蛍火
海での遊びを終えた慶輔たちは雅樹の提案で肝試しをすることになった。オカルトが苦手な雄太は乗り気ではなかったが、杏奈に諭されしぶしぶと了承した。
二人一組のペアになり、頂上付近の神社に行って戻ってくるという簡単なもの。ペア分けはくじ引きで決めることになり、全員が一斉にくじを引いた。その結果、杏奈と翼、雄太と萌衣、慶輔と穂蛍というチーム分けになった。一人の雅樹は、集合地点で待っている役割を押し付けられた。
最初に杏奈と翼が、次に雄太と萌衣、そして最後に慶輔と穂蛍が行くという順番になった。
「じゃあ行ってきますっ!」
杏奈と翼が山の中に入っていってから少し経って、雄太と萌衣も山の中へと入っていく。
「ねぇ、翼ちゃんさ。天海くんのどこが気に入ってるの?」
「どこって言われましても・・・全部?」
杏奈の問いかけに翼は首をかしげながら答える。改めて聞かれると言葉が出てこない。もちろん、慶輔の良いところを言おうとすればいくらでも出せる。しかし、それとどこが気に入っているかというのはまた別問題のような気がした。
「なんていうか・・・今までに会ったことないような人なんです。」
「会ったことない?」
「はい。私、中学の時、自分で言うのもなんですけど結構、男の子に告白とかされたんです。でも、その誰もが子供っぽくて、乱暴で・・・。でも天海先輩は違ったんです。先輩は、なんていうか・・・自分の事は二の次で、でもたまに子供っぽいところもあって・・・あれ、なんか変な感じですね。」
考えをまとめずにつらつらと口から言葉が出てくる。自分で言っていて矛盾の塊だと感じていた翼だったが、それ以外の言葉はみつからなかった。
そんな彼女の話を黙って聞いていた杏奈は、考え込むようなポーズをとった。
「ははーん、こりゃ穂蛍に強力なライバルが現れちゃったかな。」
「・・・私、神代先輩にも負けませんから。」
「うん、応援してるよ。」
意外な返答に翼は困惑した。てっきり、穂蛍の味方をするものだと思っていた杏奈からの激励。何か裏があるんじゃないかとも思ったが、杏奈の表情からはそれが読み取れなかった。
「うおおおおおっ!」
突然、遠くから男の悲鳴が響き渡る。野太いその声に翼はビクリと体を震わせた。
一方で杏奈はやれやれといった雰囲気で頭を抱えていた。
間髪いれずに草むらから飛び出してくる雄太。あとから息を切らせた萌衣も出てきた。
「雄太、さすがにビビりすぎ」
「いやでも、急に変な音がしたらビビるって!」
「斉木先輩、あれ、ただの風の音です。」
慌てながら弁明する雄太を見て、つい翼は吹き出してしまった。滑稽なその姿は先ほどまでの翼の悩みをいつしか吹き飛ばしていた。
「完全に迷ったな・・・」
周囲を見回しても明かり一つない暗闇。少し遅れて山に入った慶輔と穂蛍は道に迷っていた。
頼れる明かりは煌々と照り輝く月だけ。気付けば携帯の電波も圏外を示していた。
「まぁ、適当に歩いていればいつかは出られるだろう。」
そう言って歩き出そうとした時だった。穂蛍がその場にしゃがみこんでいた。慌てて、慶輔は穂蛍の傍に駆け寄る。体調が良くないのでは、悪い予感が脳裏を駆け巡る。
「大丈夫かっ!?」
「あ・・・すいません・・・靴擦れで・・・」
そう言った穂蛍の足は赤く腫れて皮も剥けて痛々しさを醸し出していた。一見して歩くのが辛そうだと分かるほどのケガ。
慶輔は穂蛍に背を見せてしゃがみこんだ。背面で両手を籠のようにした。
穂蛍にはそれが何を意味するのか一瞬で分かった。
「いえ・・・まだ・・・歩けますから!」
「無理するな。迷ったのは俺のせいみたいなもんだし。」
何度も何度も問答を繰り返していくうちに、穂蛍の方が根負けした。そっと両腕を慶輔の首に回す。体重の重みがかかる。しかし、その重さは慶輔が思っていたよりも軽かった。軽すぎると言っても過言ではないほどに。
「すいません・・・」
「謝るなって。神代は謝りすぎ。よし、これから謝るの禁止な。」
「すいません・・・あっ。」
「禁止っていったそばから言うんかい。」
口癖のようになっているものを急には直せない。そのやり取りが面白かったのか、穂蛍はケラケラと笑い始めた。
その様子を確認した慶輔は宛もなく歩き始めた。しかし、道が分かるわけでもなく、やはりどこまで進んでも似たような景色が広がるだけだった。
不意に穂蛍が慶輔の肩を叩く。穂蛍の指先は薄暗がりに立つ鳥居を示していた。
「良かった、目的地みたいだ。ちょっと休憩してっていいか?」
穂蛍は何も言わずにコクりと頷いた。神社の濡れ縁に穂蛍を下ろし、その右隣に慶輔も腰掛ける。
鳥居から向こう側はまるで別世界にでも繋がっているのではないかと錯覚するほどに漆黒に包まれていた。
まるで自分達を飲み込んでしまうのではないかという恐怖を感じた穂蛍は、ぶるりと身を震わせた。
右手にそっと暖かさが重なる。手元を見れば、慶輔が穂蛍の手に自分の手を重ねていた。映画の時とは違い、緊張している様子もなく、逆に穂蛍を落ち着かせるような微笑み。
恐怖が少しずつ和らいでいく。
穂蛍の目の前をフワリと小さな光が飛んだ。辺りを見回すと、小さな光は四方八方にたくさん浮いていた。
「これ・・・蛍か?」
穂蛍が驚いた様子で慶輔の顔を見る。一瞬、自分の名前を呼ばれたような気がしたからだ。それに気付いたのか慶輔も、穂蛍の顔を見た。蛍火が漂う中、静寂が辺りを包み込む。
「蛍の光は・・・死者の魂だと・・・昔、祖父が教えてくれました。」
「蛍の光は死者の魂か、だとすればここにいる人たちはきっと誰かに会いに戻ってきたんだろうな。」
ふと背後にいっそう強い光を感じた慶輔は神社の裏手を覗きこんだ。そこには小さな縁日の屋台のようなものがあった。先ほどまで気配もなかったそれを不審に思いながらも、なんとも言い難い優しげな雰囲気に、気付けば慶輔と穂蛍は屋台に近づいていた。
屋台には好好爺と言っても差し支えなさそうな老人が一人座っていた。老人の前には大小様々な民芸品だろうかアクセサリーが置かれていた。
「不思議ですけど・・・キレイですね・・・」
その中の一つを穂蛍はじっと眺めていた。白い陶器で出来たであろう小さな花が装飾されたヘアピン。アクセサリーには疎い慶輔でさえ、手間と想いが込められているのだろうと感じられるほどの出来映えだった。
「おじいさん、これ幾ら?」
「・・・坊やが気に入ったのかい?」
「あ、いや。俺じゃなくて、こいつにプレゼントしたいんだ。」
老人は朗らかに笑うと、慶輔の手にヘアピンを手渡した。財布を取り出そうとする慶輔を制止しながら、老人は続けた。
「人間の時間は有限だ。坊や、後悔しないようにな。」
そう言い放つと老人は二人の背後を指差した。そこには無作為に飛び回っていた蛍がまるで光の道を作るように一直線に飛んでいた。
慶輔が再び老人の方へと向き直ると、老人はおろか屋台さえ跡形もなく消えていた。まるで夢でも見ていたのではないかとも思えたが、手の中にあるヘアピンが夢ではないことを物語っている。
「不思議なこともあるんですね・・・」
「あぁ・・・あ、そうだ。神代、これ。」
穂蛍は慶輔からヘアピンを受けとる。そして、そのまま前髪をピンで止めた。前髪に隠れていた目元が露になる。
今まではよく見えなかった穂蛍の水晶のような瞳に見つめられた慶輔は心臓がトクンと跳ね上がるのを感じた。
「じゃあ、行くか。」
「・・・はい。」
再び慶輔の背中におぶさる穂蛍。実際はすでに歩けるほどにはなっていたが、穂蛍は慶輔の優しさに甘えていた。
蛍火に導かれるように歩み進めていくと無事に麓まで降りてくることが出来た。二人の様子を見た杏奈は微笑みを、翼は仏頂面を向けたが慶輔も穂蛍も気づいてはいなかった。
ただ、山で遭遇した不思議な出来事は二人だけの秘密にしようと固く誓うのだった。