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第九話 狼少女の番犬



 ひと通り話し終えると、セレナは疲れたのか寝てしまった。

 腹ごしらえをして眠たくなっただけかもしれないが。


(……腹減ったな)


 いつの間にか日も高くなっている。十時か十一時ごろだろうか。

 思えば、狼少女の登場で朝ご飯を食べる暇もなかった。冷めたスープを温め直し、セレナの食べ残しのパンを浸して頬張る。スープには具がほとんど残っていなかった。

 ベッドで丸まっている少女を眺めつつ、今までの話を頭の中で反芻する——と、再びドアがコンコンとノックされる音で、俺は思考を中断した。


「入るわよー」


 呑気な声と共に入ってきたのは、艶のある濃緑の髪を一房片側に束ねた長身の女性。

 瞳は知性と活力を内包した明るいブロンド色で、同色のローブを肩から着流している。やや童顔寄りの風貌もあってか一見すると二十代前半の若い女だが、髪の陰から覗いている古代族特有の長い耳を見れば、彼女が見た目以上の年齢を重ねていることや、莫大な魔力をその身に宿していることが推測できる。

 彼女こそが、エルフィア孤児院院長——シェイラ・エルフィアだ。


「ちょうど今、眠ったところです。声、抑えてください」

「あら、間が悪いわね。私もお話したかったのになー」


 人差し指を唇に当てながら小声で言うと、シェイラは柳眉を下げて残念そうな顔になる。


「あらー、あらあらあら。可愛い寝顔じゃない」


 が、すやすやと寝息を立てる少女を見た瞬間、頬が一気に緩む。

 彼女の上品な顔立ちはセレナと同じ種類のどこか高貴な出自を感じさせるが、纏う雰囲気は正反対だ。まるで年端も行かない少女のように表情がころころと変わる。


「同感です。天使みたいですよ」

「遠目に見たら白い毛玉ね。これはこれで可愛いわ、撫で回したいくらい」

「あ、耳は触っちゃダメですよ、嫌がられました。尻尾は大丈夫みたいですが」


 俺はセレナの尻尾をもふもふと撫でる。

 シェイラは目を細めながら、両手でかぎかっこを作って俺とセレナを見た。


「うん、すごーく……お似合いよー」

「はい?」

「……こりゃ今夜のミーティングは荒れるわねえ」


 言葉の意味が分からず、俺は首を傾げた。

 シェイラは特に気にした様子もなく手を下ろし、腕組みをする。


「エルは何を話したの?」

「えっとですね」


 俺は、先ほどセレナから聞いた話をそのまま伝えた。

 ここまで緩い言動が目立つシェイラだが、これでも数年に渡って優秀な《卒業生》を育てているほか、剣術は主流派の《七の太刀》までを修め、魔法は全属性の《上級》、水魔法に至っては《最上級》に到達しているなど、非常にハイスペックな一面も持ち合わせている。

 普段の子供っぽいふるまいは俺たちのレベルに合わせて猫をかぶっているだけだろう。

 狼少女に猫乙女……うん、悪くない。


「フェンルリティア、か。……ふぅん」


 話し終えると、シェイラは腕組みをして天井を見上げた。

 何を考えているのか、目を細め、眉根を寄せ、唇をへの字に曲げて、難しそうな顔だ。

 ちなみに、俺の推測——赤の国と白の国の戦争に巻き込まれた云々は話していない。あれは俺の心構えをどうするかという話であって、所詮は外の世界に出たこともない蛙が又聞きから捻りだした与太話である。参考にもなるまい。

 だが、シェイラの表情から察するに、セレナが王女だという推測はあながちハズレでもなさそうである。


「どう思いますか?」

「んー?」

「セレナがここに逃げてきたことです」

「そうねぇ……」


 シェイラは視線を下ろし、俺をじっと見据える。

 金色の瞳に、先ほどまではなかった窺い知れない光が宿っている。

 俺はまだ、自分が転生者であることを人に明かしていないが、隠すつもりもない。この歳で敬語を使っていたり、魔法の研究をしたり、疑う要素ならいくらでもある。

 俺が彼女を《猫かぶり》だと見ているように、彼女もまた、俺が何かを《かぶって》いると勘繰っているのだろう。

 前世では負け犬だったので、犬かぶりとでも言おうか。

 犬少年。狼とは親戚だしちょうどいい。

 渾身のジョークのつもりだったが、俺の脳内で妹と姉が『五点』の札を突き付けてきた。


「エル、ひとつお願いしてもいいかしら」


 これが十点満点なのか百点満点なのかで俺の心の持ちようも変わってくるわけだが、心の中で二人は真顔でシェイラの方を指差し、話を聞けと促してくる。

 俺は表情を取り繕ってシェイラを見返した。


「なんでしょうか?」

「この後、厄介なお客さんが来るかもしれなくてね」


 超どうでもいい冗談を一人ぶちまけていた俺の目を、金色の眼光がぐりぐりと抉る。

 はい、ガチな方の話ですね、真面目に聞きますごめんなさい。


「まあ初めてのことじゃないし、今まで通り追っ払うつもりだけど、今回は少し手こずるかもしれない。でもエル、あなたとセレナは外に出てきちゃダメよ」

「その厄介な客というのは、いつもの借金取りとは違う感じなんですか?」

「ちょ、なんで借金取りって気付い……こほん。そう、ちょっと違うと思うわ」


 シェイラの『来客』とは、往々にして借金返済を催促しに来る輩を指す。

 子供には請求書の意味は分からないだろうと高を括り、借金取りを適当に追い払い、悪党に勝利したヒーローのような顔で子供たちを誤魔化しているシェイラだが、足し引きに掛け算が出来れば文官を目指せるような世界ではさすがの俺も後れを取ったりはしない。

 ていうか、年長組の中でも薄々勘付いている節があるようで、隠れて返済しようという動きもあったりするのだが、シェイラは気づいていない。

 俺やシェイラより子供たちの方がよほど上手である。


「とにかく……今日はここに居なさい。いいわね」


 少し動揺した様子のシェイラは、髪を耳の後ろに流して仕切り直しをする。


「一日中この部屋ですか?」

「そうよ。ご飯とかは他の子に持ってこさせるから心配いらないわ」

「魔法の授業とか、剣の稽古は」

「お休みよ」


 ほんと真面目ねえ、とシェイラは若干呆れた顔になる。

 非才なる身からすると、一日休んだだけで周りと埋めがたい差が生じかねないので死活問題なのだが、そうも言っていられない状況ではある。


「ちなみに、外に出たらどうなるんですか?」

「怖いお兄さんたちが大挙して追ってくるわよ」

「……それは勘弁してほしいですね」


 俺の脳裏に、赤い毛むくじゃらの筋肉戦士たちが猛追してくる光景が浮かんだ。


「あとは私に任せて、大人しくしてなさい」


 有無を言わせぬように、シェイラの手が乱暴に俺の頭を撫でる。

 胼胝を何度も潰して硬くなった、およそ女性らしくない手のひら。

 そこには子を優しく包む母性ではなく、降りかかる火の粉を払う力があった——そう、まるで、昼夜問わずひたすら金槌を振り人々を守る家を造り続けた、前世の父のような。


「こんこん、おじゃましまー!」


 どたどたと廊下が騒がしくなったかと思うと、勢いよくドアが開け放たれ、一人の男の子が飛び込んできた。


「おかーさん、鎧の人がいっぱいきたよお!」


 大音量の報告が部屋に反響し、飛び起きた狼少女がベッドから転がり落ちた。

 ブラウンの髪と瞳、腕に羽毛が生えた《半獣人》。カルーという名の少年だ。

 布団にくるまって髪を逆立てながら「ふーッ」と威嚇する少女。「よーしよしよし」と尻尾をもふもふして宥めていると、シェイラがまた俺の頭に手を乗せ、今度は優しく撫でてきた。


「エル。その子のこと、ちゃんと守ってあげてね?」

「分かりました」


 そこは任せてほしい——そういう意味も込めて、きりりと眉を立ててシェイラを見上げる。

 何がおかしかったのか、シェイラは口元を抑えながら部屋を出ていった。

 こうして俺は、狼少女の番犬として一日を過ごすこととなった。



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