 私は……人間だよね?




 幸いなことに肋骨と上腕骨は骨折していなかった。医務室長も驚きながらこんなに体が丈夫なのは驚きだ、と評してくれた。打撲はしているものの、3日ほど休みを貰って治療していくうちに痣だけになっていった。


 今日はそんな休日だ。


 食堂でいつものように朝食を食べていると、アンドレイ達がやって来た。

「お姉ちゃん、おはよう」

「おはよう、ブランお姉ちゃん」

「2人ともおはよう」

 朝食プレートから目を逸らして彼らに視線を向けるといつもと様子が違う。

 天真爛漫な笑顔で元気いっぱいなのに目の下にはクマがあり、ミレーナは少し目が腫れている。アンドレイも心なしか顔色が悪い。様子がおかしい。


「アンドレイ? ミレーナ? 何かあったの」

 いつも大食いのアンドレイがヨーグルトしか口にしていないし、ミレーナは大好きなロマンス小説を逆さまにして読んでいる。2人とも何かあったに違いない。

「うーん、失踪事件一応解決したのかなぁって……」

 アンドレイがヨーグルトをスプーンですくいながらぽつりと言った。

 そうだ、彼らのお父さんは――。


「大丈夫だよ、アンドレイ」

「あたし達もそう言い聞かせたいの……。でも、失踪事件の被害者を見ているとどうしてもパパが思い浮かんで……」

「いつ会えるんだろうって。何で居なくなったの、どうして僕達を置いて行くの? パパはどうして急に居なくなったりしたんだろう……」

 RRHの養成学校に同時期に入学した私と彼らは、学科は違うけど基礎座学の時間で一緒になったのをきっかけに仲良くなっていた。そこで知ったのは彼らが人狼を狩る組織RRHを目指した理由。それは突然失踪した父親を捜すため。

 彼らが人狼と人間のハーフだと告げられたのは、6年前に父親が失踪したその日。母親は涙を流しながらその事実と父がもう帰ってこないことを2人に告げたらしい。まだ幼かった双子は父を探すには人狼と関わりが深いRRHに所属すれば父親を見つけられるかもしれないと思ったそうだ。


 しかし、未だに消息は分かっていない。


 私は2人にどう声を掛けるべきか悩んだ。私は幼い頃に母を亡くしているが、生まれた時にはもう他界していたので母がいない悲しみは知っていても母がいなくなる悲しみを知らない。

 でも、今の彼らを支える事が出来るのは私だけだ。

「アンドレイ、ミレーナ。私はあなた達の味方よ。何があっても傍にいる」

 そう言うと2人はほっとしたように微笑み合った。


 休日といってもやることがないのでとりあえず、街に行く事にした。

 RRH総本部がある首都フィーネには他国や他地域から取り寄せた品が集まる。貴族達も買い物に行くならフィーネの街というほど何でも揃っている。


 街に出たは良いが、店のガラス越しに可愛いぬいぐるみや服、変わった食べ物をただ眺めているだけだ。これといって欲しいものもないし、何を見ても心が躍らなかった。

「おい、ブラン?」

 街を流れていく人々を見ていると肩に手が置かれた。突然の事に驚き、反射的に振り返るとそこには懐かしい顔があった。

 白銀の髪に、不思議な色合いをしたグレーの瞳。悪戯っこのような微笑を浮かべた彼は、幼い頃から変わっていなかった。


「グレイなの?」

「そっくりさんに見えるか?」

「見えない。まさか本物に会えるなんて思わなかった」

 私達は幼い頃ブルクボンで知り合った。町の子ども達からいじめられている所を助けてくれた彼の後ろを私はずっとついていった。いつ頃か会えなくなっていたけど、再会した途端に私達の間には昔の時間が流れ出す。


「久しぶりに会ったし話でもしねぇか? お互い話すことたくさんあるだろ」

「そうね」

「まぁ、ここじゃ人も多いし、森の方に行こうぜ」

 グレイの提案に私は賛同した。


 フィーネの近くにある森は小さいため、散歩コースとして親しまれている。しかし、いつも動きにくそうな格好をしている人々はあまり近寄らないので、人気はほとんど無い。


「何年ぶりだろうな」

「本当に。いつ会えなくなったのかさえ覚えてないもの」

「最近、何をしているんだ?」

「近況報告ってことね。私はRRH総本部で働いているわ。グレイは?」

 RRHの名を出した瞬間、グレイの顔が曇ったような気がした。


「俺は恩人の手伝いをしてる……なぁ、ブラン。何でRRHに入ったんだ?」

 鋭いグレイの視線に私はどうしてかいたたまれなくなった。何か悪い事をしてしまったようなそんな気さえしてくる。

「小さい頃、人と人狼は異なる存在で人狼は魔物だから退治しなきゃいけない、って思っていたの。でも、RRHに入って、座学や新人研修をしていくうちに人間と変わらない存在だなって思い始めた。人狼にも人と同じように音楽を聞いて楽しんで、中には菜食主義の人狼だっている。人を喰らうだけの生き物じゃない。彼らにも大切な人がいて、泣いて、笑って……家族も作って。そんな彼らを理性も何もない殺戮するだけの種族とは思えない」

「だったら、だったらどうして狩る側に居続けるんだよ……」

 グレイの苦しそうな声が耳に残る。我慢するかのように俯いて低い唸り声を出した。


「人狼を守る為にハンターをするって決めたの。人狼は怖い存在じゃないって、英雄視されるハンターが言えば人々も変わっていくと思ってる」

「人は変わらねぇ。変われねぇ生き物だ。ブランだって分かってるだろ。瞳の色が違うってだけで虐げられてただろ。人間っていうのは少しでも自分達と違うだけでも許せない生き物なんだよ」

 鋭い声に思わず身を強張らせてしまう。こんなに負の感情を露わにするグレイは初めてだった。


「すぐには無理でもいつかきっと……」

「そのいつかなんて来やしねぇよ」

「来るわ。RRHに入ってから私、友達が出来た。赤い瞳でも受け入れてくれる人はいたの。だから」

「人と狼が共存できるそんな平和な世界があれば、みんなありふれた幸せを望めただろうにな。でも、もう手遅れなんだ。今更、仲良しごっこなんて出来ない。殺した奴も、殺された奴も無かったことには出来ないんだ」


 森の木々の上を夕陽が塗りつぶしていく。木々から漏れる赤い光はまるで血を表しているかのようで、私を不安にする。無言だったグレイは立ち上がり、じりじりと私から離れていく。振り返る彼の表情は光に遮られてよく見えなかった。


「ブラン……RRHを抜けろ。フェイトシアの計画がもうすぐ実行される。もうとめられない」

 グレイを描く線がぐにゃりと曲がる。思わず瞬きをして見るとそこに居たのは、白い毛皮を纏った大きな狼だった。驚き、息を呑む音が森へ吸い込まれていく。グレーの瞳は人間にはない光を宿していた。


「グレイ……」

「頼む。ブラン、お前に死んで欲しくないんだ」


 待って。

 そう言い放つも私の言葉を遮るように、グレイは森へと消え去っていった。


 グレイが、ウェアウルフ――?




 目覚ましより早く起きてしまった私は、あの嫌いな音が鳴る前に時計を止めた。

 いつものように窓から陽の光が入ってくる。

 あの日からグレイの事が頭から離れなかった。何十年ぶりに出会えたこと、それだけじゃなく彼がウェアウルフだったこと。フェイトシアの計画について話していた。どうして彼はフェイトシアの情報を知っているの? フェイトシアは人狼達のチームだと統率者のヴァンダリカは言っていた。グレイが人狼なら彼はフェイトシアの一員なのだろうか。


 ずっと私の心から離れなかったグレイが、人狼。


 考え事にふけていると、建物内にアラーム音が鳴る。こんな朝から出撃命令は珍しい。

『狼狂した人狼討伐。ターゲットは6年前から狼狂していたα。第9部隊隊長は第4部隊に、第2部隊は第7部隊と合同で任務を遂行するように』

 私はそれを聞いて部屋を飛び出た。


 6年前から狼狂していた人狼。

 もしかしたら彼らの――。


 私は急いでゲートへと向かうと、既に到着していたニコライ隊長と双子達に合流した。アナウンス通り、第9部隊隊長が副隊長として合流していた。ベテランを新人の多い部隊に投入するということは、今回の任務は今までのものより遥かに危険だということ。

 緊張した面持ちのアンドレイとミレーナの背中を優しく押しながら、私は車に乗り込んだ。

 彼らの桃色の可愛らしい瞳が鋭い光を纏っていく。


「アンドレイ、ミレーナ。大丈夫?」

 重苦しい空気が走る車内で私は2人に声を掛ける。緊張や不安、恐怖が混じった感情は私にも伝わってきた。

「大丈夫だよ」

「ようやくこの時が来たの」

「きっと、パパだ」

 私は2人に励ましの声を掛けようとしたが、ぐっと飲み込んだ。彼らの父親は6年前に失踪して以来、音信不通だった。狼狂している今回のターゲットとは違うかもしれないけど、嫌な予感がする。もし今回の人狼が彼らの父親だったら。狼狂した人狼は殺すしか止める方法が無い。それはつまり彼らが実の父を殺さなければならないということ。私なんかに彼らの決意に言葉を掛けることは出来ないし、する権利もないと感じた。

 彼らが背負っているものを私は見守るしかないのだ。


 現場に到着すると第1から第5部隊まで到着していた。

「ここからは小隊に分かれて行動する。合同部隊の第2・7部隊は村の警護、第3部隊は負傷者の治療、残りの部隊は追跡にあたれ」

 第1部隊長の指示に全員の了解が重なった。

 現場となった村は酷い有様だった。人狼にやられてしまったらしい負傷した住民や、壁がはがれた家、抉られた地面。それらは軌跡のように森へと続いている。


「万が一、村に人狼が流れてこないように、通信しながら追跡を行おう。ミレーナは第2・7部隊と一緒に村の警護に当たりながら私達と通信してくれ」

「了解」

 ニコライ隊長はミレーナを残し、私とアンドレイ、合流した副隊長と共にターゲットの追跡へと向かう。

 村に残るミレーナにアンドレイは目配せをすると、それに応えるようにミレーナは強く頷いた。


「酷い有様だな。相当暴れているらしい……」

 森へと入っていくとそこは村以上に酷かった。折られた木々に倒されているものもある。踏み倒された草花はターゲットの足跡を残していた。あちらこちらに血痕が飛び散り、それが人のものなのか人狼のものなのかは分からない。

 追いかけていくと川に出た。川を挟んで向こう側にいったのか、それともここにまだ居るのか。痕跡は途絶えていた。


「お姉ちゃん、これ見て……」

 アンドレイがしゃがんで地面を指差した。彼の言う先を見てみると、点々と血の跡が川に沿うように続いていた。どうやら川は渡らずに上流の方へと向かっているらしい。

「隊長!」

 私はニコライ隊長に知らせた。しかし、

「おかしいな……私の方でも同じような血痕を見つけたんだ。しかもそれは下流に向かっている」

 どうやら目印は二手に分かれているらしい。私達は何かあればすぐに知らせると告げ、上流の方へ走り出した。


 上流の方へと向かうと静寂が包み込んだ。聞こえるのは吹き抜ける風と揺れる葉の音だけ。

 耳を澄ませてみると、そんな自然の音に紛れて荒い息遣いが聞こえてくる。私達じゃない声に身構えた。


 赤銅色の荒れた体毛に覆われた巨大な狼がいた。

 目は血走り、桃色の瞳には濁って何も映さない。ただ荒い息遣いを繰り返し、次の獲物を狙う。

「パパ……」

 アンドレイが震える声で呟いた。私はぎゅっと目を瞑った。

 神がいるなら、どうしてこんなに純粋なアンドレイ達に残酷な仕打ちをするのだろう。今まで必死に行方を探していた実父との再会がこんな形で実現するなんて。

 この世界は残酷だ。


 彼の父は息子の声など届いていないようで空を仰ぎ、遠吠えをする。臨戦態勢だ。

「ニコライ隊長! 上流でターゲットと接触、増援をお願いします!」

 アンドレイは下流へと向かったニコライ隊長に通信を行いながら、狼の攻撃を避ける。

「パパ、パパ! 僕が分からないの!?」

 必死に訴えるアンドレイの美しい声は、人狼の唸り声に掻き消される。


 私はアンドレイと狼の間に割り込み、肩を持って地面に投げ倒す。巨体が地面を転がるもすぐさま立ち上がり、土を蹴散らしながらこちらへと目掛けてくる。

 増援にやってきたニコライ隊長ペアと、第5部隊が攻撃を仕掛けた。ニコライ隊長のナイフも、他の隊員の武器も狂った彼には通用しない。体に突き刺さり、ドクドクと血が流れていても気にも留めず、痛みさえ感じないようだった。


 第5部隊の隊員達は接近戦に持ち込もうとするも、圧倒的なパワーの差に太刀打ち出来なかった。

 投げられ、腕を食いちぎられ、爪が貫通していた。他の部隊が到着する前にこのままでは壊滅状態になる。


 アンドレイが鞭で動きを封じようとするも千切られ、そのまま突進されてしまう。突き飛ばされた勢いで木に直撃してしまった。狼は衝撃で動けないアンドレイに近付き、前足で彼の頭をわしづかむ。


 私と隊長が駆け寄ろうとすると、アンドレイは吐血しながら叫んだ。

「僕はいいから2人とも逃げて!」

「そんなこと出来る訳ないでしょう!!」

 アンドレイを見捨てるなんてこと、出来るわけない。


 狼狂したアンドレイの父は前足で掴んだアンドレイに噛みつこうと口を大きく開けた。鋭い犬歯からよだれがたらりと落ちる。

 まずい。アンドレイが危ない。

 私はどうするべきか必死に考えようとしたがうまく頭が回らない。焦燥感に駆られる。私は力いっぱい叫んだ。

「やめなさい!!」

 すると、ぴたりと狼の動きが止まった。今だ。

 ニコライ隊長とアイコンタクトを交わし、私と隊長で左右から攻撃を繰り出す。避けきれず攻撃を受けながら狼は距離を取る。

 もしかして理性が戻ってきた?


 しかし、彼は執拗にアンドレイの元へ行くと足に噛みついた。そしてそのまま後退していく。川に引きずり込もうとしているのだろうか。


「アンドレイを離しなさい。彼は貴方の息子よ」

 戻れ、戻れ。私は必死に祈りながら言葉を紡いだ。

 一瞬、桃色の瞳にアンドレイが浮かび上がった気がした。

「私がちゃんと護る。だから投降して」

 狼は咥えていたアンドレイの足を放した。彼の細くて白い足は牙がめり込んだ痕と、そこから流れる鮮血で汚れている。私はゆっくりと動かないアンドレイの元へ近づき、肩に手を回して狼から引き離した。狼は何をするわけでもなく、ただじっと様子を見ているだけだった。


「大丈夫だからね、私がついてる」

 意識が朦朧としているアンドレイにそう声を掛けると、私はそっとニコライ隊長の元へ運んだ。耳をすませ、人狼の動きに注意する。


 良かった、落ち着いたと思ったその時だった。

「ぐぁああっ!!」

 狼の後ろから近づき、捕獲しようとしていた副隊長が噛まれていた。腹部に噛みつかれた副隊長の体は、狼の牙によって骨が砕かれ、血がとめどなく溢れていた。狼は副隊長を投げ捨てる。ぐちゃりと嫌な音を立てて地面に落ちた。背骨が折れているのだろう、副隊長は真っ二つに折られていた。


 真っ赤な血が地面を描く。むせかえるような鉄の臭いと獣の臭いに嫌でもこれが夢ではないことを突きつけられる。


 一瞬でもアンドレイを映してくれたと思った瞳は、もう濁りきっていた。増援にきた隊員達も次々と刃の犠牲になっていく。


「やめて……」

 お願い、それ以上誰も傷付けないで。貴方も傷付くことになる。

 やめて。


 狼は言葉通り狂ったように殺戮をしていく。森に血と悲鳴が生みだされている。


「やめなさいっ!!」

 私は喉が焼けるくらいに全身の力を込めて叫んだ。

 頭が割れるように痛い。まるで脳を握りつぶされているかのような痛みが走る。


 狼を見ると動きが止まっていた。もしかして、と思い私は命令した。

「動かないで」


 すると、狼は私の言葉通り動かなかった。さっきまで言葉なんて届かなかったのに。

 私は震える手でレッグホルスターから回転式拳銃を取りだす。今まで起こしたことのない撃鉄を起こし、私はグリップを握りしめるとトリガーに指を置いた。汗ばんだ手が小刻みに震える。装弾されているのは実弾。今から私は――。

 目を閉じ言い聞かせる。頭の痛みが鼓動と共に加速していく。私は引き金を弾いた。


 乾いた音が数十発響く。火薬の臭いがつん、と鼻を刺激する。狼は私の2丁の拳銃の銃弾を体に浴び、ゆっくりと地へと倒れていく。瞳はアンドレイの方をじっと見つめていた。


 私は力がもぎとられたかのように座り込んだ。

 頭痛が酷くなる。くしゃりと髪を掻きむしると視界の端に入っていたのは、いつもの見慣れた金色ではなく銀色だった。

 髪の色が変わっている。思考さえ邪魔するくらいの酷い頭痛と、先程の狼の行動。そして、ヴァンダリカの言葉が再生される。


『女王が覚醒するには狼達との接触が必要……未来の女王陛下、俺様と遊ぼうぜ!』

『またいつか会おうぜ、女王陛下サマよぉ』


 マデリン副部長の本を思い出す。ウェアウルフの群れには女王と呼ばれる統率者がいること。

 燃え上がるような赤眼。

 ヴァンダリカの言葉や現状から考えて私は恐らく……。


「女王…………」

 ニコライ隊長は私と狼狂が対峙している間に負傷者の手当てを行っていて、幸いにもこの異変にまだ気付いていない。アンドレイは気を失っており、誰も私の変化に目を向けていなかった。


 私がウェアウルフの血を引いていたのか、とか女王の私がRRHに居ない方が良いんじゃないかとか様々な考えが巡っていると、ふいに大勢の足音が聞こえてきた。きっと治療チームだろう。とにかく今はバレない方が良い。私は気絶したアンドレイを楽な姿勢に変えると、森の奥へと消えていった。





 森の中に逃げ込んだものの、行く当てもなかった。これからどうしたら良いんだろう。RRHにはもう2度と戻れないかもしれない。髪は金色から銀色へと変色したままで瞳の色も赤いままだった。こんな異質な存在を人間は受け入れてくれるのだろうか。ウェアウルフ側として生きようにも私は今までハンターとして生きていた。彼らを守るためにハンターになったといえど、その事実を知れば拒絶されてしまうかもしれない。


 今の私はどっちなんだろう。一体どうすればいいのだろう。

 ぽつり、と冷たい水が鈍色の空から一滴落ちてきた。雨だ。気付いた途端に勢いを増し、私はあっという間にずぶぬれになってしまった。

 とりあえず、雨を凌がなければと手ごろな洞窟を見つけ、火を起こしそこで一晩過ごすことにした。


 目覚ましの音が鳴らない洞窟で私は小鳥の囀りで目が覚めた。一晩中火を焚いたおかげで服は乾いている。

 しかし、これからのことはまだ考え付いていない。どうしていいか分からず蹲っていると、何かの気配を感じた。こんな森の奥に誰かいるのだろうか、と思いながら警戒していると聞き覚えのある声が草むらから聞こえてくる。


「ブラン、俺だよ」

 ふわふわの白銀の毛皮を身に纏ったグレイがいた。腰に服を巻きつけている。鼻に泥や葉っぱがついたままだ。

 もしかして、私の匂いを辿ってくれたのだろうか。


 グレイは銀髪になった私を見ると、何も聞かずそっと近づいた。

 私に鼻先を近づけ、額を合わせる。私はグレイの首を撫でると同じように額をくっつけた。

「怖かったな、辛かっただろ……これからは俺がずっとずっと側にいるから」

 まるで心の内を読んだかのようにグレイは私の心を優しく受け止めてくれた。1人じゃないことがこんなにも嬉しいなんて。気付けば私は、グレイの毛皮を濡らしていた。


 グレイは子どものように泣きじゃくる私をずっと励まして、受け入れてくれた。

「これからどうして良いのか分からないの……私は女王だってこともまだ受け入れられてないし」

 それ以前に自分自身がウェアウルフの血を引いていることにもまだ驚いている。

「そうだ……! 人間と人狼が共存している村に行けば受け入れてくれるかもしれないわ」

 グレイは狼の姿のまま首を横に振る。

「やめておけ。前にも言っただろう、フェイトシアの計画が始まってるって。統率者のヴァンは、そんな村に奇襲をかけるつもりなんだ。人も人狼もお互いを憎み合うように。女王であるブランが行けば危険そのものだ」

 ヴァンがどうなるかも分からないしな、とグレイは呟く。

「なおさらじゃない! 危ないなら助けに行かないと!」

「駄目だって言っているだろ!!」


 ふいにグレイが歪んだかと思えば、いつの間にか人間の姿になっていた。ふわふわの体毛で覆われていた体はしなやかな筋肉のラインが見える美しい裸体へと変わっている。

 グレイに見惚れているといつの間にか地面に押し倒されていることに気付く。

 彼の骨ばった手が私の手首を掴んでいる。鼻先がぶつかり合うくらいまで顔が近い。


 私は状況を把握すると顔に火が出た。心臓が早鐘を打つ音が耳にまで響いてくる。

「頼むから居なくならないでくれ。昨日、ブランの匂いがあったあの場所にいった時、あの光景を見て俺がどれだけ心配したか分かるか? 女王になったからじゃない、ブランだから心配したんだ」

 私に懇願するというより、苦悩に満ちた表情だった。グレイの苦しさが私にも伝わる。

 彼はもしかして私の……。


 私は迷った子どものような顔をする幼馴染の頬へ手を伸ばす。なめらかな肌は温かかった。

「このままだとたくさんの命が失われる」

「他の奴らなんて知らない」

「私はそうできない。私は誰にも死んで欲しくない。これ以上、人と人狼が憎しみ合うのは嫌」

 人狼が受け入れられる世界だったら、種族なんて関係なくなる世界だったら、どんな色になるだろう。

 誰の血も流されずに済む美しい世界を私は見たい。


「行けば女王といえどお前は死ぬかもしれない。ヴァンに捕まれば、失踪事件の奴等みたいに洗脳されて、手駒にされる」

「それでも行くの。私は人も人狼も共存できる世界を目指したい。そのために出来ることをしなきゃ」

「どうしても行くって言うのか?」

「そうよ」

 グレイは暫く黙った後、私から離れると起き上がらせてくれた。


「……だったら俺も行く。ブランは昔っから頼りないからな。死なないように守ってやる」

「ありがとう、グレイ」


 私は立ち上がったグレイの手を取ると、晴れた空を見上げた。

 大丈夫、1人じゃない。私には騎士がいるんだから。


 グレイは腰にまきつけていた服を着る。

 私達は洞窟から出ると、グレイが懇意にしていたという村へと向かった。完全形態になったグレイの姿を見ても、村人達は怯える事もなくみんなに接するようにしていた。こんな村も実際に存在するんだ、と思うと希望が持てる。

「あら、あんた怪我しているじゃないの。ちょっとこっちへおいで」

 気の良い優しそうな婦人が私の手を引っ張って、治療しようとしてくれた。

「これくらい大丈夫です。すぐに治りますから」

 私がそう言っても婦人は聞かず、テキパキとした手際で手当てをしてくれる。

「本当にありがとうございます」

 私がお礼を言うと彼女は心から嬉しそうに笑った。

「良いのさ。困ったときはお互い様、助けがいる人には誰でも手を差し伸べるのがこの村の掟なんだよ」

 とても良い村ですね、と言うとそうだろう、と彼女は豪快に笑った。


「マダム、それにみんなも聞いてくれ。じきにこの村にフェイトシアが攻めてくる。今日村を発て」

 私達の様子を静かに見ていたグレイが口を開いた。グレイの言葉を静かに村人達は聞いている。

「どうしますか、村長」

 村長と呼ばれた、手当てをしてくれた婦人は静かな口調でグレイに尋ねた。

「その話は本当なんだね、グレイ」

「ああ」

「あんたの言う事さ、信じるよ。ただね、あんたは大丈夫なのかい?」

 どういうこと、と私はグレイの方を見るも彼はこちらを見てくれなかった。

「ああ」

 婦人はゆっくり頷くと今日中に避難すると約束してくれた。


 私達はフェイトシアの次の襲撃予定の村へと急いだ。

 村人に襲撃について話すと、私がRRHの制服姿だったこともあり、何とか信用してもらえた。

 次の村へと向かった矢先だった。村の方から悲鳴が聞こえてくる。急いで向かうとそこにはフェイトシアのメンバーが村を襲撃していた最中だった。


 女性や子ども達は逃げ惑い、男性は人狼に立ち向かうも歯が立たない。次から次へと殺されていく。

「遅かったか……」

 体が咄嗟に反応して首が刎ねられそうになった男性を庇う。銃弾が振りかざされかけた剣を折る。


 私の目の前に立つ人狼が大きく目を見開き、歓喜の声を上げた。

「女王陛下! ようやくお出でになられたのですね! 我々とウェアウルフの国をつくりましょう!」

「私は人と共存できる世界を創るの」


 彼の腹部に蹴りを入れ、距離を取らせる。

「女王陛下、どうしてです? 人間は波乱の時代より我々を虐げてきたのですよ。今こそ我々で我々のためだけの国を建国して、世界の光に当たりましょう!」

 私に気付いた人狼達が続々と集まってくる。頭がまた痛み出す。大丈夫、女王の力を使えば犠牲を生まずに捕えられる。それにグレイもいる。私は隣に立つ彼に目配せをした。


 女王である私に攻撃を仕掛けてくるウェアウルフはいない。

 それを活かして私とグレイは次々に人狼達を捕獲していった。元々、あまり戦闘に慣れていないらしく、容易かった。


「グレイ、貴様裏切ったのか! ヴァンダリカ様に助けて頂いた恩を忘れたのか!」

「そうだ! 女王陛下をたぶらかしのも騎士であるお前だろう!」

 人狼達の怒りの矛先はグレイへと向けられた。彼は静かに人狼達を見渡すと落ち着いた口調で話す。

「ブランと狼と人が共存できる世界を創りたい」

「腑抜け! もう遅い。もうすぐRRHは落ちるだろう、ヴァンダリカ様の圧倒的なお力でな!」


 私とグレイは顔を合わせた。この襲撃は陽動だったのだ。

 そして彼らの本当の目的、それはRed Riding Hood。RRH総本部だ。私達は慌ててフィーネへと向かった。





 私達がフィーネの街に到着した時にはもうフェイトシアが攻め込んでいた。平和だった城下町は逃げ惑う人々でごった返し、なかなか進めなかった。人の波を掻き分け、逆らいながら総本部へと向かう。

 途中で出てくる人狼達をなぎ倒し、足を進める。

 国王がいる宮殿の方では国家警備隊とRRHの部隊が合同で人狼達を相手にしていた。美しかったフィーネの街が血の海と化していた。しかし、RRH総本部ではこの程度では無かった。


 いつも任務で使っているゲートに入ると、中はむごい有様だった。メインホールでは引きずられた血の痕や、そこかしこに倒れている隊員達、既に事切れているのかぴくりとも動かない。充満する鉄の臭いと天井からしたたる赤色が血だまりを作る。


 血でぬめり滑りやすい階段を駆け上がると、ニコライ隊長が赤髪の人狼と戦っている所だった。相手の人狼は左目をニコライ隊長に抉られていながらも、笑いを浮かべながら前足で斬り裂く。ニコライ隊長も苦しそうに微笑んでいる。

「ニコライ隊長! 加勢します!」

 私は赤髪の人狼に足払いをかけるが、軽々と避けられてしまう。後ろにいたグレイが彼の名を呼ぶ。

「やめろ、コウ!!」

「グレイじゃん! 最近フェイトシアに来てねえな、って思ってたんだぜ。一緒にこいつらやっちまおう! あ、女王は生け捕りだけどな」

 コウと呼ばれた彼は一瞬にして完全形態し、私に向かって来た。あまりのスピードに防御の姿勢を保つのに必死だ。レッグホルスターにも手が届かない今は反撃出来る機会も少ない。


 グレイが完全形態し、コウの動きを止めてくれた。

「おい、何すんだよ! おまえ、どっちの味方だよ」

「ブランの側にいるって決めたんだ」

「すっかり騎士因子が再燃焼してらぁ!」

 コウはグレイに噛みつくと階段の方へ投げ飛ばす。燃え盛るような赤い体躯をしたこの狼は、圧倒的な素早さに加えてパワーもある。今まで戦った中でもトップクラスに強い。


 私は拳銃を取りだすと、ハンマーを上げた。

「止まりなさい」

 凛とした声が響く。

「残念だけどオレは別の女王の騎士だから、アンタの命令は効かないぜ」

 コウは鼻で笑うと口を大きく開け、遠吠えした。臨戦態勢だ。足の間から生える鋭い爪で私を斬り裂こうとする。引き金を弾くもコウの素早さに弾丸が追いつかない。容易く近付くと私の両手を払い、拳銃を振り落した。爪が私の皮膚を裂く。波打つ血管の動きに合わせて血が出る。


「これで終わりだ!」

 コウが前足を振りかぶり、爪が私の身体を貫通する――そう思った時だった。

「…………ニコライ、隊長?」

「ぐっ……」

 目の前に現れたニコライ隊長の体がコウの爪に貫かれていた。引き抜こうとするコウの爪をニコライ隊長は、必死に掴んでいた。コウは引き抜こうと、隊長の肩に噛みつく。私は必死にコウを隊長から離そうとする。

 ニコライ隊長はナイフを取りだすと、コウの眉間に突き刺した。


「あ……」

 コウは悲鳴も上げずに静かに絶命した。隊長はずるりと爪を引き抜く。多量の血が隊長の体から溢れて床を染め上げていく。荒い息遣いの隊長を横たえ、私は必死に腹部の治療に当たる。


「良い、んだ……ブランシェット……君はヴァンを、追い……なさい」

「でも、でも隊長!」

 私は涙で滲む視界の中必死に手を動かすも、隊長に止められてしまった。何で、と言葉にならずひたすら嗚咽する。

「ヴァンは、屋上に……いる。気をつけろ、女王を狙うのは……彼だけじゃない、この……国家もだ。君は人狼からも、人からも、狙われる」

 みるみるうちに青白くなっていくニコライ隊長の手を握る。どんどんと冷たくなっていく。私の体温で温めても命が逃げていく。


「第4部隊長から、最期の命令だ、ヴァンダリカを……止めろ」

「…………了解」

 私は震える声で応答した。すると、ニコライ隊長は微笑み目を閉じる。

 私は立ち上がり、自分の胸元についていたRRH機関バッジをもぎ取ると、ニコライ隊長の手に握らせ、敬礼した。


 戻ってきていたグレイは私の泣き顔を見て、悲しそうにするが何も言わないでくれた。

 私達はニコライ隊長の言葉通り、屋上へと向かう。


 屋上に出ると外の人々の悲鳴が聞こえる。まるで音楽でも聞いているかのように、ヴァンダリカは満足そうに下を見ていた。

 銀色に変わった私の髪を見ると満足そうに口角を歪める。

「やっぱり女王に覚醒したな。小娘といえど、ターリア様の血をひいているわけだ」

「お母さんを知っているの?」

「知っているさ。だって俺様は……俺は、ターリア様の騎士だったんだから」

 お母さんの騎士? それはつまり、お母さんは私と同じ女王だったということ――?


「女王が居なくなった騎士は辛いんだぜ。気が狂いそうになる飢餓感に心と体が支配される。女王を求めるも、ターリア様はいない。ヴァンダリカでいる時もフェイトシアでいる時も飢える……」


 ヴァンダリカはそっと目を閉じた。再び目を開けた彼は身に纏う雰囲気を大きく変える。

「女王陛下、俺達フェイトシアと共にウェアウルフだけの国をつくろうよ。虐げられた者が救済を求める場所がこの世には必要なんだよ」

 そのためには女王陛下の力がいるんだ、とヴァンダリカの格好をした“誰か”が告げた。

「フェイトシア……、ブランにはそんなことさせない」

 グレイが一歩前に出る。ヴァンダリカは鋭く彼を睨む。

「グレイ、あんたは裏切るの? 人間に全てを奪われた事、忘れたの?」

 子どもっぽい口調でヴァンダリカらしき人物は咎める。


「忘れるわけねぇだろ、人間に母親殺されたんだ。忘れたくても忘れられるわけねぇ。でもこの負の連鎖はどこかで絶ち切らなきゃ新しい世界は始まらない。俺はブランを信じる。ブランと一緒に人狼と人間の新しいあり方を作っていくんだ」

 おかしい、と言いたげに笑いを噛み殺す声が響く。

「はっ……そんなの間違っているよ。人間とウェアウルフは分かり合えない運命なんだ」

「そんなことない」

 私が声を上げると、ヴァンダリカ……いやフェイトシアは眉をひそめ心底絶望したというように私を見下す。

「ターリア様だけじゃなく、女王陛下まで俺を裏切るんだね」

 フェイトシアはそう言うと、部分形態に入った。手と足には艶やかに光沢を帯びた黒い毛皮が、耳と尻尾が生えていた。


 フェイトシアが地面を蹴る。グレイと私はお互いにアイコンタクトを交わしながら彼を左右から挟むような位置を取る。

「ターリア様は騎士を捨てて人間を選んだ。初めはヴァンダリカが聞き分けの悪い子だったからだと思った。だから“良い子”のフェイトシアを作ったのに。どうして? 俺の中に2人も騎士がいるから悪いの? ヴァンダリカもフェイトシアもターリア様は嫌だった?」

 苦悶しながら自問自答する彼は執拗に私を狙う。きっと私をお母さんに重ねているのだろう。ターリア様、と繰り返しながら涙を流す。

「俺、もう限界だよ、ターリア様。貴方がいない世界で俺はどうやって生きればいいの……?」

 彼の爪が私の頬をかすめる。後ろからグレイが羽交い絞めにするも、フェイトシアはお構いなしだ。

「グレイは良いなぁ。待っていた女王が現れて。俺にはいないのに、ずっと良い子にして待っているのに、ターリア様は俺の元に来てくれない!」


 羽交い絞めにするグレイの腕に噛みつき、そのまま肉を喰いちぎる。グレイの腕から鮮血がしたたる。思わず後ずさったグレイをフェイトシアは容赦しなかった。目にも止まらぬ速さでグレイを蹴りあげる。

「グレイ……!!」

 骨が軋む音が響く。


「俺はこの身が朽ち果てるまで貴女に忠誠を誓うよ、ターリア様」

「私は……お母さんじゃない」

「女王陛下が……小娘が……いるから、俺の、俺様の……女王がいない!」

 フェイトシアは頭を押さえながらもう一人の人格と交互に叫ぶ。

「人間はいつだって俺の大事なものを奪っていく――!!」

 犬歯がぎらりと光る。私は拳銃を手にした。撃鉄を起こしトリガーを引く。フェイトシアは銃弾を受けながらも私に向かってくる。前足で拳銃を振り下ろそうとするが、私は足払いをかけた。しかし、地面を軽く蹴りそれを避けると態勢を整えようとする私を蹴り飛ばす。

 まるで馬にでも蹴られたかのような衝撃が体を走る。フェイトシアは休む間もなく、次々と攻撃を繰り出してくる。しかし、私に注視しすぎたせいで後方がおろそかだった。


 完全形態したグレイがフェイトシアの背後に回り、噛みついた。

 フェイトシアは振り払おうとするも、完全形態したグレイは体躯も大きい。怒りの咆哮をあげると、フェイトシアも完全形態した。濡れた烏の羽のような艶やかな黒い毛皮に覆われた巨大な狼。


 白銀の毛皮を身に纏うグレイと正反対だった。まるで光と闇そのものを表しているかのようだった。


「グレイ……俺の計画をここまで来て邪魔するの? RRHにスパイを潜らせ、内部情報を集めていた時から迷いはあったくせに」

「…………」

 フェイトシアの言葉にグレイは悲しそうで痛々しげな表情でじっと黒狼を見つめる。



 グレイの大きな前足がフェイトシアの顔に直撃する。爪が食い込み、瞼に赤い軌跡を描いていく。フェイトシアはグレイの前足を噛む。牙が貫通した。後ろ足でグレイの顔を蹴り飛ばすとフェイトシアはグレイの喉元を狙って駆けた。

 彼の牙が地面に倒れたグレイの喉元を狙っていく。私は彼のこめかみの部分に数発、弾を入れた。響く銃声と果実が弾けたように飛び散る赤い血。

 フェイトシアの牙はグレイに届く前に落ちた。


 ゆっくりと息をするフェイトシア。

「これで……ターリア様、貴女に会える……」

 静かに呟くフェイトシアの顔はどこか幸せそうだった。


「……全部、終わったんだね」

 私はグレイの元に駆けよると沈みゆく夕陽を2人で見つめた。

「そうだな」

 グレイは静かにフェイトシアの亡骸を見つめる。グレイ達の関係は未だに分からないけど、きっと私の知らない絆が2人にはあるんだと思った。

「私が死んだらグレイもフェイトシアみたいになるの?」

 フェイトシア。女王の愛を求めて1人の中に2人もの人格を作った彼は、彼らはこの世界をどう見ていたんだろう。

「分からない。騎士は女王を失うと精神状態が安定しないからな。でも、俺はあいつとは違う。ブランの騎士である以上に、俺はブランが女王でなくなって愛しているから。ブランの望むままに俺は何にでもなる」

「……私達は私達の未来を選んでいけるものね。私達だけの結末をむかえられる」


 私は天を仰いだ。空は高く冷たい風が頬を撫でる。これからフィーネの街にまた夜が訪れるだろう。だけど、いつもと違うのはこの夜が人と人狼が共存していく世界を創る一歩目の夜だということ。

 これから私達が当たる壁は険しく高いものだろう。私はグレイの手を取った。

 彼となら何だって出来る。


「これからどうしよっか」

「そういうのは最初に考えとけ」

 グレイは私を引き寄せると、額に口づけを落とした。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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