シーズン・オブ・ザ・シー
「海だーっ!!」
雲一つない青空の下、水着姿の若者たちが海をめがけて駆け出していく。飛び散る水しぶきは太陽の光に反射し、キラキラと輝いた。
照りつける太陽の熱を避けるように、パラソルを立てる慶輔。その傍らでは穂蛍が申し訳なさそうに立っていた。
「すいません・・・私のせいで・・・」
「気にすんなって。こんぐらい大したことじゃない。」
敷き終えたブルーシートに穂蛍が腰掛ける。その隣に慶輔も腰掛けた。元々、体の弱い穂蛍は直射日光に長時間当たるだけでも、体調が悪くなってしまうためだ。
慶輔はシャツと海パン、穂蛍は先日購入した水着の上にパーカーを羽織るスタイルだった。
海風がシャツと肌の隙間を撫でていく。火照った体を冷やす心地よい風。慶輔は海風が好きだった。夏を感じさせてくれる潮の匂いが好きだった。
「先輩は泳がないんですか?」
水を滴らせながら翼が二人の下へと走ってくる。健康的な小麦色の肌とオフショルタイプの水着のコントラストが眩しい。若々しさからか、肌は水を弾き球体にしていた。
慶輔を立たせようとする翼。慶輔は穂蛍の方を向いた。
「私は・・・大丈夫ですから。」
「・・・何かあったらすぐに呼べよ。」
穂蛍は慶輔が海に入りたがっていることに気づいていた。もちろん、穂蛍も一緒に行きたかったが無理をするとどうなるか分からないために、待つことを選んだ。
翼に引かれ海へと駆け出していく慶輔。ひんやりとした冷たさが慶輔の体温を下げていく。砂が波に引かれるこそばゆい感覚が足裏を走る。
心地よさを噛みしめていた慶輔に突然、水流が直撃する。勢いこそなかったものの驚いた慶輔は、そのまま水しぶきを上げて尻餅をついた。
「へっ、油断大敵だぜ。」
「雅樹、てめぇ・・・」
水鉄砲を持った雅樹と萌衣が集中砲火を浴びせてくる。武器を持たない慶輔は防戦一方だった。
「先輩、パス!」
「ナイス、綾峰!」
翼が投げ渡した水鉄砲を受け取り反撃に移る。いつのまにやら慶輔と翼、雅樹と萌衣というチームに分かれて水鉄砲を撃ちあっていた。
夏を満喫しているかのような感覚は悪くなかった。それでも、時折、無意識に穂蛍の方へと目を向けていることに慶輔は気づいていなかった。
「先輩、たまに神代先輩の方を見てますよね。」
「えっ?」
翼に言われて初めて気づく。胸の奥の燻りが広がっていく。
「ほら、アイツ、体が弱いっていうから・・・」
「そういうのじゃないと思いますよ。」
上手く言葉が見つからない。翼の真剣な眼差しにも目をそらしてしまう。
「もっと素直になっていいんじゃないですか。」
「お前は、それでいいのか?」
「もちろん。神代先輩とはよきライバルでいたいですから!」
胸の前で小さくガッツポーズをとる翼。慶輔に比べると小柄な彼女を見ていると、いつのまにやら胸の奥の燻りが消えているような気がした。そして、慶輔はいつの間にか翼の頭を撫でていた。
「ありがとな、綾峰。」
「でへへ、どういたしまして!」
その様子を眺めていた穂蛍は自分の病弱な身体を恨めしく思った。もし、健康な体なら慶輔の隣にいるのは翼ではなく自分だったのではないか。そう思わずにはいられなかった。
不意に首筋にひんやりとした感覚が当たる。
「ひゃっ!?」
「思いつめちゃダメだよ、穂蛍。」
「あ、杏奈・・・。」
瓶に入ったラムネを手にした杏奈が背後に立っていた。考えるまでもなく杏奈が冷えたラムネを首筋に当てたことは明白だった。
ラムネを受け取り、蓋を使ってビー玉を落とす。衝撃を受けたラムネはしゅわしゅわと泡を出しながら、独特の酸味の効いた匂いを漂わせた。一口、口に含むと口の中で炭酸が弾ける。
「穂蛍さ、昨日のデートはどうだった?」
杏奈の言葉に口に含んだラムネを一息で吹き出す。気管支に入ったのか咳き込む穂蛍は、息苦しさを落ち着けてから顔を真っ赤にして騒いだ。
「な、なんで・・・知って・・・!?」
「昨日用事なんてなかったのだよ。」
「もしかして・・・わざと・・・?」
悪戯気に杏奈がウィンクをする。どうやら正解のようだ。昔から杏奈にはそういったところがあることを穂蛍は知っていた。
小学校の時に、病欠がちでなかなか友達の出来なかった穂蛍に最初に声をかけてくれたのが杏奈だった。杏奈はいつも穂蛍の手を引いてくれる唯一無二の親友だった。だが、時折やらかすイタズラのような行動には穂蛍も少しだけ頭を抱えていた。もちろん、そのイタズラも穂蛍のことを思っての行動が多いため、穂蛍も何も言えずにいた。
「その様子からすると、成功って感じだね。」
「成功って・・・杏奈のいじわる・・・」
「いや、騙したのは悪かったけど、結果オーライじゃん?」
「何を話してるんだ?お、ラムネじゃん。一口くれね?」
全身がびしょ濡れの状態の慶輔が穂蛍たちのもとへと向かってきた。慶輔は穂蛍の手にしたラムネを見て頼んだ。穂蛍は何も考えずに、ラムネの瓶を手渡す。
慶輔が瓶に口づけ、喉を潤していく様を穂蛍はじっと見ていた。
「穂蛍、これ間接キスじゃん。」
「あ、杏奈っ!?」
言われて初めて気が付いたが、これは紛れもなく間接キスになる。穂蛍はひったくるように慶輔から瓶を奪い取った。
「あ、飲み過ぎた?ワリィ。」
「そ・・・そうじゃないんですけど・・・」
慶輔の方は気づいていないようで、穂蛍はやや落胆した。一人で舞い上がり慌てふためいているのがバカみたいに思えてきた。
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫です!」
急に顔を近づけてくる慶輔に驚き、穂蛍は飛び離れる。近くで杏奈がニヤニヤしてみている。最近、杏奈がこの表情をすることが増えた様な気がした。
きょとんとした顔で慶輔は首をかしげた。ひとまず、飛び離れられるだけの元気は残っているのだから健康なのだろうと勝手に解釈し慶輔は胸をなでおろした。
穂蛍は気づいてほしいような、気づいてほしくないような複雑な心境でいっぱいいっぱいだった。