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蝦夷戦国記  作者: 昴
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プロローグ

今回初投稿となる昴と申します。

私は歴史好きということもありまして、あまり知られていない戦国大名:松前慶広を主役とさせて頂きまして作品を作り上げて行こうと思います。


注意点と致しましては…

・主役となる人物や周辺人物の資料が少ない為、フィクションを多く(下手したらほとんど)取り上げる事になること。

・投稿者の文章能力に疑問があること(読んで伝わる文章を心がけたいと思いますが…)

となっております。

・投稿速度についてはお察しください。

以上の事を踏まえた上で温かい目で見て頂ければと思います。


また、資料となる書類、ホームページなどお勧め頂けるものがあれば、紹介して頂けるとうれしく思います。


どうぞ宜しくお願い致します。


------------------


天文17年(1548年)9月3日


本土では将軍足利義輝が前年に京を追われ、関東では北条氏康が勢力を伸ばし、奥州では洞の乱とも呼ばれた天文の乱が終わりを迎えたころから話は始まる。


そして、海を越えた蝦夷地にも戦国武将は存在した。


出羽安東氏の配下に属する蠣崎氏である。


1400年前半より安東氏は蝦夷地にも一族の被官を置いていたが、それがアイヌをよしとせずに蜂起。

道南十二館と呼ばれる12か所の拠点のうち10拠点をアイヌに落とされたが、蠣崎(武田)信広によって鎮圧される。

その後、蠣崎氏による蝦夷地の支配となるのであったが、その後も3代かけてアイヌと抗争を繰り返すことになった。


そんな中、その蠣崎氏に三男が誕生したのである。


後に日本の北の果て、安東氏より独立し大名になり、松前藩の開祖となる。


松前慶広である。


これは、時代に翻弄されながらもアイヌと向き合い、自立を目指した名君と呼ばれる武将の知られざる物語なのである。

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