第八話 伝説のもふもふ
前の世界でいう《姓》は、この世界では《種族名》という形で扱われる。
例えば、孤児院の名にもなっているシェイラの種族名である《エルフィア》は古代族の一人であることを示す。原種の種族名は《ストレディア》なので、本来俺は《トゥエル・ストレディア》と名乗るべきなのだが、シェイラ曰く『孤児院の子供たちはみな家族だ』ということで、俺もそれに倣っているというわけだ。
特に、多くの種族に分岐している獣人族には、その分多くの種族名が存在する。
長い歴史を経て、それらの種族名に実績が重なり、それを名乗る一族の《強さ》を示すようになった。
「……」
レイチェルが持ってきてくれたパンとスープをまぐまぐと頬張る狼少女を眺めながら、俺は乾いた唇を舌で湿らせる。
少女の名前は、セレスティナ・フェンルリティアと言った。
《フェンルリティア》。
これは獣人族の中でも、ある血統を受け継ぐ者にしか名乗ることを許されていない。それでいて、世界中の人間がこの名を知っている。
すなわち、純血の天狼種、《白狼聖》の末裔。
勇者を背に乗せ、共に魔王と戦い、これを撃破した獣人族の始祖・白狼聖——その直系ともなれば、言うまでもなく獣人族の頂点に立つ最強の種族名である。
(真偽はともかくとして……)
彼女の姓名が本当なら、白の国の王位継承権を持つ本物の王女ということになる……はずだが、スプーンも使わず皿ごと口に含む勢いでスープを飲み干す少女は、ずば抜けて容姿端麗であることを除けばむしろ野生的な振る舞いが目立つ。
「おかわり」
「むお……」
皿を差し出した拍子に、びしゃ、と残り汁が俺の顔に飛び散った。
が、セレスティナは意にも介さず今度はパンに集中し始める。
お行儀が悪い一方、人にあれこれやってもらうことに慣れているような感じもする。先ほどから体の汗を拭いたり飯をよそったりと、俺は早くも召使い扱いである。
顔に付いた汁を拭いつつ、そういえば——姉が寝込んだときは、よくこんな風にわがままになったものだ、と懐かしい光景が脳裏を過り、なんとなく気分がほっこりした。
「はい、お代わり」
「ん」
「おいしいか?」
「ん」
「喉が詰まるから、もっとゆっくり食べな」
「ん、ん……」
もごもごとリスのように頬を膨らませる少女の傍ら、俺はテキパキと魔法で鍋の温度を調整し、濡れタオルで食べこぼしを拭き取り、湿ったシーツを交換する。
シェイラなら絶対に甘やかさないだろうが、俺に言わせれば、むしろ孤児院の子供が手間がかからなさすぎる。俺よりよほどしっかりしていて気後れするくらいだ。
世話の焼ける相手が見つかってちょっと安心する転生者。
情けないことこの上ない。
(……さて、現実逃避はこれくらいにして)
そろそろ事情聴取を再開するとしよう。
手始めに名前を聞いてみたら特大の爆弾が見つかってしまったため少々思考を整理していたが、ひとまず《白の国の王女》という言を踏まえて話を進めよう。
下手をすれば、戦争に巻き込まれたとかそんな次元の話ではなくなりそうだ。
口いっぱいのパンをスープで飲み込んだ隙に、俺はそろりと質問を滑り込ませる。
「きみ、お母さんや、お父さんはどこに——」
「——。……れな」
「ん?」
「セレナ、ってよばれてた」
きみ、という呼び方が気に入らないのか、少女は自分の愛称を主張する。
俺が名前を呼ばないのは、王女という未知の存在との距離感を探るためで、避けているわけではない。向こうから距離を寄せてくれるなら是非もなし。
というか、何を質問するつもりだったのかど忘れした。
えっとえっとそうだ。彼女の出身は。
「セレナはどこに住んでるの?」
「……しらない」
少女はけぷっと小さく喉を鳴らした。
故郷のことには興味がないのか、反応が薄いというか、淡々としている。
孤児院の子供とは正反対だ。
「セレナは、いつも何してるんだ?」
「なにも」
「何も、してない?」
「ん」
「……いま何歳?」
「ん、と、ごさい」
引きこもり王女、というフレーズが脳内に浮かぶ。
小学生にして居間のソファを『私の城』と称して独占し、寝っ転がりながらスナック菓子を頬張る自堕落の化身と化した妹の姿が脳裏にフラッシュバックした。
俺はぶんぶんと首を振る。この子はまだ五歳。余裕で巻き返せる。
「何の獣人なの?」
「おおかみ」
「へえ、すごいね。耳さわってもいい?」
「ダメ」
「しっぽは?」
「……ん」
俺の腰にふわりと尻尾が巻き付く。
そろそろと触ってみると、もふもふとした柔らかな毛に指が埋もれてしまった。手のひらにじんわりと温もりが伝わってくる。濡れタオルで多少拭き取ったとはいえ、血や汗であれだけ汚れていたというのに、なんというもふもふ感。
(なんか石鹸みたいな良い匂いまでする……あー至福)
このまま永遠にもふっていたいものだが、残念ながらそうもいかない。
まだ質問は残っているのだ。
「セレナは、何から逃げてきた?」
少女は、無言になった。
感情の起伏が出にくいのか、質問を始める前からその顔は一貫して無表情だ。
今、その目は——まるでガラス玉のように景色を映すだけで、何も見てはいない。
俺は数刻、その無機質な紅玉をじっと見つめ、
「そっか」
特に何が分かったわけでもなく、そう言って引き下がる。
聞くべきことだったとはいえ、嫌なことを思い出させてしまっただろう。俺はごまかすように少女の頭をくしゃくしゃと撫でつつ獣耳に触ってみようとするが、
「や」
「——ごっ!?」
嫌がったセレナの強烈な蹴り上げが下顎にクリーンヒットし、危うく本当に昇天するところだった。
……次はもっと上手くやろう。
もっと可愛くケモミミを書く力がほしい