3.
楢柴さんが認証設備をなかば強行突破して案内したその部屋は、秘密組織の施設、という風には見えなかった。
その一般的なつくりの事務所では、キーボードの打鍵音が絶えず鳴り響き、それに負けない声量で人々が専門用語を連呼している。
その中には、口汚い罵声も入り混じっていたし、一触即発地いった塩梅で睨み合うひとたちもいた。
間違いなく、そこは秘密結社じゃなく、一企業か団体と言った感じだった。でも、なんの職場に見えるかと訊かれれば、返答に困る。
強いていうならイメージ的には、海外ドラマで見るような、警察署のロビーに近いかと思う。
ごった返した荒々しい空気に、楢柴さんは苦笑の気配を見せた。
そんな彼女を、
「おい、そこの小娘!」
と、ぞんざいに呼ばわる声がした。
私たちの腰回りの倍ほどはあるでっぷりとした中年男性が、ノートPCを小脇に抱えて、入り口で往生している私たちに声をかけた。
どこか、地方局のニュースとかで見たような気がする。でなければ、彼とよく似た特徴や仕事の人と。
スーツにきらめくバッジが、白熱灯の光を鋭く照り返していた。
「いったいいつまで待たせるのかね! 私はこいつからデータを取り出してほしいだけなんだぞ!」
そうだしぬけに言われても、女子高生ふたりに答えようもない。
楢柴さんはすこし面倒そうに、
「……そのパソコン、どうかしたんスか?」
と尋ねた。
「急に動かなくなったんだ! スピーチの原文のデータと議録が入ってたのに! これだから安物は!」
と、なおさら私たちに問われても困るようなことを言われてしまう。
適当な長机に置かれてさぁ見てくれと開かれても、素人にわかりようもないことだった。
強いて言うなれば、開いた瞬間にほのかにめんつゆの臭いが漂ってきたのと、ネギの破片らしきものがキーボードにへばりついていたことぐらいで、つまり……うどんか蕎麦のどちらかを、思い切りこぼしてしまった、ということで。
「あの、駅前に電気屋さんがあったからそこに行ってみては?」
「行ったさ! でも、直すのに一週間かかるとか、買い換えた方がいいとか、法外な値段は吹っ掛けられたりとかさんざんな目にあった! 私は! 今すぐにでも! こいつのデータが必要なんだよ! このメモリに、こう、バァーと、ビューと、入れてくれればそれで良いんだっ! いるんだろ!? そういうことのできるのが」
私は、楢柴さんの横顔を見た。
彼女は後ろ髪に手をやると、「ちょいと失礼」とその手でノートPCのカバーを閉めた。
そして男性の手からUSBタイプの媒体を奪うと、そのままPCの挿入口へと端子を押し込む。
「お、おいっ!」
彼がわめくのにはもはや反応せず、楢柴さんはPCのカバーの上に手のひらを叩きつけた。埃でも払うように、あるいは磨くように、その表面に指をスライドさせる。
また、あの格子模様がうごめいた。
二筋の絡みつくそれは、彼女の指先につられるように、虫にも似た挙動でメモリへと移り、そして消えた。
楢柴さんはメモリを抜き取り、その横に据え置かれた備品とおぼしきデスクトップ型のPCに改めてセットした。
「分けようとすれば分けられますけど、時間ないっつてたんで全部ブチ込んでおきました。あと、今回はぎりぎり入ったんで良かったけど、こういう場合にゃ容量もう少し大きいメモリ持ってきたほうがいいっすよ」
「え? あ、あぁ! たしかに、全部入ってる!」
「あとネコ、アメショっすか。カワイイスね」
「だろ!? まだ今年生まれたばかりでねぇ……」
今、なんとなしに、まるで修理屋のバイトと客のやりとりみたいに流されているけれど、楢柴さんはとんでもないことをしたんじゃないだろうか。
……いや、この周囲の喧騒の中でもまた、日常的に、かつ意識せず、似たような作業が行われているんじゃないだろうか。
その偉そうな人は、最初とは打って変わって、上機嫌で去っていった。
それを苦笑まじりに見送る楢柴さんだったけど、
「おい、アラタ」
と、またもぞんざいな言葉で、呼ばれた。
三十そこそこの、男の人だった。
「久々に顔見せたと思ったら、早々にやりたい放題だな。えぇ?」
乱暴な物言いには違いなかったけど、そこにはあのおじさんとは違って親しみと付き合いの長さを感じさせた。
対して、振り返る楢柴さんにも、意地の悪そうな笑みが浮かんでいた。
「御無沙汰です、奥村管区長」
と、彼を役職らしき名で呼ぶと、私を指差して楢柴さんは手短に用件を伝えた。
「この娘の検査頼むわ」