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第五話 魔法



 今日も今日とて、俺は魔法の練習をする。


「あ、エルシー姉さま。おはようございます」

「……おはよう」


 足音に気付いて振り返ると、エメラルド色の髪をなびかせる少女が玄関から出てくるところだった。少女は素っ気なく挨拶を返し、庭先に出てストレッチを始める。

 彼女を皮切りに、孤児院からぞろぞろと少年少女が顔を出し始めていた。


(もう朝稽古の時間か……)


 孤児院では、日が出てから大体一時間後くらいに剣術と魔法の稽古を行う。

 前世で言うと、大体六時くらいだろうか。そして、俺はさらに早い時間——日の出より少し早く起き出して自主練を行っている。

 何も意識高い系を気取っているわけではなく、ちゃんと理由あってのことである。

 というか、見栄を張るために朝早く起きるくらいだったら、俺なら睡魔を優先する。


「おっ、おはよ、エル」

「レイ姉さま。おはようございます」

「っ……」


 明るいオレンジの髪の少女に挨拶を返すと、そそくさと逃げられてしまった。

 俺はその背中を無意識に目で追い、ハッと我に返ってぶんぶんと頭を振る。

 気にしてはいけない。いつものことだ。

 ちなみに朝稽古は五歳以上の子供に課せられるもので、四歳の俺は参加してはいけない。

 ではその間何をやるのかというと、自主練の成果を振り返りつつ、朝稽古に励む兄・姉の剣の捌き方や魔法の使い方を目で見て盗むことである。


(自主練は今日も進展なしか。一人じゃ限界があるな)


 ひとまず、今日の自主練の反省会から始めることにする。

 生前の知識による《魔法》とは、呪文を唱え、魔力を熾こし、形にして出力する、とこんな感じのプロセスを辿って《不可思議現象》を引き起こすものである。

 この世界の魔法もその例に漏れず、詠唱と魔力を用いて発動するものだった。

 せっかく前世の知識を持ち越したので、例えば水や土を創り出す魔法が一体どういう原理で万物の創造者に喧嘩を売っているのか調べたりもしたが、顕微鏡もない世界で原子の配列が分かる訳でもなく、小説の主人公のように次々と新しい何かを生み出したり、飛躍的自己強化のきっかけを掴むこともない。ただただ本に書かれた呪文を暗記する日々が続いた。

 これでは、英単語を暗記するのと何も変わらない。

 俺は次第に、もどかしい気持ちを抱くようになっていた。


(うーん、やっぱり新しい魔力素子を組み込むと不安定になるな。別の魔力素子を加えてみるか……ダメだな、消費魔力も上がるから意味がない。……いや待て、だからこそ新しい発見があるかも? ダメもとでやってみるか……)


 考え事をしていると、背の高い影がぬっと俺を覆った。


「よう、エル。今日も早いな」

「あ、ディン兄さま! おはようございます。寝ぐせついてますよ」

「まじか? どの辺?」

「ここです、この辺」

「おー……まじだ。ちょっと直すわ」


 パーマのかかった茶髪の青年はもにょもにょと下級水魔法を詠唱すると、髪の毛を湿らせてぺたぺたと毛先を寝かせつける。

 寝ぐせはくるくるの癖っ毛の中に紛れ込んで見えなくなった。


「どうだ?」

「ばっちりです」

「さんきゅな。みんなから笑われるとこだったぜ」


 ディンは、この孤児院の中で俺と普通に接してくれる数少ない一人だった。

 この孤児院では最年長の十三歳で、少年の殻を破って急速に成長を遂げている、まさにその真っ只中といった感じの好青年。

 一方、先ほどから朝稽古の準備を始めている子供たちもすべて五歳以上、つまり俺の年上なわけだが、実のところ、俺はみんなから毎日ガン無視を食らっている。

 おおよその理由は見当がついている。

 俺が自主練を始めたのもそれが理由だ。


(気にしない、気にしない……)


 俺は努めて自主練の反省会に思考を戻す。 

 詠唱と魔力だけで発動できる。魔法の仕組みは典型的で単純だ。

 だが、特に魔力、この未知の生体エネルギーには、もっと別の使い方があるのではないかと思わずにはいられない。全身に纏って身体強化したりとか、魔法陣を描くとか、そういう魔法の派生形みたいなものがどうやら存在しないらしいからそう思うのかもしれないが——もっと何か、何かできるのではないかと、気付けば俺は、どうにかして魔力を他の形で応用できないかと試行錯誤するようになっていた。

 現在、俺が試しているのは《詠唱略化》の応用である。

 具体的な魔法の発動プロセスは、《起唱》《術唱》《結唱》の三段階から成り立つ。まず起唱で魔力の属性を定義し、次に術唱で魔力回路を組み上げ、最後に結唱で実行する。言葉を発するだけで謎のエネルギーが体の内側に湧き出すのだから不思議なものだが、さておき、この中で言うところの《術唱》は理論上省略が可能である。

 詠唱とは要するに『魔力回路を組み上げる手順を自動化する』ものであり、逆に言えば魔力回路は《術唱》を使わずとも構築できる。これが《詠唱略化》の仕組みだ。

 単純な話、詠唱するより早く自力で魔力回路を組めば、敵にどんな魔法を使うのか悟られることなく先制できるという利点があるわけだが、《詠唱略化》にはもう一つの利点がある。

 自分で魔力回路を組めば、魔法の規模・速度や魔力の割り振りを自由にカスタマイズできるほか、新しい素子を加えることができるのだ。《魔法改変術》という。

 自分好みのオリジナル魔法を作れると言えば聞こえはいいが、実際は非常に高い精度の魔力制御能力が必要となる。何しろ、魔力回路の構築に失敗すると《魔力暴発》が起こって手足が吹っ飛びかねないからだ。

 後になってシェイラに詠唱を省略して見せたら、烈火のごとく怒られた——《術唱略化》は何千何万回と同じ魔法を使い続けて呼吸と同じ感覚で魔力回路を組めるようになった者、例えば料理で日常的に火を使うコックや、毎日洗濯するのに水を使う主婦みたいな人間が使うもので、魔法を覚えたての三歳児が挑戦していいものではない、死にたいのかと。


 ここまで来てようやく、俺はこの世界の《魔法》を理解した。

この世界の魔法は典型的で、単純——それはつまり、一般人にも分かりやすく体系化された結果であり、歴史でもあるのだろう。

 魔法の起源は魔力。その魔力を引き出すためのキーワードが起唱だ。

 術唱によって決定される質量や速度は、適当な数値を割り当てているわけではなく、最小限の魔力で最大効率の威力が発揮されるよう、おそらくは長い時間をかけて最適化されたもの。

 また、結唱には、詠唱中に咳き込むなどして魔力回路が断線した際、魔力を外部に強制排出することで魔力暴発を防ぐセーフティのような役割もある。

 例えるなら、一種の《総合文化》に近い。

 呪文の一節一節が長い時間をかけて重ねられた研究と検証の成果なのだ。

 地球では原子や電子の法則を利用した《科学》が発達したように、この世界では魔力を利用した《魔法》が文明として進化しているのだ。使われる法則も、原理も、地球のそれとはまるで異なる。前世の知識を使えばトントン拍子に強くなるだろうと楽観視していたわけではないが、むしろ誤った知識による先入観が失敗を招くことすらあった。あるいは、俺の知識の使い方が下手なのかもしれないが——完成された 《文化》なら付け入る隙がないのも頷ける。


 だが不思議と、俺はそこで諦める気にはならなかった。

 こんな風に試行錯誤を重ねることは、たとえその先が行き止まりであっても、決して無意味なことではないはずだ。

 何より、楽しい。

 魔力は使えば使うほど精密な操作が可能になる。つまり魔力回路を組むのが早くなる、魔法の発動速度が上がる。《術唱略化》にしても要は慣れればいいだけの話。暴発のリスクを抑えた今では、術唱を省いて魔法をカスタマイズする魔法改変に夢中だったりする。

 新しい法則を発見したり、見たこともない魔法を発明したわけではない。ただ、こんな風に自分の考えをとことん突き詰め、考え続けることが、楽しいのだ。

 あるいはそれは、一種の現実逃避のようなものだったのかもしれないが。


(……)


 まるで何か嫌なことから逃げるように思考の渦に没入していた俺は。

 いつの間にか朝稽古の場から三人ほど姿を消し、庭の裏の方から「ディンあんた何抜け駆けしてんのよ」「え、何の話?」「問答無用だ。稽古前のウォーミングアップと行こうか」「ちょっ待って。レイ、エルシー、なんでそんな怒ってるん——ぎゃああああ!?」などと騒がしい声が聞こえることに気付くことはなかった。



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