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第十話 エル、始動



 昼食は、カルーが持ってきた野菜炒めだった。

 程よい塩加減から察するに、今日の食事当番は料理上手のエルシリアだろう。セレナもお気に召したようで、尻尾をぶん回しながら無限にお代わりする勢いだった。

 ちなみに、食器を片付ける段階になってようやくセレナの美貌に気付いたカルーは、ぽかんと口を開けたまま固まってしまった。同じ獣人の血が流れる彼として何か感じるものがあったのか。セレナの嫌そうな顔に促されて退出させたが、あの調子では俺の頼みごとなどろくに頭に入ってなさそうだ。


(まあ、何とかなるか……)


 食事が終わると、いよいよ手持ち無沙汰になった。

 さすがにもうひと眠りする気はないのか、セレナは食べ終わった後もベッドに腰かけたままゆらゆらと上機嫌に尻尾を揺らしている。

 俺は隣に腰かけて、セレナと同じくぼーっと宙空を見つめていた。


(やっぱり外が気になるな。鎧の人がいっぱい……どうなってんだろう)


 あの《白狼聖》の末裔を匿っている、という事実は、いったいどの程度の規模で世界に影響するのだろうか。外の世界に出たことがない俺にはこれがいまいち分からない。

 白の国は大国である。

人界は現在、クラヴィウスも含めた十一の国がそれぞれの領地を治めているが、天狼大陸の面積は人界の二倍近い。それをほんの少し前まで白の国が統治していたのだ。世界有数の国家と言っていいだろう。そんな国の王女が、過程はどうあれ海を跨いだ先にある大陸のちっぽけな国の孤児院で保護されたと。

前世で言うなら、ヨーロッパの王室王女が南米辺りの集落に転がり込んだようなものだ。

 こんなとき、事態はどう動くか。


(分かりやすく、敵味方の側面から考えてみるか)


 ひとつ、白の国。

 セレナの味方だが、孤児院の味方かどうか分からない。

 当然取り戻そうとするだろうが、前世のような外交を通した引き渡し交渉があるのかどうか分からないからだ。武力で奪還してきた場合、孤児院側も迎え撃つだろう。

 ふたつ、敵対勢力。

 セレナを《人界》に連れてきた者たち。

 仮想の敵として、赤の国を考えよう。長らく獣人族の王として君臨していた《白狼聖》の娘を奪えば、正当な王がいない赤の国にとって、この上ない切り札となるのではないか。

 シェイラから学んだ知識に基づく憶測だが、割と有り得そうで困る。

 いずれにせよ、セレナの影響力を過小評価するのは愚考だろう。本当にセレナを奪いに来るとして、白の国も赤の国も手段は選ばないはずだ。何しろ彼女を勝ち取った陣営が獣人族の王を掲げることができるのだから。

 それはもう必死になって、あらゆる方策を尽くすだろうと考えられ……。


(あー、なんか嫌な予感)


 なにせここは剣と魔法の異世界。

 仲良く《鎧の人》と話し合って和解、なんて平和的解決に落ち着くとは思えない。

 思考に埋没していた意識がゆっくりと浮上し、俺は目を瞬かせた。


「……セレナ?」


 ふと、微動だにしない隣の少女が気になり、俺はセレナの顔を覗き込む。

 いつの間にか——その顔からは、血の気が失せていた。

 シーツに爪を食い込ませて強く握り締め、目はあらん限りに見開かれている。獣耳が髪の中に縮こまり、尻尾は物凄い形に折れ曲がっていた。

 尋常ではない様子に俺は立ち上がりかけるも、視界の端を掠めた違和感で動きを止める。


(……、なるほど)


 目だけを動かして窓の外を見、そして俺は納得した。

 この部屋、治療室はちょうど孤児院の裏庭に面している。魔物除けの柵で自爆したセレナをすぐにここに運び込めたのは、距離的にもここが近かったからだ。

 裏庭に近いということは表玄関から遠いということでもあるわけで、確かに《鎧の人》から隠すには一番良い配置かもしれない。

 だが、この部屋からは見えてしまう。

 見える距離に、あるのだ。

 不格好な応急処置がされただけの——破壊された魔物除けの柵が。


(いるな、人影っぽいのが一人。セレナはこれに気付いて……)


 部屋に程近い柵の隙間からは、金属の鈍色がちらちら反射していた。

 魔物除けの仕掛けは、すぐに替えが利くものではない。なので今は土魔法の壁を継ぎ足して補強し、穴を埋めているのだが、逆に言えば今その部分に起爆機能はない。

 風魔法で壁を掘削してしまえば、音も立てずに侵入することが可能だ。


(シェイラはこれを予想してなかったのか? それとも何か他の手立てが……いやでも肝心なところで抜けてるからなあ、あの人……)


 例えば、シェイラがこっそり護衛を呼んでいて、あそこに待機している人は味方とか。

 それなら先に説明があってもいいし、セレナもここまで怯えたりはしないと思うが……。


(……ふむ)


 狼少女を拾って半日もしないうちに、この目まぐるしい展開。

 どうやら思ったよりも時間はないらしい。

 仮定を考え出したらキリがない。ここらで原点に立ち戻るとしよう。


『その子のこと、ちゃんと守ってあげるのよ』


 シェイラが、俺に、セレナを任せたこと。

 俺が担うにしては甚だ分不相応な役回りだ。

 前の世界ではネズミ一匹すらまともに助けられなかった俺だが、転生してそれが変わったかと言えばそうでもない。結局、何かを守る力など俺にはないのだ——それでも、救えるものがある、できることがあると、そう思いたいではないか。


「セレナ」


 ていうか、こんなに可愛い子が怯えてたら、そりゃ誰だって守るだろう。全力で。

 それが男の本懐にして原点。戦う理由はそれだけで十分ってなもんである。


「一緒に来てくれるか?」


 冷たく強張った少女の手を引いて、俺は部屋の外に出た。



 ***



 柵外の茂みに紛れて孤児院の一室を見張る《鎧》の男は、部屋の中に動きがあったのを見てガシャリと甲冑を鳴らす。少年が少女を連れ立って部屋の外へ出て行くところだった。

 男は「何してんだ」と舌打ちし、茂みの奥の方に潜む伝達役に合図を送った。

 伝達役が軽く頷き、茂みの向こう側に向かって紙切れを括り付けた矢を放ったのを見届けると、男は我慢の限界を感じたかのように鉄兜を脱いだ。重い鎧を着込んだ状態で茂みに隠れることしばらく、蒸れた汗に羽虫が群がって体のあちこちが痒くなっていた。

 男は鎧のインナーの奥に手を突っ込み、背中をぼりぼり掻き始める。


(……っと?)


 リラックスする間もなく、例の部屋に子供が一人入ってきた。

 何やらフードのようなものを目深に被っている。視力には自信がある男であったが、流石に髪の毛までしっかり隠されてはこの距離から人相を確認することはできなかった。

 その子供はトテトテと部屋を横切り、ベッドにちょこんと腰を下ろした。

 見た限りでは、華奢な体格、背格好などの特徴が、見張り対象の狼少女と酷似している。

 一見して、手洗いで退出した少女が戻ってきただけの光景。


(……なんだろう。何かおかしいな)


 だが、《鎧》の直感は違和感を訴えていた。

 あのフードのようなローブだろうか。いや、もっと分かりやすい、別の何かだ。答えはすぐそこまで出掛かっているのに、なぜか喉の奥でつっかえたまま出てこない。

 空中で指をくるくる回しながら悩むこと十秒、ようやく答えが舌の上に乗っかった。


「あのちっさい男の子」


 さっきまで一緒にいたはずの、あの少年がいない。

 どこに行ったのかと視線をさまよわせた、直後だった。


 ——ッドォォオオオオオン! という、大気を震わす轟音が爆ぜた。



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