第十九話 窮地
エルくんの心境:相手にずっと俺のターンされて完封負けするモブデュエリスト
硬化魔法は非常に強力である。
理論上、大量の魔力をつぎ込めばあらゆる剣撃や魔法を耐え凌ぐことが可能になる。
また副次的な作用として、《身体機能》を若干上昇させる効果がある。
筋力やスタミナを始めとする運動能力が少しばかり強化されるのだ。
筋肉や骨格の強靭化に伴う副作用であり、実際に筋線維が増えるわけではないのでこちらは魔力を使うほど効果が増すということはないのだが——このように、運動能力と耐久力の両面から前衛をサポートできる硬化魔法は、この世界の戦いの在り様に大きな影響を及ぼしているのである。
とはいえ、欠缺が存在しないわけではない。
ここまでの効果内容を額面通りに受け取ると、とりあえず魔力を突っ込めばどんな攻撃にも倒れない無敵の戦士が完成するということになってしまうわけだが、硬化魔法にはもう一つの付帯効果が存在する。
それは——体重の増加。
(か、体が、動かな……こんなに重くなるのか!?)
結論から言うと、俺の《重ね硬化》は、獣人の斬撃をほぼ完全に防ぎ切った。
自主練の検証結果では、俺の魔力を二割ほど消費した《重ね硬化》は強めの下級魔法程度の威力を無効化できることが分かっていたのだが、本日の硬化魔法には六割もの魔力を使用している。理由は察していただきたい。
斬撃を受けても、皮膚の表面に浅い切り傷を負う程度で済んだ。
その一方で、硬度が増すほどに《体が重くなる》という硬化魔法のデメリットによって俺は新たな危機を迎えることになっていた。
体が鉛になったかのような重量感が全身にのしかかり、指先一つ動かせないのだ。
おかげで先ほどから完全にサンドバッグ状態である。
「チッ!」
「ごっ、ぶ、ぐえっ……ぼあ!?」
顔面にしこたまパンチをもらった俺は、べしゃりと地面にひっくり返った。
獣人の攻撃がすんげー強烈なのも問題だった。
今だって鼻っ柱がへし折れたかと思った。
硬化とはいっても、皮膚までが鉄みたいに硬くなるわけではない。どちらかというと分厚いゴムのように、しなやかさを保ったまま強靭になる感じだ。
だからなのか、痛点の浅い部位を執拗に殴られると普通に痛いのである。
「痛っ、い、痛いです、スネはやめっ……いっだぁ!?」
「……厄介だな。これだから魔法使いは嫌いだ」
向こう脛を爪先で蹴っ飛ばされた俺は悶絶しながら地面を転げ回る。
無様を晒す俺を見下ろしながら、獣人はやる気を失ったようにため息をついた。
「最後のチャンスをやる」
「ふぇ……」
「吐け。セレナはどこにいる」
涙目で見上げた俺の鼻先に、彼は剣の切っ先を突き付ける。
俺はまじまじと青年を見つめ、瞬きを数度繰り返した。
「……知ってるけど、教えません」
「そうか」
ふと思うところがあって、騎士にしたものと同じ返答をすると——ドラム缶が凹むような音が体の芯を貫いた。
「っ、は……!?」
今までの攻撃が手心を加えたものであったことが一瞬で理解できた。
あまりの衝撃に呼吸ができなくなるが、その苦しみを味わっている暇もない。
「死ぬなよ?」
ただの一蹴りではるか上空に吹っ飛ばされた俺は、ぐるぐる回る視界の中で——深紅の毛を逆立てた餓狼が牙を剥く姿を幻視した。
***
レイチェルとエルシリアがとった探索方法は、単純な聞き込みであった。
エルはそこにいるだけで色々と目立つので、道行く人の目に必ずとまるはずである。懇意の杖屋や宿屋を尋ねてみると、読み通りエルの情報が得られた。
どうやら西側が当たりのようだと順調に足取りを辿ってきたものの、行く先々で生じる問題の数々に二人の雰囲気は険悪を極めつつあった。
「まったく、レイには困ったもんだよ! 温泉の壁を吹っ飛ばしたってなんだい、一時期宿が閉鎖になったことがあるけど、あれってレイのせいだったのかい!?」
「う、うっさい! 休憩室でお尻触ってきた不埒なクソジジイのせいよ!」
以前レイチェルがやらかした一件について、宿屋のおばちゃんはたいそうお怒りだった。
こってり絞られた二人は道のど真ん中で人目も憚らずぎゃーぎゃーと言い争いをする。
「それならエルシーこそ杖んとこでクロさんにデレデレしてたじゃない! あーあー、エルがいるっていうのにひっどいお母さんだこと!」
「なっ、何言ってんだいそれとこれとは話が別だろうっ!」
「浮気癖のある母親なんてサイテーよ」
「そもそも誰とも付き合ってないから浮気もくそもないんだけどな!?」
根も葉もない物言いにヒートアップするエルシリアだが、不意にレイチェルはふっと不敵な笑みを浮かべてクールダウンした。
「へえ、そうなのね。エルシーにとってエルはその程度の存在でしかないわけか」
「それってどういう……」
言葉の意図を一瞬図りかねたエルシリアは、次の瞬間ハッとした表情になる。
「レイ、まさか君は、エルのこと——」
「好きよ。……いいえ。愛してるわ」
「ッ!!」
衝撃の発言に場が凍り付いた。
頭が良いだけに年齢の壁やモラルについて考えざるを得なかったエルシリアに対して、天性の感覚派であるレイチェルは細かいことなどお構いなしの大胆さを見せつける。
ただのアホともいう。
「……そうか、なるほど。確かに、ボクにはまだ覚悟が足りてなかったようだ」
それは、互いに唯一無二の友人であり天敵であると認め合う決闘者たちの儀式だった。
同じ土俵で正々堂々真っ正面から勝負するというレイチェルからの宣戦布告に、エルシリアは全身全霊を以て応える。
ただのバカともいう。
「分かった、いいよレイ! その勝負、ボクが真っ向から受けて立つッ!」
傍目には年頃の少女が彼氏を奪い合っているようにしか見えないのだろうか、視線の火花を散らす二人に「攻めろボクっ子ぉー!」「金髪の嬢ちゃん負けんな!」などと野次が飛んでいるがその実繰り広げられているのは四歳児の争奪戦。
もしここにシェイラがいたら「駄目だこりゃ」と白目を剥いていることだろう。
二人は再びの握手を交わす。協力関係ではなく、敵として互いを尊重するという証だ。
「ふん! 言っとくけど手加減はしないから。負けても泣かないでよ」
「望むところだ。そっちこそハンカチの準備でもしておくことだね」
「減らず口がいつまで続くか見ものね……!」
「それはこっちの台詞だよ……!」
姉として、母としての一線を越えた少女たちにもう後戻りは許されない。
しばらく見つめ合ったレイチェルとエルシリアは、ほぼ同時に駆け出した。
膨れっ面のおばちゃんが教えてくれた「あの坊やなら騎士に連れていかれたよ」という事実が示すのは、街の西側にある騎士団の駐屯所に他ならない。
エルはそこにいるか、または何らかの手掛かりがあるだろう。
戦争は、すでに始まっていた。
「お先ーっ!」
「くっ……まだだ!」
男子にも劣らない俊足のレイチェルがあっという間に序盤のリードを奪うが、エルシリアも負けてはいない。頭の中で街の地図を検索、瞬時に最短経路を導き出す。
鍛えた足腰で障害物を的確に回避し、魔法を使って屋根を登り、裏路地に屯する人攫いの手の者はぶん殴って沈め、最速を求めて駆け抜ける頭脳と肉体をフル回転させたデッドヒート。
プライドを賭けた勝負を僅差で制したのは——レイチェルだった。
「はあ、はあっ、え、エル……?」
息も絶え絶えに駐屯所に到着した彼女はしかし、そこで違和感に気付く。
門番の騎士が二人、門の前で倒れている。
周囲は静まり返っており、物音一つしない。
「はーっ、はーっ……くそぅ、負けた……あれ、レイ?」
次いで到着したエルシリアにも構わず、レイチェルは再び走り出していた。
肌の表面を這うようなざわざわとした悪寒は、そこら中で死体のように転がっている騎士の無残な姿を見る度に大きくなる。
嫌な想像、悪い予感が拭えない。
呼吸も忘れて疾走した先で彼女が見たのは——
赤い獣人に片足を掴まれて逆さまに吊るされている、ズタボロの少年の姿だった。
「なに、やってんのよ、あんたはァああああああああ————ッ!!!」
怒りの咆哮と共に、少女の全身から紅蓮の炎が噴き出した。
レイチェルさんがどう見ても主人公な件。