2.
「金曜の夜、尼崎でひとりの代議士が死んだ」
その日、『吉良会』北陸管区の支部における早朝ミーティングは、奥村右近の奇妙な言葉から始まった。
聞く人間によれば、真顔でそんな話を切り出した彼に精神科の通院を勧めるだろうが、いたって彼は正常だったし、彼の取り巻く環境においても、驚嘆に相当する事象ではなかった。
「他殺だ。その犯人を捕らえるように、と本部から指示が出ている
それは警察の仕事だ、と間の抜けたことをわざわざ言う人間はここにはいない。
表の司法では対処しきれない事案だからこそ、こうして非合法な『吉良会』へと御鉢が回って来たのだから。
また、それを知っているからこそ、右近もまた理由の説明を省略した。
「死因は、頸部裂傷からの失血死。その前に長時間、複数回にわたる暴行を受けた痕跡があった」
その事務所に現在詰めているのは、三十人程度。
大半はスーツ姿の、屈強な男で構成される中、ラフな格好で混じっている少女の姿は、傍目から見れば異様な浮きっぷりだっただろう。
薄手のTシャツにジーンズという姿は、彼女のボディラインを浮き彫りにする。若さと成熟。肉感と華奢。柔らかさとキレ。それら相反する要素が混在した肢体は、ヘタに肌を露出させるよりも扇情的だ。
ただいかに完璧なプロポーションの持ち主とは言え、自分たちよりも一回りも二回りも歳下の少女に劣情をもよおせば、ロリコン野郎のそしりは免れない。
そんな奇妙なプライドもあって、男たちは自然、彼女から距離をとり、視線に入らないよう苦心しているようだった。
当然のごとく、アラタもまたそんな同僚たちの心の動きには気づいてはいたが、あえて何も言わなかった。
そんなそわそわとした空気に喝を入れるかのように、管区長は咳払いした。
「……それと、事件現場には『象徴痕』……すなわち『象徴化現象』の痕跡が見受けられた」
一同は、あらためてアラタを顧みた。
それからゆっくりと、右近へと向き直った。
「それと現場からは若者数人が逃げていく姿が目撃されている。中には少女の姿もあったそうだ」
一同は、またもアラタの、『象徴化現象』能力者へと振り返った。
「……アタシじゃねぇっスよ」
彼らの言わんとしていることに対し、先回りしてアラタが答えた。
「いや、そうは言ってもなぁ……」
「珍しく朝会に来てるし」
「しょっちゅうルールは破るしなぁ」
「ついに一線越えちゃったか、と思わない方が不自然でしょ」
「知らないオッサンを、よく分からない罪でリンチするほど、アタシはヒマじゃない」
同僚たちは、アラタの否定を聞いても懐疑的だった。
もちろんそれは、馴れと親しみからくる冗談じみたものだったが。
「やめろ。すでに死人も出ている」
右近が再度戒めたことで、緩みかけた空気は締まりを取り戻した。
「それに、犯人からの声明はとうに出ている」
室内のカーテンがひとりでに閉まる。
暗闇が一面を支配する中、どこかでキーボードの打鍵音が響き、天井から垂れたスクリーンに、WEBサイトが映し出された。
「完全会員制の裏動画サイトだ」
と右近は前置きしたが、その響きに反し、表示されたTOP画面には後ろ暗いイメージは感じられない。
白を基本とした洒脱なレイアウトは、見やすさや利便性を十分に考慮されている。
裏動画サイトと紹介されつつも、ポルノビデオや不法アップロードされた番組の類は見当たらない。
ランキングや新着の欄にあるサムネイルは、いずれも手作り感ある編集によるものだ。
その頂点には、ポップな字体のロゴで、
SHC 〜スーパーヒーローチャンネル〜
と表示されていた。
「『次代のヒーローをプロデュースする投稿型動画サイト?』」
ロゴのすぐ下にあった簡単な説明文を、アラタは読み上げた。
「ここから先は、見たもらったほうが話が早い」
と、ポインタが移動して、ランキングにあった動画のひとつをクリックした。
『悪徳政治家、倒してみた』
というタイトルのそれは、再生を開始した瞬間から、音と声の洪水があふれ出た。
〈はい、皆さまこんにちは! あるいはこんばんはですかねー、もしかしたらドイツ人の方も見てるかもしてるから、グーデンタークかなー?〉
〈いやいや、それじゃキリないから〉
〈そうですねー、それじゃあ手短に! あらためましてハイどーも、『アルカナS』でーす!〉
悲鳴があがる。何かを切り裂き、打擲する音が聞こえる。
その音源を隠すかのように、少年の域を出ない、若い二人の若者が暗闇の中に並び立っていた。
若い、というのは流行にのっとった服装や浅薄な語調から判断してのことだ。
彼らはそれぞれ$マークや剣をあしらった、象徴的なフルフェイスタイプのヘルメットで顔を隠していた。
〈まー、なんか後ろが騒々しいですけどね、いつものことなんで気にしないでくださいね〉
〈いやいや、皆さんオレらじゃなくてそっちの騒々しいのが見たいんじゃない〉
にこやかに談笑しながら彼らがスライドすると、それとは真逆の光景があらわとなった。
場所は、郊外の車道のひとつだろう。
ねじれて吹っ飛ぶ黒塗りの高級車。
盛る火炎。倒れ臥す黒服の男たち……もしくは、つい数分前までは『そうだった』と思しき消し炭。骨肉の断片。
そしてでっぷりした腹を服越しにでもわかるぐらいに震わせる、被害者らしき中年男性。
……そしてそれらの前にはもう一組の、若い男女のコンビが立っていた。こちらは、星や魔法陣、あるいはハートマークが描かれていた。
常人には、彼らが手を振りかざすたびに、出所不明の火が沸き立ち、無数の虫がその火をおそれる気配を見せずに這いずり回り、血肉を食い漁るように見えているだろう。
だが、アラタには記録映像ごしにもハッキリと視認できた。
彼らの手や、足下に広がるハートマークやカバラ思想における陣のような刻印。『象徴化現象』を行使した痕跡を。
本来であればCGだと嗤いの種となるところだが、動画のコメントを見ると好評らしい。
視聴者にとってはただ不当な権益をむさぼる悪人が無残に処刑されることが重要で、楽しめることが肝要で、それ以外の真偽などどうでもよいのだ。
メガネをかけた若者が一人消えた。固定カメラを手に取ったらしく、画面が一度大きくぶれた。
頭を抱える肥満政治家の前に、他の三人が歩み寄った。
〈『マーチャント』。事前の投票結果は?〉
リーダー格らしい、魔法陣のメットの男が落ち着きはらった声でたずねた。
〈五千六百三十二対二十七。どっちが賛成意見かは、言うまでもないよね〉
そうか、とくぐもった声が魔法陣のマークの向こう側から聞こえてくる。
〈『スラッシュ』〉
その声に反応したのは、MCをつとめていたうちの、『剣』のほうだった。
せせら笑う気配とともに男性に近寄る彼の手の甲にメットと同様の、幅広の両刃剣の印が浮かび上がった。
〈有馬代議士。いくつもの汚職。暴力事件への関与。……国を背負って立つ立場にありながら、その国を汚した罪は、重い〉
『魔法陣男』の口上に合わせて、『スラッシュ』の手刀が振り上げられる。
耳をつんざくような悲鳴が、あらん限りにあがったが、『スラッシュ』の影が男に覆いかぶさった瞬間、
飛び散った血液の飛沫が、カメラの画面を汚す。
〈おい、機材汚すなよー〉
という文句だけは聞こえてくるが、その浮ついた『マーチャント』の声は聞こえたものの、視界は脂気の多い血によって半分ほど隠れてしまった。
だがその彼がいかな末路をたどったのか。それはすでに、この会のはじめに説明がされた通りだろう。
そこまででよいだろう、という判断か。
動画はその途中で打ち切られ、室内には重い空気と引き換えに、光明がもどった。
「……なんであいつら、コロッセオの真似事なんかしてんすかね」
誰にも答えようもないアラタの問いを、右近は露骨に無視した。
「ああいうサイトが、最近若者たちの間で流行しているらしい。本来は司法によって裁かれるべき犯罪者や容疑者を、自分たちの手で私刑に処す。運営はコミュニティを管理するばかりでなく、ランキングやターゲットに賞金をかけて、行き過ぎた行為を戒めるどころか煽っている。しかもタチが悪いことに、ユーザーの中には今みたいなふうに、覚醒したばかりと目される異能者たちも含まれているということだ」
「サイト自体の閉鎖にはできないんですか?」
構成員のひとりが挙手した尋ねた。
右近は首を振って見せた。
「いくつもの海外サーバーを経由しているうえに、セキュリティ自体も厳重でな。県警も公安も、何故か本腰を入れて捜査する気配もない」
――つまりそれは、サイトの運営には巨大な権限を持つ企業や組織が関わっている、と。時州一族の『サファイア・ベール』あたりか、新興の『ノーディ』か。志向的には『銀の星夜会』のそれと近いが。
アラタはそう見当をつけたが、あえて口を挟まなかった。他のみんなも同様で、右近自身もまた、あえて具体的な説明はしなかった。
彼の言葉の省略は、そのバックにいる巨魁を相手取るには、『吉良会』でも手を焼くことを意味していた。
自分たちは警察官ではないし、まして正義や秩序や博愛を標榜としているわけでもない。あくまで政府やその高官の言う事を聞く代わりに、その存在を許された暴力集団に過ぎないのだ。
今回の任務は、あくまでその政治家を殺した能力者たちの、素性の洗い出しと確保。それ以上でもそれ以下でもなかった。
事件の概要が見えたあたりで、それぞれの構成員に、組織内外における役割が右近より与えられていく。
「アラタ、お前は犯人たちの拠点が特定され次第、乗り込んで制圧しろ」
彼女に与えられたのは要するに鉄砲玉の役目だったが、いつものことだったので、一も二もなく飲んだ。
ややあって解散の指示が出された。
それぞれの任につくべく、事務所内の人の動きが加速する。
しばらくはその流れを観察していたアラタだったが、出ていこうとした矢先に、右近に呼び止められた。
「すまなかったな、さっきは一部のバカどもが」
「さっき?」
「ほら、お前がルールを破るがどうだのっていう」
あぁ、とアラタは相槌を打った。
つい十分足らず前のことだというのに、ずいぶん前のことのように思えた。
「だが、彼らだって悪気があって言ったわけじゃない。みんな不愛想なお前をからかいたくてしょうがないのさ。あと、なんだかんだで心配もしてるんだ」
「そして、危惧もしている。いつかミイラ取りがミイラになるんじゃないか、とかな」
「べつにそこまでは」
「いいんスよ。アタシ自身、ボーダーラインの真上に立ってるって自覚はあるんで」
けろりとした調子でアラタが言うものだから、右近はもともと穏やかでない顔つきを、さらに険しく作って見せた。だが年長者の余裕もまた出しておきたいらしく、強張った表情筋を無理やりに動かして、
「またそんな冗談を言う」
笑みを繕って見せた。
そんな彼がなんだかおもしろくて、アラタがナチュラルな笑みを浮かべた。
「まぁその手綱を締めて引き留めんのが、オトナの仕事でしょ。その辺、アンタに甘えてんだからさ、頼みますよ」
と、彼の肩を指の背で何度か叩くと、自身はさっときびすを返し、出口へ向けて歩を進めた。
おい、とふたたび右近に呼び止められる。
しかしアラタは再度は止まらず、ただ右手を掲げてみせただけだった。