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蛍華 -keika-  作者: 絢瀬 耀
蛍火
8/16

永遠の花

 真夜中、月明かりが照り静寂が辺りを包むなか、その時間は突然に訪れた。

 枕元に置いてあった慶輔の携帯に着信が入る。そろそろ眠ろうかとしているところへの着信に腹を立てながらも、相手を確認した。

 電話を掛けてきた相手は穂蛍だった。


「・・・もしもし。」

「もしもし、穂蛍の母ですが・・・」

「・・・え?」


 朝日の射し込むベッドに横たわる穂蛍はいつもと変わらず、このまま眺めていればいつかはいつものようにおはようと起き上がってくるような気さえした。

 痩せ細った穂蛍の手は恐ろしいほどに冷たく、彼女の様子を一目で表していた。


「神代・・・結局、最期まで名前で呼べなかったや。」


 もう会えないと分かっているのに、慶輔の心情はひどく穏やかだった。


「天海くん・・・」

「不思議だよ。もう会えない筈なのに、妙に落ち着いてるんだ。」

「無理してない?」


 無理している。杏奈の言葉には同意できなかった。もしかしたら無理をしているのかもしれない。


「ごめん、ちょっと離れる。」


 慶輔は重い足取りで病院の中庭にやってきた。何度も穂蛍とやってきたここは、何も変わらず病院の中なのに活気に満ち溢れていた。


「良い子ほど先に逝っちゃうなんてねぇ・・・。」


 不意に背後から声が掛かる。そこには、一人の老婆がベンチに座っていた。何度か穂蛍から話を聞いていた老婆なのだろうと慶輔は思った。


「穂蛍ちゃん、本当にいい子だったよ。いつもアタシに坊やのことを話してくれたんだ。」

「ハハ、神代らしいや。」

「あぁ、そうだった。坊やに穂蛍ちゃんから預かりモノがあったんだった。」


 老婆は一通の便箋を慶輔に手渡した。隅には確かに穂蛍の文字で名前が書かれていた。慶輔は老婆に礼を言ってから病院を後にした。これ以上、ここにいてもやることはないと思ったからだ。

 帰路を歩いている最中も雅樹や雄太、翼から電話が入っていた。慶輔はそのどれにも出はしなかった。その日から、慶輔の毎日は空っぽになっていった。


「天海くん、葬式にも来なかったね。」

「それほどショックだったんだよ。突然だったし・・・。」


 式場では杏奈と雄太が木陰で話していた。穂蛍の葬式の参列者はかなり少なく、寂しいモノだった。穂蛍自身、友人が多いわけではない。もっぱらやってきているのは穂蛍の肉親と、杏奈たちのような数少ない友人だけ。そこに慶輔の姿は無かった。

 穂蛍の棺の前で翼は、ただ何を言うでもなく立ち尽くしていた。


「神代先輩、約束も守らないでどうするんですか。」


 翼の言葉には悲しみ以外に怒りが含まれているようだった。自分の好きだった相手を託せると思った唯一の相手。その相手との約束を無下にされたと翼は感じていた。


「私、言いましたよね。天海先輩を幸せにしないと怒るって・・・。なんでこんなところで眠ってるんですかっ!!」


 突然の怒号に辺りが静まり返る。心配して見に来た萌衣が目にしたのは穂蛍に向かって涙を流しながら叫ぶ翼の姿だった。

 翼はひとしきり思いのたけをぶつけた後、寄りかかるように萌衣に抱きついた。萌衣は優しく、翼を包み込み二人して人目もはばからずに涙を流した。


「穂蛍、あのね。私、穂蛍の友達で良かったと思ってるんだ。」


 棺の前に座る杏奈は語りかけるように話し始めた。目をつぶれば浮かんでくる穂蛍との思い出。幼馴染とも言える二人の思い出は昨日のことのように鮮明に思い出された。


「穂蛍ったらさ、いつも私の影に隠れてたじゃん。そんなあなたがいつの間にか天海くん、天海くんになって、私、ちょっと寂しかったんだよ?」


 杏奈の言葉に涙声が混ざり始める。絶対に泣かないと決めていた杏奈は声を殺して耐える。だが耐えられるほど、杏奈は強くなかった。


「・・・これで最後なんて嫌だよ。」


 杏奈は近くの雄太の胸に飛び込んだ。突然の出来事に驚いた雄太だったが、杏奈の様子に雄太は何も言わずに胸を貸した。


「ごめん、ちょっとこのままでいさせて。」

「・・・うん。」


 雄太は杏奈の顔を見ないように天井を見上げた。それが彼なりの優しさだった。

 葬儀が執り行われている間、慶輔は何をするでもなくただどこかへとブラブラと歩いていた。そのどれもが穂蛍と一緒に行った場所だった。無意識のうちに慶輔は穂蛍の影を追っていた。まだ穂蛍がいなくなった現実を受け止められずに。気付けば慶輔はいつの間にか、穂蛍と行った神社に来ていた。自分でも、なぜここに来たのかまったく分からなかったが、いつもと違う言いようのない雰囲気に慶輔は足を踏み入れていった。

 辺りはすでに真っ暗で、あの日と同じように月明りだけが辺りを包んでいた。神社もまたあの日と変わらず漆黒の闇に包まれていた。

 慶輔の周りをボヤっとした光が飛び回る。小さな蛍火が数多く浮かんでいた。

 慶輔は懐から穂蛍の手紙を取り出した。老婆から渡された日から封を開けることが出来なかった。中身を読んでしまうと本当に穂蛍が消えてしまうような気がしたからだ。

 意を決して、封を開ける。中には数枚の便箋が入っていた。


『この手紙を読んでいるということは、きっと天海くんの隣に私はいないことでしょう。私は小さいころから体が弱かったのは知っていますよね。だから、私は友達を作らなかったんです。きっと天海くんのことだから、気づいていたんじゃないですか。私はいつ死んでもいいって思ってたんです。でも、あなたに出会って、出会ってしまって変わっていきました。もっといろんなところに行きたい、もっといっぱい生きたい、ずっと天海くんの隣にいたいって思ってしまいました。でも、それは叶わない夢です。だから、最後の我儘、私から天海くんにお願いです。』


 読み進めている慶輔の目からはとめどなく涙が溢れていた。視界はぼやけ、便箋にシミを作っていく。それでも慶輔の手は止まらなかった。


『幸せになってください。今は辛く悲しくても、きっといつか笑える日が来ます。隣にいるのが私じゃないのはちょっと悔しいですけど、いつかその人とのことを教えてください。好きになってくれて、ありがとう。』


 最後の便箋の裏には、二人で撮ったプリクラの写真があった。慶輔も穂蛍も慣れていないプリクラに変な顔をしている。撮影した時は変な写真だと二人で笑いあったそれが、今では楽しそうな笑顔に見えた。


「ああ、そうか。もう思い出さないと・・・記憶の中でしか穂蛍には会えないんだ・・・」


 そう思い始めると悲しく、胸の奥が締め付けられるように感じた。その場で膝から崩れ落ち、声を押し殺しながら涙を地面に落としていく。穂蛍の死に立ち会った時に涙が落ちなかったのは悲しくなかったからではない。慶輔の中の何かがそれを認めようとしなかっただけだった。だからこそ、学校に行けば、図書館に行けば、きっと穂蛍がいると信じていた。しかし、そのどこにも穂蛍はいない。もう絶対に会えないという真実が一気に押し寄せてきた。

 一匹のホタルが慶輔の手元に停まる。そのホタルは慶輔が気づくと、光りながら天高く飛び上がった。まるで慶輔を見送るかのように点滅を繰り返しながら。


「蛍の光は死者の魂・・・」


 思い立った慶輔はその一匹のホタルを追いかけた。暗闇の山の中を、何度も転びそうになりながらも見失わないように走った。

 気付けば、慶輔は山の麓までやってきていた。すでにホタルの姿は無い。振り返っても真っ暗な山道が見えるだけで、光は見当たらない。

 

「天海くん、好きになってくれてありがとう。」


 どこからか、穂蛍の声が聞こえた気がした。辺りを見回してもその姿があるはずもなく、ただ静寂が広がるだけ。それでも慶輔の耳には確かに穂蛍の声が聞こえたのだ。

 記憶の中の穂蛍は笑っていた。


「神代・・・いや、穂蛍・・・俺だって・・・俺だって大好きだったよ・・・っ!だから、今日だけは・・・君を想って泣く俺を・・・許して・・・っ!」


 もう届くことのない想いを宵闇に零しながら、慶輔は全てをぶちまけるように泣いた。遠くではホタルの光が彼を見守るように優しく浮かんでいた。

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