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第二十四話 仁義なき戦い



 赤毛の獣人——クロウウェル・フェンルリティアが気絶した少年とそれを抱える少女の二人を見下ろしていると、二人の少女がこちらに駆けてきた。


「らぁああああああああ!」


 激昂の声と共に放たれた二つの魔法を爪で弾き飛ばしつつ、クロウウェルは後ろに跳んだ。

 少年と少女を守るように剣を構えて戦闘態勢を取る二人を前にして、獣人は、


「……。チッ」


 ゴキゴキと肩を鳴らし、鋭敏になった五感を解いて《獣化》と《覚醒》を解除する。

 逆立っていた獣耳や尻尾の毛が萎み、一帯を支配していた威圧感が消えた。

 怪訝そうな顔をする少女たちに、クロウウェルはこれ以上戦う意思がないことを示すように折れた剣を鞘に収めてみせる。それでも二人は中々警戒を解こうとしない。

 構わず、獣人は体中の筋肉の集中をほどくように首を回した。


(くそ。不愉快だな)


 全身に汗が滲み、倦怠感が伸し掛かる。

 ここまで体力を消耗したのは久しぶりのことだった。しばし瞑目し、慢心や油断はなかったか、もっと早く決着させることはできなかったかと思案する。

 焦りが先行していたのは確かだが、それを考慮しても、今回ほどに《最善手》が浮かばない戦闘は初めてだ。手のひらの上で転がされているような嫌な感覚が今も頭の隅にこびりついて消えていない。

 目的の少女が目の前に転がり込むという海老で鯛を釣ったような状況にもかかわらず、獣人の顔色が晴れることはなかった。

 その理由は——クロウウェルの目の前にいる。


「ふう。間に合ったみたいね」


 濃緑の髪を風に流す、悠然とした立ち姿の女性。

 他の追随を許さない破天荒な人生を生きてきた、文字通りの生きる伝説——言わずと知れた世界最高峰の魔法使いの一人。


 《茨の魔女》シェイラ=セントルルーシュ・エルフィア。


「さっき術導院の方にセレスティナちゃんの保護申請を出してきたわ。たった今からその子はエルフィア孤児院の保護下に入ります」


 瞑目したままのクロウウェルに、女性はゆっくり歩み寄ながら剣の柄に手を乗せる。


「ああ、獣には言っても分からないか。こっちで白黒つける方がお好みかしら? 私は一向に構わないけれど」


 にこりと微笑む女性の笑顔から空気が軋むような殺気が迸り、クロウウェルの全身に大量の冷や汗が噴き出す。

 彼女の視線の先にあるのは、少女が抱えているぼろ雑巾のような少年の姿。

 この女が空前絶後に激怒している理由が一瞬で分かった。


「ね。黙ってちゃあ、分からないわよ」


 この緑髪の女が残してきた逸話はあまりにも有名だ。

 古代族の王家に生まれながらその末席を蹴飛ばして《古の国》を飛び出し、《帝の国》に古代族の秘術を持ち込み《四霊教》の警告も無視して研究を続け、その結果シェイラの親友の娘が誘拐され——あろうことか国を相手に喧嘩を売り、その娘を奪い返した。

 その抗争の影響は、当時内紛状態にあった《白の国》にも波及し、《赤の国》を分断する要因にもなったと言われる。

 彼女が何より嫌うのは、自分の大切なものを傷つけられることだ。

 その見目麗しい顔立ちの裏に潜む激情の棘は、時に国さえ引き裂いた。

 クロウウェルもまた、手を出してはならないものに手を出してしまったのだ。


(それが変わったかと思えば……)


 とはいえ、これらは十数年ほど昔の話である。

 最近は見る影もなく丸くなったらしく、あまりに荒唐無稽な過去とのギャップでむしろ世間に受け入れられていると聞いたが、その鋭利な殺気は少しも錆びついていなかった。

 温厚そうな仮面の下に潜む最凶の《茨の魔女》は、今を以て健在だ。


「……あんたは変わらないな」


「何、私を知ってるの? ……あら?」


 そんな彼女は、瞼を上げたクロウウェルを見て何かを思い出したらしい。

 その通り、二人が出会ったのはこれが初めてではない。

 片時も忘れたことがないクロウウェルに対して、シェイラは眉をひそめて記憶の底を浚おうとするが、


「た、助けて、シェイラさんッ! エルが、エルが死んじゃう!」


 飛び込んできた二人の少女の泣き顔に、シェイラの表情が切り替わる。

 言葉を待たずエルに駆け寄ったシェイラは——絶句した。


「ち、とまらない。……どうすれば、いい?」


 少年の——左腕がない。

 白い少女が何か言っているが、耳に入らなかった。


「え、ちょっと、嘘でしょ……全然間に合ってないじゃない!」


「知るか。俺がやったわけじゃない」


 逆上して頭に血が上ったシェイラは八つ当たりするように噛みつくが、クロウウェルは甚だ心外そうに鼻を鳴らした。

 千切れたように無残な断面をさらす少年の腕からは、壊れたホースのように血が流れ続けており、どす黒い染みが地面に広がっている。

 大量の血から漂う鉄の匂いに獣人は顔をしかめた。


「ああ、ごめんなさいエル……どうしよう、こんなに血が……!」


 久々にキレたことで半ば暴走状態にあったシェイラは、《加護》が送信する生命力流出の警報に気付いていなかった。

 無能な自分への新たな怒りが湧き上がるが、今はそれどころではない。

 出血量が多すぎる。《加護》に頼るまでもなくエルが死ぬ寸前なのが分かった。


(魔法も魔術も間に合わない。もっと何か、効果的な方法は……!)


 すぐさま回復魔法を使うが、血の勢いはまったく収まる気配がない。

 そもそも回復魔法はこのような重傷の治療には適さない。また《魔術》にも治療の術は存在するが、魔力の少ないエルのような肉体は術の受け皿として浅すぎて効果が見込めない。

 思考が空回りし、焦燥がシェイラの意識を焼く。

 肝心な時に限って答えを導き出してくれない頭を掻きむしり、叱咤する。

 と、その時、ふと少年を抱きかかえる少女が目に入った。


「……セレスティナちゃん、なんでここにいるの?」


「?」


 狼少女は獣耳を揺らし、不思議そうに首を傾げる。

 孤児院を覆うように展開している《障壁》は、物理的通行はもちろん魔術による《転移》も受け付けない。侵入も脱出も許さない不可能な絶対不可侵の領域のはず……というところまで考えて、いやとシェイラは首を振った。

 今の最優先事項はエルだ。利用できるものは全て利用する。


「セレスティナちゃん。あなたの血、少しだけエルに分けてもいいかしら」


 即座に反応したのはクロウウェルだった。

 事情を察した今だからこそ大人しくしている彼だが、目の前でセレナを好き勝手させるのは話が違う。次代の白狼聖を守る第一の盾として、何より《兄》としての面子が立たない。


「あまり調子に乗るなよ。切り捨てるぞ」


「あなたの意見は聞いていない。黙っていなさい」


「彼女の血は特別だ。どこの馬の骨とも分からん奴に与えていいものではない」


「誰に何を与えるかはこの子自身が決めることよ。だから、黙ってろ」


 一刻を争うという場面で邪魔をする獣人に、シェイラは苛立ちを隠さず、発散された魔力がバチバチと放電した。

 シェイラはセレナの目線に合わせてしゃがみ込むと、縋るような声で頼み込む。


「獣人の血には癒しの力がある。それを飲ませてあげれば、少しは持ち直すはずなの。だからお願い」


「なら俺の血をやる。それでいいだろ。セレナには手を出すな」


「ええ、セレナが嫌と言ったらあなたの血を奪うわ。力ずくでね」


 赤毛の言葉には一瞥もくれず跳ね返したシェイラの目を、セレナはじっと見返した。


「……ちを、のませればいいの?」


「そ、そうよ! 少しでいいから——」


「ん」


 言い終わる前にセレナはこくりと頷き、下唇を軽く噛んで出血させる。そして、


 ———紅く艶やかに濡れたその唇を、そのままエルの口に押し当てた。


 ぴしりと、場の空気が凍り付いた。

 ん、ん、という小さな息遣いと、血の混じった唾液が立てる水音——気を失った少年の咥内に、少女が自らの血液を口移しで懸命に送り込んでいる。

 確かにそれは、幼い少女が人を救えるためにと自らを顧みず実行した尊い行為に見える。

 だが、一筋の糸を伸ばしながら顔を離した少女の無表情、その奥に、勝ち誇ったような色が表れているのを二人の少女は見抜いていた。

 エルシリアとレイチェルである。


((こ、この女っ……!?))


 エルへ好意を寄せる二人だからこそ分かる。

 こいつも同じだと。

 同じ——敵だと。


「あ、あんたねえ! いきなり出てきて何かましてくれてんのよ!?」


「ボクは古代族のハーフだから血には自信があるんだ、魔力たっぷりだぞ、獣人のより効果があるはずださあそこをどけボクにも口移しさせろッ!」


「……ふ」


 突如勃発した仁義なき戦いの最中、獣人の血液を得たことで少年の出血が目に見えて緩やかになる。強烈な痛みが伴うらしくエルの顔は苦しげに歪んでいた。

 展開についていけず目を白黒させていたシェイラだが、ひとまず回復を認めて息を吐く。

 人並み外れた再生能力を持つ獣人の血液は、加工することで簡単な回復薬にもなる。再生を強制する回復魔法と違って、こちらは失われた体の組織から補おうとする力が強い。

 今、エルの体内では失った血液を補完するべく骨髄が活性化して血液を生成しているところだろう。

 どれだけ細胞が活性化しても普通の人間が腕を生やすことはできないので、四肢を欠損するような重傷には回復薬の方が有効なのだ。


 尤も、普通の回復薬にここまでの即効性はない。

 もし飲んですぐ全快するような薬が作れるなら、その材料となる獣人たちは絶滅する勢いで数を減らしていただろう。『彼女の血は特別』という言葉の所以だった。


「獣人の血液による再生手法……何度か試したことはあるけれど、流石に白狼聖の純血は格が違うわね。余計な加工をするとかえって効果が減衰しそうだわ」


「……その分、体に相当な負荷がかかる。治るまでに死ななければいいがな」


「大丈夫よ。エルはしっかり体作りしてるから」


 同じく置いてけぼりを食らった赤毛の獣人と並んで、シェイラは三人の少女を眺めた。

 互いがどこの誰なのかが分かった今、交わす言葉に込めるべきは敵意ではなく、しかし何を込めればいいのか分からない。そんな沈黙がしばらく二人の間に降りる。

 先に口を開いたのは、クロウウェルの方だった。


「……《赤い腕》」


「!」


「そいつの腕が無くなったのは、おそらくそれが原因だ」


 シェイラは一瞬、強く目を瞑った。

 予想はしていたが聞きたくなかった、そんな反応だった。


「こいつは、転生者なんだな」


 クロウウェルは構わずその先を告げる。

 各種族・部族の中でも最上位、限られた者だけが知るその存在を。

 先ほどの《赤い腕》——正式には《零落魔法》と呼ばれるあの異形の力は、実は転生者特有のものである。

 別世界の人間の魂はこの世界と波長がズレており、そのズレが一際大きくなった時に生じるのが《赤い腕》だと言われている。

 その人間が抱えている《闇》が深ければ深いほどズレは肥大化し、異形は力を増すとも。


「外面は良くても、化けの皮を剥がせば中身はまったくの別人ときた。そんな人間を、お前は受け入れられるのか?」


 あの少年の《赤い腕》の規模は、傍から見ても異常だった。

 転生者特有の力といっても、歴史上に記録されているのはほんの数例である。最も有名な例としては、名もなき物語の主人公・ユウタが魔王の一撃で腹に風穴を開けられた場面で《紅の槍》を放って一矢報いたという場面だが、描写では高々一メートル程度の結晶を創り出したと見るのが妥当なところだ。

 あの少年——トゥエルの《赤い腕》は一メートルどころではなかった。

 そんな得体の知れないモノを、育てる気があるのかと。

 クロウウェルはそう問うているのだ。


 地面の至るところにあるクレーターや荒々しく薙ぎ倒された木々を眺めてから、シェイラはおもむろに口を開き、


「愚問ね」


 一瞬の躊躇いも迷いもなく、切り捨てた。

 口を半開きにしてぶっ倒れている少年を見る彼女の眼差しは、どこか楽しげだった。


「あなたがここにいて、私がここにいて、なぜかセレナもここにいる。でも戦いにはならない……なんてね。こんな状況がたまたま出来上がるとは思えないわ」


 意見を窺うような視線を送られ、獣人は舌打ちした。

 正直に言えば、心当たりはある——血を吐きながら立ち上がった少年が最後に言った言葉がそれだ。

 失神寸前の上に吐血していたので、ほとんど言葉にすらなっていなかったが、獣人の聴覚は意志のこもった声と雑音とを正確に聞き分けていた。


『あ、と……は、たの……ます』


 あとは頼みます、と少年は言った。

 孤児院側の最高戦力と獣人側の最高戦力の二人が潰し合えば漁夫の利を狙う者が出てきそうなものだが、膠着状態になれば安易な手出しはできなくなる。誰しも世界最高クラスの剣士と魔法使いを同時に相手取りたくはないからだ。

 結果、セレナにとって最も安全な状況がここに整っていると言える。


「私の自慢の息子よ。誰にも渡さないわ」


 シェイラは断固たる決意を秘めた顔で宣言する。

 それは、同じように譲れない想いがあるがために聖戦を繰り広げる三人の少女への宣戦布告でもあった。

 まさかの《茨の魔女》の参戦に、しかし少女たちは一瞬も怯まない。

 ここから先は種族も年齢も関係ない。あるのは純粋なる想いの丈のみ。

 ドン引きする赤毛の獣人が見守る中で、少年を巡る攻防が、この日一番の熾烈を極めた。



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