第十一話 脱走
院の玄関前で真っ向から対立していた《鎧の集団》とシェイラたち《エルフィア孤児院》の両陣は、突然の爆発音に一時騒然となっていた。
「な、なんだ今の音は!」
窓板がガタガタ振動し、天井からパラパラと木っ端が落ちてくる。
露骨にうろたえる金ぴか鎧の男が、唾と共に部下へ命令を飛ばした。
同じく戦闘態勢に入ろうとしていた子供たちを抑えつつ、シェイラは素早く周囲を見渡す。
(今の爆発、院の中から……? 《結界》に反応はなし、ルークからも報告は——)
「団長殿、伝令であります!」
いきなり裏庭から騎士が飛び出してきて、金ぴか鎧がびくりと体を竦ませた。
「ど、どうした、驚かせるな」
「裏の出入り口から子供が二人脱走、例の少女らしき姿も確認しました!」
「何だと! すぐに追手を出せぇいッ」
「すでに捕縛班が追跡しています。すぐに捕まるかと」
「よろしい!」
慌てかけた金ぴか鎧だが、報告を聞くと肉のたるんだ頬を吊り上げて満足げな顔になる。
意地の悪い笑みを浮かべながら、シェイラに豆粒のような目を向ける。
「やんちゃなガキを抱えると苦労するだろう、シェイラよ。私のせがれも好奇心旺盛でなあ」
「……親に似たのかもしれませんね」
「そうだな、自分の置かれた状況を理解できないような間抜けではない。貴様も私を見習って子育てに励むがいいぞ!」
調子付いた金ぴか鎧——《レヴィス騎士団》の団長は、ぶわははと下品な高笑いを上げて踵を返し、「お前たちもさっさと追うんだ」と部下たちの尻を叩き始めた。
(首都の騎士がこんなだから、地方も腐るのよ)
心の中で痛烈に毒づきながら、シェイラはべーっと舌を出す。
それから気を取り直し、年長組に指示を出して状況把握を始めた。
「ディンはここで待機、いつも通り備えて。フローラ、正門は任せたわ。ヴィロー、ロルフは二階の見回りね。エルシーとレイは私についてきなさい」
人界の多くの国では、それぞれの街に、街の名を冠する騎士団が存在する。
その街の民を凶暴な魔物から守り、政を実行し、人と土地を管理して、対価に税を徴収する行政機関。孤児院や《術導院》などの公的施設の運営資金も捻出しており、例えばエルフィア孤児院の食い扶持はもっぱら《オーレア騎士団》の資金援助によって賄われている。
中でも、あの金ぴか鎧が団長の《レヴィス騎士団》は、クラヴィウス共和国の首都レヴィスを治める有力な騎士団だ。
ここに来たのは『孤児登録者数の確認』のためというが(援助申請に必要な情報で、借金を抱えるエルフィア孤児院ではよくつつかれる問題である)、わざわざ最上位騎士団が出張ってきた時点でまず間違いなくセレナが目的だろう。とはいえ、彼女を匿ったその日に訪ねてくるとはさすがに想定外であった。オーレア騎士団のルーク——シェイラの元教え子——の警告がなければ後手に回っていたところだ。
首都からここまで十キロ以上あるのに、まるで図ったようなタイミングでの来訪。この孤児院にピンポイントで当たりをつけてきたことからしても、ここに白狼聖の娘が来ると予測していたとしか思えない。
どうにもきな臭いものを感じつつ、足早に廊下を渡っていく。
「……そういえば、ミシェルがいなかったわね?」
「いつもの書斎だと思う」
「本読んでるんでしょ」
ふと、年長組の中に姿が見えなかった小人族の少女を思い出すが、エルシリアとレイチェルはこちらを見向きもせずに切り返してきた。
「それより急ごう、シェイラさん」
「エルくんが心配だよ……!」
側を歩く二人の少女は、逸る気持ちを声に滲ませて前を歩いている。
気持ちは分からないでもないが、安否が分かっているものを心配しても無意味である。今はむしろ、エルが先ほどの爆発を起こした意図の方が気になった。
(《結界》に異常はないし、大丈夫なはずだけど)
シェイラが余裕を崩さないのは、《結界》——古代族に伝わる秘術によるところが大きい。
孤児院全域を覆う不可視の魔力領域の展開。この術内は、シェイラの体内であると考えれば分かりやすい。異常があれば即座に検知し、外敵の侵入を察知する。《加護》の術を併用すれば結界内での対象者の魔力や生命力の流出が分かるようになる。
当然、エルにもセレナにも《加護》は付与済みである。
確かに移動しているようだが、まだ結界内にいるし、生命力の流出も感じられない。
つまり、二人とも無事ということだ。
(みんなには悪いけれど、こっそり《聖域》の術も使ってるから、柵がなくても正門以外からは外に出れないし、入れない……エルは何をする気かしら)
外部から侵入するものには追い払う斥力が、内部から脱走するものには引き戻す引力が働く術。正面の門からは出入りが可能だが、その付近に近付けばフローラが対応するはずだ。
エルの意図が分からない。
仮説の一つも考えつかないうちに現場に到着する。
そこで、シェイラの目にまったく予想を超えた光景が飛び込んできた。
「……こ、これって。爆発魔法っ?」
「エルくん、どこ!?」
裏口が、扉とその周りの壁ごと吹き飛ばされ、巨大な風穴と化している。黒焦げになった縁が灰色の煙を吐き出し、周囲には乾いた熱気が立ち込めていた。
宙にゆらめく陽炎が炸裂した火球の熱量を物語っている。
(この規模……中級以上? エルの魔力じゃ撃てないはず……誰が……)
歩を進めると、ぱきゃりと靴裏が何かを踏んだ。
引いた足をなぞるように、粉々になった炭が床に黒い尾を引く。純粋な高熱で焼き払われた黒い欠片は、その多くが風穴の向こう側に飛散し、風に煙を揺らしている。一方で、廊下側に爆風が薙いだ形跡は見当たらない。
爆発魔法は、その消費魔力と威力の高さゆえに中級に属する魔法である。
だが、これは爆発魔法の特徴と合致しない。これは指向性を持った《砲撃》だ。
(……これって、もしかして)
同時に、シェイラはひとつの心当たりに行き着いた。
少ない魔力でも、魔法の威力を倍増させることができる《技》——《詠唱略化》を練習していた彼ならば、十分に考え得る可能性。
それをきっかけに、シェイラの思考が一気に加速する。
エルの取り得る選択肢が、想像よりはるかに多いことに気付いたからだ。これだけの火力を出せるなら、もしかすると、もしかしてしまうかもしれない。
遅まきながら、シェイラの胸の奥に焦がすような焦燥感が芽生えた。
「まさか、あの子……!」
シェイラは、自分の脳裏に閃いたその予想が当たらぬようにと咄嗟に願い、
ドゴォオオン! と重ねるように轟音が響き渡り、シェイラの願いを上書きした。
先ほどの爆発と似た震動が孤児院を揺らす。だが、今度は一回ではない。まるで巨人の足音の如く、ドッ、ドンッ、ドドォン、と炸裂音が連鎖していく。
シェイラは裏口を飛び出して、音の聞こえた方向へ走り出す。
表の庭に出ると、騎竜小屋の向こう側に紅炎と煙が立ち昇っているのが見えた。
「——馬鹿者、何を逃がしておるかッ。たかがガキ二人だ、さっさと捕らえよ!」
脇の方で部下を怒鳴りつける金ぴか鎧に見向きもせず、シェイラは爆発の中心に向かう。
そこには、先ほどの大破した裏口を彷彿とさせる火砲の跡が広がっていた。
(……やっぱり、《重ね魔法》!)
熱波と黒煙が目の前に立ち塞がり、シェイラは咳き込みながら退避する。
柵が《砲撃》に撃ち抜かれた際、爆発の衝撃波が他の柵の部分を誘爆したらしい。結果的に抜け穴は広くなり、広範囲に煙幕が張られ、逃走には絶好の環境となっている。
いっそ計算されていたとしか思えない状況に、どうしてもある疑念を想起してしまう。
「シェイラさん、今の音って——!?」
遅れてやってきたエルシリアとレイチェルがシェイラの隣に並んだ瞬間、二人分の《加護》の反応が《結界》内から消失した。
まだ何も分かっていないのに、行ってしまった。
派手な光と音を撒き散らして姿を眩ました少年を見透かすように、シェイラは目を細めた。
本日しこたま飲みまして、明日の朝に更新できないかもしれないので、先に投稿しておきます。