1.
『アルカナS』の本拠は、郊外のバーにある。
小京都の風情を壊さない瀟洒なモダン風のたたずまいと、銘酒にジビエの良い料理がそろえて数年前にとある若い企業家が開店したが、いかんせん住宅地の、それも寺に隣接したあげくに墓地の裏側という土地柄が悪かった。
その物珍しさから数寄者が立ち寄ることはあっても、垢ぬけているがために、その店自体は通人からしてみれば没個性的であり、また近くに住まう人たちにとっては敷居が高すぎた。
駅や都心から離れたこの場所に、金と労力と時間をかけて何度も足を運ぶだけの魅力もないために、固定客はつかなかった。
せめて場所だけでも奇をてらおうとしたのか、あるいは安さに目をつけたのか。どちらにせよ地盤選びから選択をミスしたその店は、去年潰れた。
そこを資産家である実家の金で買い取ったのが、『ワンズ』こと江田賢太郎だった。
もっともその事業を引き継ぐためではなく、単に居住する拠点として都合が良いからだ。権利はすでに譲渡されているものの、対外的には買い手がつかない貸店舗ということになっている。
彼の能力をもってすれば距離など大したハンデにはならないが、それでも能力を多用すればアシがつくし、情報収集においてもやはり活動領域に身を置いてほうが良いから、この都合がよかったのだ。
「……なんなんだよあの女はァッ!」
そこに戻った矢先、『スラッシュ』がテーブルを蹴り上げた。
勢いよく飛んだそれはその軌道上にいた『ハニー』の側面をかすめ、そのまま壁に激突して痕を残した。
「あっぶないわねこのバカ」
チームの紅一点は、露骨に顔をしかめて舌打ちした。
「あァ!?」
と怒りの矛先を彼女へと向けそうになる総介を、賢太郎は押しとどめた。
「落ち着け。坂月も、今の彼を刺激するな」
リーダーの一声で、ひとまず両者は険悪なムードを醸しながらも顔を背けあって引き下がった。
賢太郎は一度血を流す総介へ視線を投げた後、『マーチャント』の秋内楽へと目くばせした。
この明敏はナンバー2は、それだけで言わんとしていることをくみ取って、治療のためのキットを探して奥へと退いた。
「楢柴アラタを、少々見くびっていたようだな」
箱を抱えて戻ってきた彼は、先ほど自分が彼女自身に向けた言葉と似たことをポツリと漏らした。
それを他者の口から聞いて、あらためて賢太郎はみずからの見立ての甘さを痛感した。
「あぁ。その探査性能ゆえのAプラスだと思っていたが、あんな隠し玉を持っていたとはな」
だが、あれほどの異質な才能でも、最上たるSクラスに劣る。となれば『吉良会』なる組織は、あとどれほどの異能者を抱えているのか。想像するだけで、背筋が凍る思いだった。
「で、どうするあのクソアマ。どうやって殺す?」
ソファに座らされ、止血をほどこされながら、息荒く総介は物騒なことを口走った。
「どうもしない」
対するかたちで座った賢太郎は、首を振った。
「彼女の力は異質で底が見えない沼のようだ。そこにあえて身を投じる必要はない。そもそも今回は我々のテリトリーに踏み込んできたがゆえに、やむを得ず応対しただけだ。断罪すべき咎を、彼女が犯したという事例はない」
「事例がないだと!?」
傷口が縫合されるまでおとなしくしていた『スラッシュ』だったが、それが終わるかどうかという際に、いきり立って席を立った。
「クソみてぇな悪の組織に属して自分の損得だけしかアタマにねぇクズだぞ!? どうせ叩きゃ埃なんざいくらでも出るだろうがッ」
そもそも彼女が言っていた理由は、冗談か本音か「ロールケーキが食べたい」というものだったが、そこをかなり悪意的に歪曲し、誇張し、総介は彼女を討つべきだと進言する。
「アタシも、反対ー」
自身の携帯をいじりながら、賢太郎の背もたれ越しに、坂月愛花は片手を挙げた。
「だって、あいつサイトの討伐対象にいないじゃん。ただでさえ今月ランキングヤバイってのに……チッ」
ルージュを塗った分厚くふくらんだ唇から、それに似つかわしくない野蛮な舌打ちがこぼれ落ちた。
「見てよ、またコイツがランク上げてきてる」
と彼女がスマホを掲げて見せれば、そこに映っていたのは、バイクにまたがった細身のライダーだった。スチームパンク調のコートとフルフェイスのメットで全身を覆った彼もしくは彼女は、バイクスタントもかくやという鮮やかな乗りこなしと片手に持ったモデルガンで、女性を襲おうとしていた暴漢を制圧していた。
タイトルには『現代の竜騎兵? 謎のローカルヒーロー、今月の活躍』と書かれていた。
「別に良いだろ。その動画、ツベにもUPされたヤツの流用だし、そいつ自身は『SHT』に登録してねぇぞ」
多少彼女への風当りを弱めた総介は、苦い顔で手を振った。
そんな彼からは見えない角度で、心底バカにしきったような目つきで愛花は鼻を鳴らした。
「それでも、こんなシロウトが上位ランカーの枠埋めてんのがハラ立つのよ」
賢太郎は溜息をつき、手を鳴らした。
愛花と総介、両方をそうやって、無言で咎める賢太郎だったが、ふたりのメンバーは承服の気配を見せず、不満の様子だった。
頭が痛い思いの『ワンズ』の傍らで、秋内楽が「でも」とささやくように口添えした。
「先日『サファイア・ベール』より奪取した『あれ』を使えば、楢柴アラタに対抗できるかもしれない」
思わせぶりなその言葉に、チーム唯一にして随一凶猛な男が反応した。
興が惹かれたように上半身を前に倒した彼を背で遮りながら、『ワンズ』は『マーチャント』へと詰め寄った。
「言ったはずだ。あれは成分さえも解析できない未知の代物だ。それに輸送車を奪ったって言ったが、時州の総本山からたやすく奪えるとは思えない。罠の可能性だってある」
「……あくまで一手段、というだけの話だ」
「じゃあこの話はこれまでだよ」
使うつもりはない。そう断じて、彼は副官との談話を一方的に打ち切った。
そして、様々な外的要因に振り回されている仲間たちに、あらためて宣言した。
「サイトの利用もランキングも、あくまで僕たちの正義の在り方を世の中に示すためだ。この力も、私怨を晴らすために使うものじゃないし、必要以上に求めるものでもない。良いか、僕らは正義のために戦っている。薄汚れた大人たちがその汚れた屑糸でがんじがらめにしてしまったこの世界をただし、それを断ち切って世界を前進させるという、崇高な目的のために戦っているんだ」
本心からつむいだ言の葉は、彼の五体の隅々までも、清浄な気と力とで満たしていく。
その爽快な心地を胸に抱くたび、彼は自分が正しいことをしていると達成感や使命感を再認識するのだった。
XXX
口うるさく、自己陶酔のケのあるリーダーは完全に追っ手をまいたかの確認のために去った。彼にふさわしいナルシズムな女も、買い出しのために出かけて行った。
あとに残されたのは、静と動、まるで正反対の男たちだった。
お互いにとって、きびしい沈黙が続く。店の雰囲気にあった時計の秒針が刻む音だけが、やたら大きく聞こえていた。
あのリーダーの方針により、大学生の前後という身の上と本名かどうかも分からない名前以外、プライベートの詮索はしないことになっている。よって、活動方針よりほか共通の話題はない。
「……じゃ、自分もこれで」
気まずげに座を立とうとした『マーチャント』を『スラッシュ』は「おい」と呼び止めた。
ビクリとかえりみた彼を、その腕で壁まで押しやる。
自身が吹き飛ばした机に『マーチャント』がつまずきそうになるも、それさえも許さず拘束する。
「な、なにを……ッ!?」
大仰におびえる彼に、総介は犬歯を剥いた。
話題がないのはいつものこと。
今回に限って言えば、どうしてもこの優男に聞きたいことがあったから、こうしてふたりきりになれたのは幸運だった。いや、あの口やかましい『指導者気取りのいい子ちゃん』が帰ってくる前に、聞かなければならなかったし、もらわなければならなかった。
「さっき言ってた『アレ』ってなんだ? 今、持ってんのか?」




