第十五話 振り回される教導者
検問を通過して間もなく術導院に到着したシェイラは、子供たちに指示を出し始める。
「これからエルの捜索を始めるわよ。私は術導院にいるから、手掛かりを見つけ次第、報告に戻ってきなさい。勝手な行動は許さないわ」
先ほど見せてしまった無様な一面を払拭するべく、シェイラは声に気合を入れる。
子供たちの冷めた表情からして完全に空振っている雰囲気が漂い、なんかもう喉が震えそうなシェイラであるが、何とか気張って凛とした表情を保つ。
今は教え導く者としての体面より守らなければならないものがある。
「ロルフとヴィリーは街の東側を探しなさい」
「はい」
「ん」
ロルフは、超巨大なハンマーを武器として愛用する九歳の小人族。後ろから見るとハンマーが歩いているようにしか見えない小さな男の子だ。
ヴィリーは十歳の後人族、むすっとしたような口元が特徴の少年で、剣も魔法も器用に操るオールラウンダー。ちなみにヴィリーは愛称であり、本名はヴィリアンテという。
「エルシーとレイは、西側を探して」
「了解」
「分かったわ」
エルシリア・レイチェルの両名は、まるで攫われた姫を助けに行く勇者のような決然とした面持ちで立っており、先ほどからシェイラは若干気圧されていた。
四人とも孤児院では七歳以上——見た目はまだ幼くとも、シェイラが仕込んだ剣術と魔法を使いこなし、チームプレーで大人をも凌ぐ戦闘能力を発揮する《年長組》だ。
これからこの四人でエルの行方を捜索するのだが、実はエルの捜索を志願したのはこの四人だけではない。
(むしろ、私がまとめなきゃ孤児院がもぬけの殻になるところだったわ……)
——可愛いは、正義。
異論は皆無。エルフィア孤児院一同の総意であった。
腕力が非力すぎて剣に振り回されていたり、弓矢が的に届かなかったり、本にかじりついて読み耽っていたり——エル本人は至って真面目なのだが、彼がひたむきに努力する姿にはどこかマスコット的な愛嬌があるようで、孤児院において圧倒的な人気を誇っているのだ。
エルに尊敬される兄姉であるべしという意見で一致しているようで、気軽に会話することはなく、さりげなくサポートに回れるよう万全の体制が築かれている。
この《気軽に会話しない》という部分が誤解を生んでおり、エルは皆に嫌われているのではないかと心配しているようだが、その点に関してはまったく問題ない。レイチェル曰く「エルのことを嫌いになるのは、妬みか僻みで捻くれた人間だけ」とのことである。
「授業で教えた通り、ツーマンセルで動くこと。裏路地は通らないで表通りを使うこと。北のスラムには近づかないこと。パートナーを常に視界に入れておくこと。あと……」
「シェイラさん、話が長い」
エルシリアの言葉にも容赦はなかった。
推測ではあるが、エルが何らかの意図をもって行動しているとすれば早々に窮地に陥るとは思えない。そうなると、むしろ捜索に当たる四人の方が心配になる……のだが、
「ヴィリー、準備できたか?」
「ん……もうちょとかかる」
「私、先に行くよ」
「待ってレイ、一人で行動するのはむしろ非効率的だ」
残念ながら四人の頭の中はエルのことでいっぱいのようだった。
特にレイチェルとエルシリアは、エルを最初に保護したという名目で比較的親しくしている傾向がある。彼の笑顔に悩殺されて丸一日稽古に身が入らなくなったりすることもあり、指導者であるシェイラにしてみれば良い迷惑だったりする。今朝なんてエルの水浴びを窓から覗きながら「お、桶にハマってる……かわゆす……っ!」などと悶絶していた。
皆がエルとの接触を回避しているのは、一言二言交わしただけで致命傷を負いかねないからでもあるのだ。
ディンは即死耐性があるようで普段からエルと親しげに接しているが、その都度二人の少女が彼をしばき倒しに行く光景はもはや孤児院では見慣れたものとなりつつあった。
(エル一人でも手に負えないっていうのに……)
ただでさえ手に余るエルフィア孤児院の状況は、今朝転がり込んできた傾国の美少女の影響で一気に混沌一歩手前まで悪化した。
エルはそこそこ相貌に優れているが、それ以上に不思議と人を惹きつける雰囲気がある。
セレナは純粋に、そのずば抜けた可憐な容姿で人を骨抜きにするタイプだ。
二人に回復魔法をかけ終わった治療班が半死半生の様相を呈しているのを見て、シェイラはエルとセレナを治療室に閉じ込めるという苦肉の策で延命措置を講じたのだが、犠牲者は後を絶たなかった。タオルを渡しに行ったエルシリアは虚空を見つめたまま鼻血を垂れ流し、食事を運び込んだレイチェルは「二人の天使が迎えにきた」などとうわ言を繰り返しながら遺書を書き始め、何も知らずに飛び込んだカルーは魂の抜け殻と化した。
二人を自由に行動させたら孤児院が終わる。魔力で撥ね退けることができない二人のそれはある意味《魅了》より恐ろしい才能と言えるだろう。
エルとセレナに《魅了》された四人は、二人を助けることしか考えていない。
「じゃあ行ってきます」
「ん」
「あれ、レイ……もういなくなってる!? 勝手に動くなって言ったばかりなのに!」
「き、気をつけるのよ……」
視野が狭窄した状態は、時に判断ミスを招く。
常日頃からシェイラが口を酸っぱくして教え込んでいることなので万が一はないと思いたいが、心配なものは心配なのだ。
そんなシェイラの想いをよそに、子供たちはさっさと術導院を出ていった。
(……さて、私も動かないと)
目下最優先で解決するべき事項は、エルである。
派手な演出で煙幕を張り、狼少女を連れ出した——ように見せかけたその実は、シェイラの庇護下にセレナを残し、自らが囮となる時間稼ぎの作戦だ。まるで「後は任せました」とでも言わんばかりに、治療室のベッドにはエルの外套に包まった白い少女が残されていた。
エルの予測通り、シェイラに足りなかったのは時間。
白の国に一度訪れたことがあるシェイラは、《白狼聖の娘》の影響力を過小評価することなく万全を期して守りを固めようとしたが、騎士団の来訪で後手に回っていた。
最中、治療室に閉じ込められていたはずの少年は、まるで先行きを見通しているかのように逃走劇を演じ、奇しくも対応に窮したシェイラに時間を与えてくれた。
(まさか、本当に読んでいたわけじゃないでしょうけど)
現在、エルフィア孤児院にいるのは七人。
セレスティナ、カルー、エルと同い年の少女アンジェリカ。三人は七歳未満なので《年少組》にあたり、外出禁止かつ戦力外。
残る四人は、《年長組》の中でも最年長の少年・ディンと少女・フローラ、書斎に籠っているはずのミシェル、そして現役騎士であるルークである。四人ともずば抜けて優秀なシェイラの秘蔵っ子で、留守を任せても心配はないのだが、セレナを匿っていることを考慮して念入りに魔術を補強し直してある。
全種族中最高峰の魔力を誇る古代族の中でもぶっちぎりの魔力総量を持って生まれた神童が急拵えとはいえ全力で組み上げた《障壁》は、もはや上級魔法でもヒビすら入らない強度だ。
あまりに堅牢すぎて解除するのも一苦労なのだが、それは後で考える。
「ここに来るのも久しぶりだわー……ん?」
術導院の受付に足を向けたシェイラは、不意に騒がしい物音を耳にする。
何か見世物でもやっているのか、広場の方に人垣が出来ていた。
「おー、やれやれ嬢ちゃん!」
「騎士なんてぶっ潰しちまえー!」
「うひー、見てらンねえ。骨イッちまったんじゃねえのかありゃあ……」
どうも様子が違うようだ。
あまり些事に構っている余裕はないのだが、元術導院教師として見逃すわけにはいかない。
「公共の場で何の騒ぎよ? ほら、そこのうるさいの、退きなさい」
「うおっ。おいこら誰だてめ……ひっ!? い、《茨の魔女》!」
人垣を踏み倒すようにかき分け、騒ぎの中心に踏み込むと、
「あれ、シェイラ母さん」
ケモミミフードの幼女が騎士を吊るし上げているところだった。
シェイラは、ボコボコにされた騎士と眠たげな顔の幼女の間で視線を往復させる。
「ミ、ミシェル? なんでここにいるの? 書斎にいるはずじゃ……ていうかその騎士っ」
ミシェルの周りには、失神ないし失禁した騎士たちが死屍累々と積み上げられている。
よく見れば、ミシェルがまさに今首根っこを掴んで吊るしているのは、金ぴか鎧を着込んだレヴィス騎士団の団長だった。顔面が見るも無残に腫れ上がっている。
シェイラは頭を抱えたくなった。
「ミシェル……その人たち、首都レヴィスの騎士団なのよ。あとで厄介なことに……」
「……ん」
いつもの癖で、つい金銭的方向へ思考が飛びかけたシェイラであったが。
眉尻を下げたミシェルが、可愛らしくこてんと首を傾げて申し訳なさそうに言う。
「乱暴してきたから、殴っちゃった、けど……ダメ、だった?」
「まったく問題ないわ。むしろもう何発か入れときなさい」
年を取ってきたせいか、最近どうにも思考が保守的に過ぎる。
昔はもっと無茶をやったものだ。今のエルフィア孤児院も、無茶をした結果勝ち取ったものではなかったか。
自分のためにも子供たちのためにも、母親としてもっと若々しく堂々と在るべきだ。
「……よし、私も一発入れとくわ」
ミシェルは小さなグーを振り上げてポコポコと殴りつけている。一見して微笑ましい仕草だが、鎧はバコンボコンと凄まじい音を立て、団長は苦悶の声を上げていた。
シェイラもまたフラストレーションを拳に込めて、その顔面にお返しする。
「うちの娘に手ぇ出してんじゃないわよッ、このクソブタ野郎ォ!!」
「ぶるるぁっ!?」
鉄拳制裁。
きりもみ回転しながらぶっ飛んだ金ぴか鎧は、耳障りな音と共に地面を転がっていった。
「ふぅー。最近平和だったから油断してたわ……ミシェル、ごめんなさいね」
「ん」
オーレアの街において、エルフィア孤児院は割と有名な存在である。
というのは、孤児院の子供たちが術導院の《クエスト》を凄まじい勢いで消化する超優秀な剣士・魔法使いであるためで、術導院を始め多方面からお誘いを受ける。尤もその手の勧誘はシェイラが直接出向いて丁重にお断りしていたため、最近はほぼ無くなっていたのだが。
シェイラが鋭い眼光で周囲を睥睨すると、静まり返っていた野次馬は潮が引くように消えていった。
少し時間を食ってしまったので、すぐ本題に入る。
「それよりミシェル……エルに、ここまで連れて来られたのね?」
「う、うん」
ミシェルが着込んでいるボロボロのケモミミフードは、セレナが使っていたものだ。
年齢的には離れていても、小人族のミシェルは発育が遅く、小柄である。フードをかぶってしまえばセレナとの見分けはつかなくなる。そんな愛らしい見た目とは裏腹に、騎士団を軽く血祭りに上げる実力も併せ持ち、ついでにディンと並んでエルの《魅力》に耐性を持つ存在の一人でもあったりする。
エルの逃走劇のキャストとして色々と都合が良かったのだろう。
ミシェルは何も説明されずに《替え玉》役を担当させられたのだ。
「シェイラ母さんは、なんで、ここに?」
「エルを探すのに、昔の馴染みにも手を貸してもらおうかと思って。ミシェル、エルがどこに行ったか分かる?」
「……エルと待ち合わせ、してるんじゃ、ないの?」
待ち合わせ。誰と誰が?
身に覚えのない話が飛び出し、シェイラは一瞬思考を停止させ——目を細めた。
「その話、詳しく話しなさい」
厳しい声音に変わった母親に怯えたように、少女はおどおどとフードをかぶって頷いた。
要約すると、エルが派手に逃げ出した理由の一つは『孤児院側が態勢を整える時間を稼ぐ』ことです。