5.
ですよねー、と私は心の中で何度もくり返した。
わかってましたとも。
そもそも、楢柴さんのようなすごい特殊能力があれば、とうに私の元に彼らが現れていたはずですとも。捕獲か……でなければ『始末』的なことをするために。
安心できた反面なんだか中途半端で情けなくもあって。
ほんの少しスネたような心境で施設を出ると、楢柴さんがいた。
「よう、お疲れさん」
片手を挙げて、学校を出たあたりと変わらない調子で。
それでも、今後は『吉良会』という組織における、私の先輩という立ち位置になるらしい。
XXX
「アーカイブに登録した以上、君も一応は我々の身内ということになる」
最後の締めくくりとして、奥村さんはそう説明した。
預けていたスマホも返却してもらい、機器に異常がないかを確かめる。
特に問題はない。いつの間にか見覚えのないアプリが入っていたこと以外は。組織内の通信用のものらしい。
「これでエリア内の異変をおおむね把握することができる。もちろん構成員には上層部からの指示が出るたび、事態の収拾にあたってもらうことにはなる」
「たとえば、さっきのパソコン修理みたいに?」
「あれはイレギュラー……とも言い切れないが、大方は荒事、暴力沙汰だ。相手がヒューマン、メタヒューマンに関わらず、そうしたもめ事に介入するのが一般業務だ」
身を強張らせる私をちらりと横目に見ながら、大仰に彼はため息をついた。
「君はただの被保護者だ。せいぜい警報の出た場所には近づかず、アラタの指示に従うように。……運がよかったな、君は」
しみじみと言った奥村さんに、私は微妙な笑みを浮かべた。
「才能がないことが、ですか」
「そうじゃない。君が『視える』ことを話した相手が楢柴改で、だ。もし話したのがそれ以外の『象徴化現象』の適合者だったら、君は今頃バラバラになって大野川あたりでも漂っている」
最初、冗談かと思った。
でも、奥村さんの眼は、鉄のような硬質の視線は、絶えずこちらに向けられていた。
唐突に身近にせまった、死への実感。今まで、いまいち緊迫感がなくて忘れていた分を取り戻すかのように、冷や汗がどっと額と背からあふれ出た。
「異能者はとかく自分の能力を隠匿したがる。その力の行使に消極的だろうと、積極的だろうとだ。消極的なヤツは当然一般人として暮らしたいから面倒ごとには巻き込まれたくない。積極的なヤツでも、自分の手の内を明かすような真似はしたがらない。まぁ……中には自己顕示欲丸出しで使いたがるヤツもいるが、そういう連中ほど早死にする」
楢柴改が特殊なだけだ、と言い足してから彼は神経質気味に指でコクヨの中古品に指を躍らせ、テンポをきざむ。
「ゆえに彼らは自分たちの能力が暴かれることを良しとしない。その秘匿性がおびやかされるようなことがあれば、彼らは迷わず対象の抹殺を考慮に入れる。だから、運がいいと言ったんだ。わかったか?」
有無をいわさない奥村さんの問いかけに、私はばかみたいに何度も、コクコクとうなずいて肯定した。
でも、それって……とよぎらせた考えを、奥村さんは先に汲み取った。
「そうだ。君はアラタに庇われたわけだ。規則上、『吉良会』はどんな卑小な存在であれ能力者を保護をする。だが、それはあくまで建前だ。さっき言ったような自身の秘匿性や、組織内での立場を危うくしてまで第三者を守護しようとする者なんて、本来はいないわけだからな」
XXX
日常的に近隣にいる楢柴さんが、私の保護と経過観察にあたるらしい。
でも私にとってそれ以上に……命の恩人だ。
「じゃ、用事も済んだし帰るか。なんか食ってくか?」
「あ、あのっ」
駐輪場に向かおうとした楢柴さんを、私は呼び止めた。
「ありがとう。その、いろいろと」
「ん」
ネコのように首をねじってこちらに向き直す彼女に、私は一番聞きたかったことを尋ねた。
「でも……なんで、私を助けたの?」
あのコンビニでも、そして今も。
その問いかけに、目をしばたたかせて、キョトンとした表情で答えた。
「元をたどりゃ、軽率に『象徴化現象』を使ったアタシのミスだからな。まさか視えるヤツがおなじコンビニにいるとは思わなかった」
「そんなこと……ないわ」
首を振りながら、私は自分の胸のあたりで何かがしぼんでいくのを感じた。
なに、勝手に理由を妄想して自意識過剰な答えを求めていたんだろうか。
「それに」
という彼女の声が、私に顔を持ち上げさせた。
「彩鳥を見捨てられるわけがないだろ?」
目の前に広がったのは、沈みゆく斜陽のオレンジ、星をともした群青の夜。それらが見事に分かれた、コントラストのきれいな二色の空。
そんな夢と現の狭間で、少年みたいなはにかみを見せる美少女。
非の打ち所がない完璧な一枚絵に、心奪われて我を忘れるあまり、
「……覚えてたんだ、名前」
と、またも余計な一言を口走ってしまう。
楢柴さんは、ふっと吹き出した。
「なんだそりゃ。そんな薄情な人間に思われてたのか」
「ご、ごめんなさい! でもあんまり話したこと、なかったし……」
「それでも、縁は大事にする女なんだよ、アタシはな」
他愛ない会話だった。
「なんてな」
とか肩をすくめるものだから、私も適当に聞き流していた。
けれどもそれは、彼女にとっての根幹で、命綱のようなものだった。信念であり、彼女の世界観をつかさどるものだった。
この自由人に見えて責任感が強く、大雑把に見えて誰よりも気遣いが細やかで、気丈なようで繊細な彼女……楢柴改にとっては。
それがわかったのは、今よりもう少し後の話になる。