華菜
夏休みも終わり、いよいよ新学期が始まる。学校が始まるのは午後からだと聞いた慶輔は、町の中央にある高台にやってきていた。
穂蛍がいなくなったあの日、慶輔の時が止まったあの日から彼は毎日のようにこの高台に来ていた。まだ暑さの残る日差しを避けるように木陰へと腰を下ろす。
ここで本を読むのが慶輔の日課になっていた。何度目になるか分からない本を読みながら、眼下に広がる街並みに目を向ける。
「もう秋か、早いな・・・」
風を感じながら慶輔は誰に言うでもなく呟いた。風に乗ってどこからか何かが聞こえてくる。よく耳を澄ませばそれは歌のように思えた。
音のする方へと歩いていく。木々のざわめきの中、吹き抜けた風が短い黒髪を大きくたなびかせた。その姿に慶輔は目を奪われた。一人の少女が気持ちよさそうに歌っていた。その声は澄み渡る清流のように誰もいない高台に響き渡っていた。
がさりと足音が立つ。慶輔の存在に気付いた少女は歌を止め、慶輔を見た。その少女の姿に慶輔はどこか穂蛍の面影を感じた。まったく似ても似つかない少女に、そのような感情を抱いたのはいささか彼の中でも疑問だった。
「この町の人?」
「・・・ああ、キミは?」
「こっちに引っ越してきたの。お婆ちゃんが亡くなったから、お婆ちゃんの家でおじいちゃん達と住むんだって。」
「そうか、なんか悪い。」
バツが悪そうに慶輔は目線をそらす。少女は気にするでもなくクスクスと笑い始めた。
「良い町だよね、ここ。」
「俺とアイツの思い出がある町だ。」
「アイツって、もしかして彼女だったり?」
少女の問いかけに慶輔は黙る。その様子に何かを感じ取ったのか、少女は慶輔の顔を覗き込んできた。急に近づく顔に驚き、慶輔は飛び離れた。
「ね、彼女さんってどんな人?」
「病弱でな、いつも本ばかり読んでたよ。でも、笑うとすっげー可愛いんだ。」
「そうなんだ、会ってみたいなー。」
「・・・もう会えないさ。」
なにかを察したのか少女は申し訳なさそうにする。初めて会った少女になぜこれほどまで話をしてしまったのか慶輔には疑問だった。ただ、話すことで慶輔の重荷が少し軽くなったような気がした。
沈黙が辺りを包み込む。
「ねぇ、私の歌、どうだった?」
「は?」
「さっき聞いてたでしょ、私の歌。感想が欲しいな。」
「・・・上手いと思う。透明って言うか、透き通っていた。」
話題を変えようとしたのか少女は突然として質問を投げかけてきた。慶輔は思った通りのままに言葉を紡ぎあげた。感想を聞いた少女は、途中で恥ずかしくなったのか顔を赤らめた。
「あはは、人に褒められるとやっぱり恥ずかしいや。」
「お前から聞いてきたんだろ。・・・そういえば名前はなんていうんだ?」
「自己紹介がまだだったね。」
少女は身をひるがえし、慶輔の前に立った。息を吸い込み笑顔で声を発そうとした瞬間だった。少女の携帯電話がけたたましい音を鳴らす。
慌てて少女は携帯に出ると、顔がどんどんと青ざめていった。
「やっば・・・もうこんな時間!?ごめんね、この続きはまた今度!」
少女はそのまま高台から駆け出して行ってしまった。まるで嵐が去ったような静けさを感じながら慶輔は腕時計を眺める。時刻は間もなく学校が始まろうとしていた。
「うお、遅刻はマズイ!」
慶輔も慌てて学校へと向かうのだった。
新学期が始まりクラス中が久しい級友との再会で賑わっている。雅樹と雄太、杏奈が教室で待っていた。
「今日から新学期とか・・・怠いわ。」
「雄太、そんなんだと留年しちゃうよ?」
机に突っ伏している雄太の頭を杏奈が小突く。夏休みに何があったのか、いつの間にか二人は急接近していた。
新学期早々に席替えがあり、黒板に張り出された表示を見て自分の席に着く。隣は穂蛍が使っていた席のようだったが、持ち主のいないそこは綺麗に片づけられていた。
「はい、みんな席に着いてー!」
慶輔たちの担任、相葉善子の一声でクラス中が静まり返る。まだ若く新任教師の善子だが、怒らせたら他のどの教師よりも恐ろしいことを知っている生徒はそそくさと指示に従った。
「えー、今日から新学期です。みんな夏休みは楽しかったかしら?」
ところどころから声が上がる。もちろん、どれもが楽しかったという声ばかりだ。慶輔は呑気なものだと頬杖をついた。
「そんな新学期ですけど、転校生を紹介します。入って。」
善子が声をかけると教室の前の扉が開く。コツコツと小気味の良い足音を響かせながら入ってきた転校生を見た男子生徒は息をのんだ。それとは別で慶輔は転校生を見て目を見開いた。
「・・・あーっ!!」
転校生は、慶輔を見るや否や大きな声を上げた。それもそのはず、慶輔が高台で出会った少女こそが転校生だった。
白い陶器で出来たであろう小さな花が装飾されたヘアピンを付けた転校生は満面の笑みを慶輔に向けて声を発した。
「桜咲華菜です。よろしくね!」