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「受付の順番を乱されては困る。だいたい、あのオッサンはいつもどうでもいいことでこちらを頼ってくるんだから、放置しておいても問題ないんだ」
奥村さんという男の人は、ぶつくさと文句をこぼしながら進んでいく。彼に先導されながら、私たちは事務所を突っ切って、ふたたび廊下に出た。
「んなこと言ったって、からんできたのは向こうで、しかもアタシの力をご指名ときた。だったらやらんわけにもいかないでしょ」
楢柴はそれに対して減らず口で応戦し、振り向いた奥村さんの横顔をますます渋くさせた。
「お前はいつもいつもそうやって……って、言うだけ無駄か。事前に連絡はいっていたが、どうせ彼女自身にはろくすっぽ説明してなくて、事情を呑み込めないままに連れてきたんだろう?」
よほど彼女の為人を熟知しているらしい。まるで見てきたかのようにズバリ言い当ててくる。
「ご名答」
と肩をすくめた楢柴さんは、奥村さんの身体をおおきくバンと叩いた。
「そいじゃ、あと頼んます」
気が付けば、私たちは別の部屋の前に立っていた。
招き入れられると、凹凸の少ない部屋の中に、検査用のものとおぼしき機械類や器具が並んでいた。
その物々しさに私は軽く息を呑む。メスや注射器のたぐいがないのが、せめてもの救い……になるのだろうか。
身をすくませる私の腰を奥村さんにしたのとおなじ調子で叩いた。
「心配すんなよ。何かあれば飛んでくるから」
それは、「チクッとしないから」とか「痛かったら手をあげて」とか言うお医者さんとおなじで、根拠のない言葉だった。それでも、彼女にしては珍しい優しげなほほえみは、私の心をグッとわしづかみにして、そんな心配を頭の中から吹き飛ばしてしまった。
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結局、私に対する検査は全身スキャン、あと白衣のスタッフさんによるカンタンな身長体重の測定と、問診ぐらいだった。検査室にあった器具は、ほとんど使われることがなかった。
ニ、三十分程度でそれが済むと、最初入った事務所の裏、学校の談話室のような場所に通された。
そこの自販機で買ったミルクティーと一緒に手渡された名刺を、私は声にして読み上げた。
「『吉良会』……の、北陸管区長、奥村左近……さん」
私とテーブルを挟んで向かい合いながら、彼は生真面目そうな表情のままにうなずいた。
「密教系の宗教法人を前身とする団体だ。もちろんそれは表向きで、国からの依頼という名目で超技術、超人たちの保護やそれらを使った仕事を請け負っている。国に黙認された暴力団体。それが我らさ」
「……えーと、それは」
本人も、荒唐無稽なことを説明しようとしている自覚はあるのだろう。
やや投げやり気味に、早口で言われて私は一瞬言葉に窮した。
それでも、訊きたいことは山ほどにある。
「その超人って、彼女の……楢柴さんのことですか?」
「あいつの力なんて、氷山の一角に過ぎない。この世は依然、君の知らないような怪異に満ちている」
ちぎって投げるような口調で、奥村さんは言った。
「だが、とりあえずは、君の見たそれについて説明をしよう」
と続け、彼は私たちを隔てるテーブルを指さした。
「これ、何に見える?」
そして、唐突なことを尋ねた。
「テーブル……です」
「そう、テーブル。たしかに君から見ればどうってことのないただのテーブルだが、俺からしてみればすこし違って見えている。これは十万円程度で購入したコクヨの中古品で、使用年数は五年程度。多少高い買い物ではあったけれど、まぁ頑丈だし使い勝手がいいから、重宝している」
彼の言い回しはあまりに漠然としていて、私としては「はぁ」と、愛想笑いと生返事しかできなかった。
彼は一度席を立って、部屋の片隅の自販機で紙コップのコーヒーを買った。
戻って座って一口すすり、それから話を改めた。
「といった感じで、おなじ事物があったとしても、それを見ている人間によってそれは異なる存在に見えてくる。どれほど主観を取り払おうと、それぞれが持つ知識や感性から得られる情報の質と量、そして指向はまったく違うものとなる」
「まぁ、それはそうでしょうけども、それが一体」
釈然としない私の相槌を、「だが」と奥村さんは遮った。張りがあってよくとおるそのバリトンは、コーヒーの黒い水面を揺らした。
「常人より高位の、より高次的な観測ができる者たちが二十年ほど前から発見されつつある。彼らは特殊なフィルターをその眼に持ち、それをもって世界の裏の裏まで、深奥の底の底までも覗くことができる。その中において、自身の意志で世の物理法則への干渉さえ可能となった者さえもいる。その現象を、我々の業界では『象徴化現象』と呼んでいる。平たく俗っぽく言ってしまえば、超知覚、超能力の一種だ」
……ようやくそこで、私の頭の中であの楢柴さんの刻印の正体と今の話がつながった気がした。
そして、私が今、この支部に呼ばれた理由も。
「ひょっとして、私にそれが見えてたってことは」
「あぁ、君にも適性があるということだ。それがどの程度のものか、見極めたうえでアーカイブに登録する」
ぐっと空気の塊を呑む。
これで登録されたらどうなるのだろうか。危ない仕事に駆り出されたりするのだろうか。親とか友達から隔離されて実験とかに使われるのだろうか。
私の生命や今後の人生にも関わることのはずなのに、踏み込んで尋ねることができずにいる。
検査結果が表示されているらしき端末を操作して確認しながら「ほう、ほうなるほど」と奥村さんは何度もうなずいた。
「わかった。君はEプラスと言ったところだ」
「それって、どの程度のものなんですか?」
奥村さんは沈痛な面持ちで深くうなだれた。
口の中で文句めいた言葉をくり返して、顔を持ち上げ、口をおおきく開いた。
「凡人、只人、ふつうの人! 一般人! 適正あっても才覚なし! 検査するだけ時間と費用の無駄だった! 以上!」