第十二話 重ね魔法
——脱走計画は次の通りである。
まず俺とセレナはローブをかぶって姿を隠し、二人が裏口から抜け出す。
次に、騎竜小屋へ向かい(騎竜は二足歩行の小型竜で、この世界では長距離移動の脚として重宝されている)、俺の相棒に騎乗。
最後に《切り札》を使って魔物除けの柵を突破。
実際には、裏口から抜け出す際に数人の騎士と鉢合わせしたために早々に《切り札》を使う羽目になったり、騎竜が爆発音に驚いて暴走しかけたりもしたが、どうにか持ち直し、現在俺たちは騎竜に乗って平野を駆けていた。
(うーん、やっぱりそう簡単にはいかないな)
煙幕だけで逃げ切れると思っていたわけではないが、数騎の追手が距離を詰めてきている。
やはり成熟した騎竜は、鎧を着込んだ騎士を乗せていても速いものだ。
「少しの間、手綱を預かってくれますか」
「わ、わかった……」
一方、俺の騎竜は、孤児院で飼っている二匹が番を為して生まれた子竜。鱗はなく、代わりにふわふわの羽毛が生えている、一歳に満たない未成熟な雛だ。
名前は《シュラーローゼン》。愛称は《ロゼ》である。
「ロゼ、悪いけど、もうちょっと頑張ってくれ」
「クエエ———ッ!?」
タマゴの頃からの付き合いだが、むしろ争いを好まない優しい性格の竜である。そのせいで狩りがままならず、俺の食べ残しをせがんでくることもしばしばだ。
二人乗りの時点でかなり無理をさせてしまっているが、怒涛の勢いで追撃してくる騎士たちに怯えてか火事場の馬鹿力を発揮しており、相棒は凄まじい脚力で逃走を続けていた。
こんな窮地に付き合わせて、とんだとばっちりを食わせてしまった。
これが終わったら一緒に美味しい肉を食おう、と俺は心の中でロゼに頭を下げる。
「止まれクソガキ!」
騎士は既に十メートルほどのところまで迫り、騎竜が地を蹴る音に混じって悪態が聞こえてくる。前に座る少女に騎竜の手綱を任せ、俺は後ろ向きに座り直した。
「……《ヴルカン》」
致し方なし、と俺は魔法の詠唱を始める。
火属性の魔力を励起させる起唱。いつも通り術唱を省略、さらに魔力回路を改変。魔力消費を抑えつつ——右腕と左腕、魔力を二つに分岐させる。
描き出す回路は単純な《火弾》魔法。小さな火球を発射する下級魔法である。
小火を起こす程度の魔法を何発撃ったところで、大した威力にはならない。
——だが、魔力回路を《重ね合わせる》とどうなるか。
「《ラディウス》」
左の手の平を右の手の甲に重ね、結唱を紡ぐ。
同時に実行命令を下された魔力は、せめぎ合うように互いを反発し、すぐには魔力を具現化することはない。手のひらの中で魔力の光が渦を巻き、まるで成長しているかのように輝きを増す——それが臨界に達した瞬間、真紅の色が視界を埋め尽くした。
ドパァン、と両腕に凄まじい反動が走り、俺は危うくロゼから転落しそうになった。
「うぐ……っと、あぶね!」
放たれた巨大な火球は地面で炸裂し、周囲に爆炎を撒き散らしていく。
詠唱だと一つの魔力回路しか記述できないため、《詠唱略化》と《魔法改変》の体得が必須となるこの技は、《重ね魔法》と呼ばれる超マイナースキルである。
不思議なことに、二つの魔力を重ねるだけで、魔法の出力が倍以上に跳ね上がるのだ。
(さすがに、何発も連続で撃てるもんじゃないか……けど)
びりびりと痺れる腕を庇いながら、俺は爆心地を眺める。
焦土と化した一帯では、騎士たちは統制を失ってすったもんだの騒ぎになっていた。高熱を帯びた《重ね火弾》によって空気が瞬時に膨張し、暴風のように周囲を薙ぎ払ったことで騎竜の足並みが乱れたのだ。
おまけに地面にはまだ火が残っており、騎竜の素足ではまともに歩けない。回り込むにしても当分の時間は稼げるはずだ。
「え、エル? いまの音って……」
「追手は撒きました。このまま逃げ切ります!」
「あぅ……う、うん」
下級二回分の消費で中級に匹敵する威力。
これが俺の《切り札》だが、無論《詠唱略化》のリスクは健在だ。
魔力制御に少しでもミスがあれば魔法は暴発し、肉体的な損傷にもなり得る。同じ構成素子とはいえ、《詠唱略化》を使って二つの魔力回路を同時に組むという行為は、両腕を丸ごと失いかねない危険を冒す暴挙でもあるのだ。
魔力回路がはるかに複雑な中級以上の魔法を幾つも組めるはずもなく、現実的に《重ね魔法》が適用可能なのは下級魔法のみ。危険な上に応用性に幅がないということで使い手はほとんどいないらしいが、俺にとっては天啓にも等しい技だ。
絶対的に少ない魔力を、技で補えるというのだから。
腕が飛ぶかもしれない恐怖も何のその、死に物狂いで練習したものである。
……たぶんもうシェイラにはバレただろうし、帰ったら修羅が待ち受けていそうだが、後のことは後で考えよう。
「お、見えてきた。あれがオーレアの街かな?」
それにしても——と、俺はフードを後ろに脱ぎ、手で視界の日差しを遮った。
慌ただしい出立になってしまったが、俺にとって初めての《外の世界》だ。
赤い石造りの防壁が木々の間にちらちらと見える。
オーレアの街……というより人界では、魔物や盗賊、人攫いなどの侵入を阻むために街を壁で囲い、検問を設けていると聞く。
どこか前世と似通った価値観を感じるが、はたして転生者が関係しているのかしていないのか。ともあれ、許可証を持たない俺はこのままだと検問を通過できないわけだが、当然俺とて無策で来たわけではない。
「っと。手綱、返してもらえますか」
「あ……ごめん」
ケモミミフードの少女はおどおどしながら俺に手綱を返した。
俺はロゼの手綱を軽く左に引き、木々がよく生い茂っている森の中に入っていった。少し前に聞いたシェイラの話を頭の中から引っ張り出す。
(えーと、確か正門に向かって左にある森の……)
蔦が巻いた樹木が二本と、苔むした石が二つ。
それぞれを対角線で結んだ交点は、オーレアの街へ続く抜け道——その座標を示す目印だ。
「お、あった。これだ」
落ち葉をかき分けていくと、円盤のような形をした大きな岩塊が見つかった。
土魔法で作られた異世界版マンホールだ。素手で持ち上がらないほど重い。
(鍵とかは無いみたいだけど……)
どうやって開ければいいんだろうか。
思いつく手段としては、土魔法を《重ね》て長い石棒を創り出し、その辺の岩を支点として梃子の要領で持ち上げるとかそんな感じの強行突破策しか……。
「んしょ」
ガコンと音がして、ケモミミフードがマンホールを片手で持ち上げた。
その下には、大人も屈めば通れるくらいの洞穴があった。
「…………………………………………」
これが種族の身体的格差というやつか。
筋力に限らず、体力・瞬発力といった運動能力はこれから成長するにつれてさらに差がつくと思っていいだろう。人生詰んでないかこれ。
虚ろな目で思考停止しかけた俺だが、ロゼが右手を甘噛みしてきて我に返った。
「よ、よし。行きましょうか」
ロゼの手綱を引き、俺は少女と共に洞窟へ体を滑り込ませた。
蓋は下から動かせなかったので土魔法で適当な円盤を作って代わりとする。真上から見たらバレバレだろうが、少し時間を稼げれば充分だ。
(もうすぐ、オーレアの街か……)
洞穴の奥はどうやら、坑道のように広く掘り進められているようだ。
壁にかけられた松明の火に合わせて、複雑な陰影がでこぼこの壁面を踊る。
松明が燃えているということは、この道がまだ使われていることを意味している——というのも、この抜け道、元々は脱税目的の輸送路として一部の騎士が作ったものらしい。シェイラが街の酒場で酔った騎士の話を小耳に挟み、世間に暴露すると騎士を脅したのだとか。
以後、シェイラを始めとする孤児院の者たちは「見張る」という名目で抜け道を使えるようになったというわけだ。
シェイラが上手いのは、違法な品は取り上げつつ、多少の脱税を見逃すことで未だに騎士団にこの抜け道を使わせていることだろう。おかげで孤児院メンバーは言いがかりをつけられることもなく、自由に街を出入りできる。
逆に言えば、こうして俺たちが抜け道を使って逃げたことは遠からず騎士たちにも分かってしまうことでもある。さっさと抜けてしまった方がいい。
「え、エル。ちょっと、歩くの、はやい……」
「おっと、失礼」
少女に言われて歩幅を緩めるが、程なく行き止まりに突き当たった。
壁を触ってみても硬い感触が返ってくるだけで、向こう側に壁抜けできる仕掛けがあるわけでもない。ちょいちょいと肩を突かれて振り向くと、少女が上を指差していた。
天井に四角い切れ目のようなものが見える。
「なるほど」
足元の地面が妙に盛り上がっているのは、魔法で作った土台の痕跡か。
俺は頷き、《重ね魔法》を使うべく両の手のひらを合わせた。
足元に盛り土を作るように土塊を生成すると、もこもこと地面が膨らみ、二人と一匹の身体が上昇し始めた。エレベータ式《重ね盛土》である。
(魔力がごりごり減っていく……)
これでも魔力回路を極限まで切り詰めているのだが、俺の魔力ではこれが限界か。
魔力が半分を切ったところで、俺たちは天井を塞いでいた敷石を押し退け、埃っぽい倉庫のような部屋に出た。孤児院で使うような魔法や弓の的、剣術用のカカシが備えてある。
確かこの抜け道は《術導院》に繋がっているという話だから、用具室だろうか。
ともあれ、ここまでは順調だ。
盛り土は崩す余裕もないし、むしろいい障害物になりそうなので放置するとして、
「では——ミミ姉さま、もうフードを取っていいですよ」
「え、と……」
ひとまず、種明かしの時間と行こう。
戸惑う少女のフードを取り去ると、露わになったのは純白ケモミミ美幼女のご尊顔——ではなく、お人形さんのような顔立ちの金髪ショートの幼女の顔だった。
背丈はセレナと同じくらいだが、これでも十二歳。この世界では成人だ。
愛らしい見た目ながら戦闘時は大剣を愛用し、身の丈を超える魔物を一撃で仕留める怪力の持ち主。種族名は《ピグミーリア》——名をミシェルという、混血の小人族である。
「この度は《替え玉作戦》にご協力いただきまして、まことにありがとうございます」
「……替え玉って、なんの?」
「こちらの話ですので、お気になさらず」
早い話が、俺が連れ出したのは最初から狼少女ではなくこの小人少女だったということ。
ミシェルは読書家で、いつも孤児院の二階にある書斎にいる。一度読み始めたら読み終わるまでその本から離れないという厄介な性格の子で、俺と同じく好奇心旺盛だ。禁止されているシェイラの書斎の本を盗み読みしていたのを目撃したのは偶然だったのだが——今回は不本意ながら、その彼女の弱みを利用して協力を取り付けた。
一度退出したセレナは、俺のローブを被った後、そのまま治療室に戻った。だが、見張っていた騎士には逃げ出した方が本物のように見えたはずだ。
そのために《切り札》まで使って、あんな爆破演出をしたのだから。
少々派手過ぎたかとも思ったが、怖いお兄さんたちは上手い具合に食いついてくれたようで何よりである。
あとはシェイラに任せておけばすべて丸く収まるだろう。
「ここからは別行動で。ミミ姉さんはロゼを連れて、術導院の騎竜小屋に行ってください」
「別……? エルは何をするの?」
変装用ローブを被せたときから今の今まで、ミシェルはひたすら理解が追いついていない顔をしている。一切の状況説明をしていないから当然だ。
彼女は今朝からずっと書斎にいた。おそらく狼少女の存在すら知らないはずなのだ。
だが、「別行動」と聞いたミシェルの顔には疑念の色が滲み始めていた。
「街に行きます。シェイラ母さまの指示ですよ」
「シェイラさんの……?」
「はい。そこでぼくと落ち合う手筈です」
ただの思いつきの気まぐれみたいな作戦なので、あえて詳細は話さず勢いでここまで流してきてしまったが、これ以上彼女と一緒にいたら間違いなく引き戻されるだろう。
嘘八百を並べてやり過ごそうとするも、ミシェルは得心がいかない顔で首をひねる。
俺が本来《外の世界》に居てはいけないことと今の作り話が矛盾していて、混乱しているのだろう。本を読んでいるだけあって彼女も頭はいいのだ。
「場所は? どこに行くの?」
「……騎士団と関係するところ、と言っていました」
「騎士? 今朝のうるさかったのと、何か関係あるのかな……」
ミシェルは難しそうな顔で考え込んでいた。俺にとって好都合な方向に思考が流れつつあるようだが、それは同時に、俺を信頼している彼女を裏切ることでもある。
しかし俺は、さも自分も事態を把握していないかのような顔色を装った。
やがてミシェルは、いつも眠たげな半目を少しだけ開いて、俺をじっと見つめた。
「ひとりで、大丈夫?」
「問題なしです。むしろ、一人の方が動きやすいので」
「そう……」
小人少女の青い瞳が、そこに映る少年の身を案じていた。
罪悪感で良心が疼く——その呵責を、俺は心の奥底に押し込め、
「では、ロゼをお願いしますね」
最後まで、不遜な態度は崩さない。
自分の勝手を押し通そうとしている者が、引け目を感じて態度を改めるなど、一番やってはいけないことだ。そんなのはただの自己満足である。
わがままを通したけじめは、後でしっかり取る。
ぐったりと床に伏せているロゼをひと撫でしてから、俺は肩肘を張って立ち上がった。
「……エル。なんか急に、おとなっぽくなった?」
ふと、不思議そうな声が背中をつつき、俺は肩越しに振り返った。
ミシェルは座り込んだまま、目をぱちくりさせて俺を見上げている。
「よく言われます」
俺はにこりと笑って、部屋の扉を開けた。