蛍華
しんしんと降り続く雪の中に悴む手を擦りながら女性は立っていた。
まだあどけなさを残した顔立ちは可憐さと艶めかしさをほどよく混ぜた麗しさだった。
「…遅いよ」
彼女に近付く影に、女性は声をかける。言葉とは裏腹に、その表情は緩んでいた。
「悪い、見惚れてた」
「すぐそうやって誤魔化すんだから」
近付いてきた男性の首に手を回しながら女性は抱きつく。男性も優しく彼女の背中へと手を回した。
「もう10年になるんだな」
「なんだか、あっという間だったね」
女性、華菜が海外でのレコーディングに発ってから10年の月日が経っていた。数年前に結婚した二人は離れながらもお互いのことを想いながら過ごし続けてきた。数日前に帰ってきた華菜が得られた数少ない休日が今日だった。
「ねぇ、慶くん」
「ん、どうした?」
「あのね、伝えたい事があるの」
神妙な面持ちで男性、慶輔の顔を見つめる華菜。その様子に慶輔も息を殺す。
「実はね……私、赤ちゃんが出来たみたいなの」
華菜の言葉に一瞬だけ頭が真っ白になる。刹那、慶輔は心の奥底から喜んだ。
「本当か!?」
「うん、昨日病院に行ったら、お医者さんが…女の子だって」
「そうか、やったな!」
力強く抱き締める慶輔。華菜の目からは大粒の涙が溢れていた。
「名前、決めないとね」
「女の子だったら、決めてある」
慶輔が懐の手帳を取り出し、真っ白いページに文字を書いていく。
「蛍華…蛍のように輝き、華のように美しくって願いを込めた」
「いい名前ね、きっと気に入ってくれるよ」
体を寄せあった二人の間には暖かいぬくもりが広がっていた。
「…とまぁ、これが俺たちの話かな」
風鈴の響くリビングで髭を触りながら慶輔は、膝に乗せた少女に話し掛ける。少女は目を輝かせながら慶輔に全体重をかけた。
「そんな昔の話、恥ずかしいでしょ」
「仕方ないだろ、蛍華が聞きたいって言ったんだから」
台所からエプロン姿で出てきた華菜が彼の隣に座った。
慶輔は膝の上で本を読んでいる少女、蛍華と隣の妻を見て微笑んだ。
「まるで、穂蛍ちゃんみたいね」
「利かん坊なところはお前にそっくりだけどな」
「なんですとー!」
慶輔は華菜と蛍華を抱き締めた。この暖かい幸せを永遠に感じ取れるように。
「穂蛍、俺はちゃんと幸せだよ」
一匹の蛍が彼らを見守りながら星空高く飛び立っていった。