第十八話 蠱毒の坩堝
いつから更新が週末だと錯覚していた……?
ずんずんと歩幅も広く進んでいくレイチェルに、小走りでようやく追いついたエルシリアは怒気を含んだ顔でレイチェルの腕を掴んだ。
「待つんだレイ! 独断で動くのはやめろって」
「うっさいわね、あんたが遅いんでしょ!」
エルシリアは手を振り解かれたが、負けじとそのまま並走する。
「焦っても事を仕損じるだけだ。そんなに急いで何になる?」
「……あのねえ」
レイチェルはイライラした様子で立ち止まり、エルシリアをじろりと見る。
「エルシーこそ、この状況でよくそんな呑気でいられるわね」
「どういうことだい?」
「私たちは今、エルに試されてるのよ」
エルシリアは目を白黒させてレイチェルを見返す。
幼馴染がいきなりよく分からないことを語り出した件。
「ちょっと何言ってるのか……」
「あのエルが、何の意味もなく脱走するわけないでしょ」
「それはシェイラさんも言ってたじゃないか」
「そうじゃないのよ、分かってないわねー!」
若干引き気味のエルシリアに、レイチェルは食い気味に切り返す。
「私たち、最近エルとあんまり話せてないじゃない」
「最近というか、前からじゃないかそれは」
レイチェルやエルシリアに限らず、孤児院の子供たちの中でも特に《年長組》はエルに正面から接触するとその日一日の記憶が飛ぶ。
耐性を持っているのはディン・ミシェルの二人のみである。
話したいから近付きたい、けれど近付いたら色々ヤバいというジレンマの板挟みだった。
「遠回しにアプローチしてみてもポイントは全部ディンのクソ野郎に回収される始末よ。ねえエルシー、そろそろまずいと思わない?」
「まずいって……」
「もう私たちに《名付け親》としてのアドバンテージがないって言ってるのよ」
エルシリアの顔に緊張が走る。
いつの間にか立場が逆転し怒られる側になっているエルシリアだが、レイチェルが提示した危険性について考慮する頭はすでにエルのことでいっぱいになっていた。
もしここにシェイラがいたら「駄目だこいつら、早くなんとかしないと」と頭を抱えていたことだろう。
「ディンほどじゃないけれど、みんなエルに慣れてきてる。私たちが手をこまねいているうちに横取りされちゃうわ」
「こ、根拠はあるのかい」
「さっきのヴィリーとロルフの顔で分かった。あいつら、本気で奪いに来るわよ」
「……そうか、先にエルのもとへ駆けつけることでポイントを稼ぐつもりか!」
エルシリアはハッとした表情になり、レイチェルが重々しく頷く。
言われてみれば最近、ヴィリーやロルフを始め、朝稽古でやたらと気合を入れている男子が多かったが、あれはエルに良いところを見せようという魂胆だったわけか。もしかすると既に男子陣全体で動き出しているのかもしれない。
女子陣が牽制し合っている間に横から掻っ攫おうとはいい度胸である。
「要するに、これはエルの試練なのよ……誰が一番最初に駆けつけてくれるのかを試してるんだわ」
「私たちがまず勝たなきゃいけないのは、内側の敵ってことだね……!」
「油断も隙も無いわよ、まったく!」
レイチェルは組んだ腕の上で指をトントンと鳴らし、苛立ちをあらわにする。
場外乱闘も甚だしい様相だが、二人とも至って真面目なのがまた救えない。
残念ながらツッコミ役も不在……というか普段ならエルシリアが担当なのだが、その彼女がこの有様ではもはや二人を止める術はない。
二人はもう、止まらない。
「なるほど。そういうことならボクも協力するよ」
「頭脳戦はエルシーの得意分野なのに、いつも気付くのが遅いから後手に回るのよ。まったく鈍いんだから」
「ひ、一言多いな。その通りだけどさ」
エルの姉として——そして名付け親として譲れない戦いがここにある。
彼女たちは短く、しかし岩のように硬い握手を交わしていた。
「説明するのに無駄な時間を食っちゃったわ」
「片時も無駄にはできないところだったね……申し訳ない。よし、ここから先はボクに任せてよ。最速最短でエルを見つけ出してみせるから」
「ふんっ、ようやくエンジン掛かってきたみたいね。さっさと探しに行くわよ!」
共同戦線を結んだ二人の少女は、遅れを取り戻すべく再び動き始めた。
最終目的が色々と考えものな二人だが、定まった目標に向けてひとたび走り出せばその動きに無駄はなく、さながら特殊訓練を受けた精鋭部隊のそれを彷彿とさせる。
尤も、その認識もあながち間違いではない。
国立術導院のクエストレーティングにして最高位・レベル7を誇る《茨の魔女》シェイラが教えるのはただの知識ではなく、彼女が冒険者時代に積んだ実戦経験に基づく《生き抜くための術》だ。
エルフィア孤児院はシェイラが突発的に立ち上げ、半ば趣味のような形で運営されている院ではあるが、それゆえにその本質はただの孤児院ともまた違う。
各地でシェイラが保護した選りすぐりの鬼才たちが集う、天才の養成機関だ。
とりわけ伸び盛りなのが、強い目的意識を持ち、生まれ持つ野生的な感性で剣も魔法も理屈抜きの感覚で操る天才肌の少女・レイチェルと、状況を俯瞰的に把握する力に長け、徹底的に叩き込まれた基礎を軸として堅実に立ち回る理論派の少女・エルシリア。
蠱毒の坩堝じみた環境で育てられた子供たちの中でもとびきり優秀な天才少女の潜在能力には、シェイラにすら底が知れないところがあるほどで——
「エルだけは絶対に譲らない……譲れないわ」
「そうだね。それこそがボクらの信念だ」
そんな二人は心のどこかで理解していた。
この《試練》を乗り越えた時、次はお互いに味方としてではなく、敵として相見えることになるだろうということを。
なんかこの親馬鹿二人書いてて楽しい。