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第二話 少女が見るは希望か絶望か

【急募】前書きに何書けばいいのか分からない


 絶望から逃げてきた先に待っていたのは、さらに深い絶望だった。


「何故殺さない? またとない機会のはずだ」

「……ふむ」


 首根っこを掴まれ、幼い少女の足は宙に浮いていた。

 少女を吊るしているのは、巨大な黒い翼、角、尻尾を備え、分厚い鎧のような甲殻を全身にまとう男だ。端的に表現するならば、人の形をした竜とでも言うべきだろうか。

 背後に立つアルビノ姿の男が声に苛立ちを露わにするが、竜は一向に構う様子もなく、自らの手の中で力尽きようとしている少女を琥珀色の瞳でしげしげと観察する。

 少女の目には、力がなかった。

 抵抗することもなく、だらりと手足を下げたまま虚ろな瞳を宙に彷徨わせている。頸動脈が圧迫されて意識も遠のきつつあるようだった。

 竜はそんな様子をひとしきり眺めた後、不意に手の力を緩める。


「気が変わった」


 どさりと少女の体が地面に落下する。

 げほげほとむせ込む少女に、竜は興味深げな視線を向けたまま言う。


「この娘を勇者のもとへ連れていけ。それで育つだろう」

「……何を言っている? 私との取引を反故にするつもりか」

「ふむ。というと?」

「私は貴方に死に場所を与え、貴方は私の障害を排除する。そういう契約だったはずだ!」

「少し違うな」


 竜は少女から視線を外し、おもむろに踵を返した。

 正確には、竜の足は地面についていない。

 まるで透明な膜が竜の全身を覆っているかのように、地面や空気といった外界の存在は竜の甲殻に触れることすらできずにいる。

 竜は男を観察するように目を細めた。


「契約として扱ったのはそなただけであろう。我は一度も約束すると言にしていないし、了承もしていない」

「そんな勝手が、今更通用するとでも——」

「ほう。では押し通したらばどうする? 我を殺すか」


 琥珀色の眼光がアルビノの男を射抜き、二の句を喉の奥で詰まらせる。


「さすれば、我は喜んで受け入れよう。煮るなり焼くなり好きにするがよい」

「それは、私の役割ではない」

「ああ、そなたの主人の役割であったか? では聞くが、その主人は我を本当に殺せるのか」

「無論だ!」

「ほう。大した自信だ」


 その瞳にあるのは、威圧感や殺気などといった人間が感じることができるような次元のものではない。

 ただただ高く頂点の見えない霊峰のような、隔絶した存在だけが持つ圧倒的な力の片鱗だ。

 己が主人に絶対の信頼を寄せる男は、口を開いたまま先を語ることができずにいた。

 竜はしばらく男を見つめていたが、射竦められて動かない彼を見てあからさまに残念そうなため息をつく。予想通りとも、期待外れとも取れる仕草だった。


「果敢なきことだ。それに比べて、この娘はいくらか期待できる」

「……どういう、ことだ?」

「見て分からぬか? 我に引導を渡すだけの才を持っているということだ」


 再び少女を見る竜の目には、心なしか珍しい石を見つけた子供のような童心の光がある。

 視線の圧力から解放されたアルビノの男は、顎に垂れた汗を拭いながら、しばし竜の言葉を咀嚼し——その意味を理解すると同時に目を剥く。


「この、娘が……貴方を殺せると?」

「今はまだ及ばぬだろうが、類稀な《魔剣術》の素養を持っている。鍛えれば我の《鎧》をも砕く矛となるやもしれん……が、その極に達するには相応の導き手が必要になろう」


 あまりに硬い甲殻は一切の攻撃を受け付けず。

 あまりに厚い魔力の鎧はあらゆる魔法を呑み込み。

 あまりに強い生命力は今や呼吸や食事すら必要なしに肉体の有機的活動を維持する。

 前代の魔王が討伐されてから三千余年、『生き続けるほどに強くなる』という特性を持つ天竜種の純血として生まれた竜は、もはや自分一人の力では死ぬ術を持たなかった。

 長すぎる生が彼にもたらしたのは、幸福感でも充足感でもなく、無限に続く退屈という名の地獄だった。


「三度は言わぬ。この娘を勇者のもとへ連れていけ」


 自らの死を求める竜は、少女に秘められた未知の天稟に一抹の望みを抱く。

 男は返事をせず、竜の視線の先にいる少女に目を向けた。

 尤も、竜は返答など求めてはいなかったし、必要だとも思っていない。


「真なる《白狼聖》の可能性……少し、見たくなった」


 二人の男に視線を注がれる少女は、感情の抜け落ちたガラス玉のような目で虚空を見つめたまま、何の反応も示さなかった。

 まるで、現実から意識を切り離し、思い出したくない記憶に封をしているかのように。


 それから少女は、アルビノの男に連れられて某国某所を転々と移動した。

 ある時は下卑た笑みを浮かべた汚い男たちに渡され、ある時は小綺麗な格好をした偉そうな男に引き取られた。いつも無理やり組み伏せようとしてくるのだが、少女が軽く蹴り飛ばすとみな柔らかい泥人形のように変形し血を撒き散らした。

 太い鎖は強引に引き千切り、爆発する首輪は爆風よりも速く移動することで簡単に抜け出すことができた。鼻が曲がるような匂いのお香を嗅がされたり、妙な味の薬を飲まされたこともあったが、体が一瞬で分解しているようで何の効き目もなかった。不快に感じて暴れると何もかもが吹き飛んで辺り一帯が更地になった。

 その力を目の当たりにした男たちは、一様に笑みを恐怖の色に転じて逃げ出した。

 そして少女は、自分の力が常軌を逸して強大であることを初めて認識した。

 父親に聞かされた話——国を脱走するきっかけとなった話が真実であることを、否が応でも認めざるを得なかった。


 絶望は、少女をより深い闇の底へ引きずり込んでいった。

 少女はやろうと思えばいつでも逃げ出すことができた。

 あらゆる拘束も薬剤も撥ね退ける力があった。

 しかし、彼女を呑み込む闇が重石となり、少女の体は鉛のように重く動かなかった。

 不快感を払い除けるので精一杯で、食事も睡眠もろくに取れないまま、少女は衰弱の一途を辿っていった。

 生きる気力を失い、地面に横たわったきりの体は、もう死人のように冷たくなっていた。


「………………?」


 ——不意に。

 闇に染まり切った意識の片隅に、何かが掠める感覚があった。

 まるで流れ星のように、それは小さく一瞬の瞬きに過ぎず——しかし星の一つもない暗闇の中でこそ、それは一際大きく、強い輝きの尾を少女の意識に焼き付けた。


「…………ぅ、ん」


 のそりと体を起こし、不思議な光を見た方向に顔を向ける。

 地下の牢屋に閉じ込められている彼女の目には、蝋燭一本が照らし出すのっぺとりした岩壁のほかに映るものはない。

 だが、確かに見えた気がした。

 刹那の内に生命の限りを燃やし尽くし、何も残さず消えてゆく、弱く儚い一条の閃光が。


 確かに。



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