2. 怪談
――――オレの胃袋の中には、ヘンリー・ニードルが入ってるんじゃないだろうな。
クルーに音を聞きつけられたのではないか。シュンサクは気が気でなかった。クルー二人が隠れ蓑の箱の蓋をいつ開けてくるか、と脂汗をかきながら待っていた。
待つこと五分。
一向にシュンサクの入っている箱が調べられる気配はない。それどころか、いつの間にか先ほどのクルーのペアは立ち去っていた。どうやら、お腹の音を聞かれずに済んだようだった。
シュンサクはもう一度、箱から出ようと試みた。
だが、それもつかの間、
「イザベル姐さん、今朝、ホワイト艦長に映像データを持たせてリスティンバークの元へ送りつけてやりましたよ。ガッハッハッハッ」
「ガッハッハ、じゃないよ。主砲に括り付けるなんてやりすぎだよ。あんたら最近、艦長をいたぶるのを楽しんでるだろ。まったく、この三年でただのガキに成り下がりやがって。いいかい、今度着任する艦長には、あたいが良いって言うまで手を出すんじゃないよ」
しわがれた男の声と、張りのある女の声と、大勢の足音が聞こえてきた。団体が倉庫に入ってきたのだ。
「イザベル姐さん」と呼ばれた女性の言いつけに、一〇人ばかりのクルーが一斉に「了解」と応えた。何の話をしているのかさっぱりだが、理解する必要もなさそうだった。それよりも、早く倉庫から出て行って欲しい。そう願ったのだが、
「ところで、宇宙戦艦カフーンに幽霊が出るって話を聞いたかい?」
あろう事か、張りのある声の女性はシュンサクが潜んでいる箱の側で怪談を始めてしまった。
「宇宙戦艦カフーンで起こったある事件が、事の始まりだ。ほら、最近起こったろ?フリーライターが潜入して、クルーに見つかってその場で殺されたって事件さ。覚えてないかい?」
覚えている。今やシュンサクは二番目のフリーライターになる危険に晒されていた。
「あれはフリーライターが悪いわよ」
今度は、玉を転がすような可愛らしい声が聞こえてきた。若い女性のようだ。
「地球軍は一般人が地球軍の軍艦に乗ることを厳しく禁じてるじゃない。小学一年生の教科書にも載せているし、事ある毎に『禁止事項だ』って一般人に訴えてるはずよ。それなのに黙って乗り込んできたなら、命を失って当然よ」
「あーあ、カトリーヌ。あんた、今、フリーライターの霊に呪われたね。命を失って当然、なんてあたいは口が裂けたって言えやしないよ」
「や、やだわぁ、イザベル。ゆ、幽霊なんて本当にいるわけないじゃない……」
「ふふふ。そう思うのは勝手だが、まぁ続きを聞きなよ。カフーンのクルー達はフリーライターを相当怖がらせて殺してるんだ。どういう方法を取ったと思う?」
「姐さん、オレ、知ってるぜ。業務用油で揚げたんでしたよね?」
しわがれ声が答えた。
「そうだ。フリーライターは最期の際まで助けて欲しい、と懇願していたらしいよ」
「だけど、カフーンの人達は一般人の彼を見逃さなかった」
「ああ。フリーライターはカフーンの連中を呪って死んでったらしいよ。それからだよ、カフーンでおかしな出来事が起こり始めたのは。非番のクルーが自分の部屋で一人で休んでいると、決まって入り口のハッチがノックされるようになったんだ。最初は誰かの悪戯かと思っていたんだ。そこで、艦内カメラを確かめたんだが、誰も映っちゃいない。それからも、非番のクルーが一人で自分の部屋で過ごしていると必ずハッチがノックされたんだ。それで、あるときクルーの一人が聞いちまったんだよ。ハッチの向こう側で、業務用油で揚げられて死んだはずのフリーライターの声で『あぶらめしや~』って言っているのをね」
この頃には、その場も誰もが口を利かなくなっていた。しんとした雰囲気が、その場の空気を七度ほど下げていた。
「あるとき、カフーンに剛胆なクルーがいてね。もしハッチがノックされたら、開けて出て行ってやる、って息巻いたらしいんだ。仲間はやめとけ、って止めたんだけどね、そいつは頑として聞かないんだ。そして、遂に、そいつが非番の日に一人で部屋にいたとき、ハッチがコンコンってノックされたんだ。いざ、剛胆なクルーはハッチを開けたのさ。そしたら……」
「あぶらめしやー!!」
箱の蓋が開いて、シュンサクの頭上に、スキンヘッドの極悪ヅラが突然現れると、フリーライター幽霊と同じ言葉を口にした。
「ぎゃー……っ!!」
思わず、シュンサクは絶叫を上げた。
「………はっ」
我に返った。そして、頭上に出現したスキンヘッドは幽霊ではなくヒコボシのクルーだと気がついた。
発見されたときはロボットの振りをするつもりだったのを思い出したが、後の祭りだった。
スキンヘッドで二メートルほどの身長の軍人や、背は高くないがスキンヘッド同様に筋肉質なゴリラ面の軍人や、戦場で追ったと思しき傷が顔中にある軍人や、他にも眼鏡をかけた赤毛の女軍人や、二十歳に満たなさそうな若い軍人など、およそ一〇人のヒコボシの搭乗員が、シュンサクが隠れていた箱を取り囲んでいた。
どうやら、先ほどの男女のクルーにシュンサクの腹の音は聞こえていたようだ。立ち去ったと思えたのも、シュンサクの潜んでいる箱が怪しいと目星を付け、仲間を集めに一時的にその場を離れただけだったらしい。
「てめぇ、侵入者だな?」
一〇人の内の一人が尋ねてきた。
「い、いいえ……」
肯定した瞬間に命を奪われる、と本能的に感じていた。
「いいえ、じゃねぇだろ。こんな箱に入って変な仮装もしておいて、侵入者丸出しじゃねぇか」
「さぁ、どうやっていたぶってやろうか。業務用油を用意するか?」
「とりあえず、ヘルメット取って顔を見せやがれ」
背後にいたクルーの一人がシュンサクからヘルメットを剥ぎ取った。
「けっ。大胆にもヒコボシに潜入する奴だからどんな野郎かと思えば、生っ白い面しやがって。てめぇもフリーライターか?」
シュンサクはクビを横に振った。
「まぁ、どうでもいいよ。ヨハン、その犯罪者が逃げないよう掴んでな。あたいがこの場で射殺する」
レーザー銃をシュンサクに構えてそう言ったのは、軍服ではなく作業着を着込んだポニーテールの美女だった。張りのある声からして、先ほど怪談を話していた人物だと知れた。
「ご、ごめんなさい!殺さないで!」
シュンサクは涙目になって命乞いをした。だが、ポニーテールに「ヨハン」と呼ばれたスキンヘッド大男はシュンサクの首に腕を回してきた。息が詰まり声が出せなくなった。逃がさないように捕まえているつもりらしいが、喉が閉まり、銃で撃たれる前に窒息してしまいそうだった。
「く……苦しい……」
シュンサクはスキンヘッド大男の腕を首から外そうと藻掻いたが、徒労に終わった。
意識が薄らぐ。
「さぁ、姐さん。やっちまってください」
スキンヘッド大男の声が聞こえた。
「おい、これ何の煙だ?」
「ぐぽっ!!」
耳元でスキンヘッド大男が妙な声を上げた。それと併せて、喉の締まりが無くなった。
シュンサクは、スキンヘッド大男が立っていた方向を見た。そして、何が起こったのか理解した。
喉の締め付けから逃れようと、知らず内にスキンヘッド大男に何度かパンチを見舞っていたようだ。その衝撃でロボットスーツのロケットパンチ機能が作動した。白い煙を噴いた後、スーツの手首から先のプラスチック製グローブがシュンサクの腕を離れ、時速二三〇キロメートルでスキンヘッド大男に激突したのだ。
結果、スキンヘッドの大男は倉庫の天井付近まで吹っ飛んでいき、孤を描いて一〇メートル先の地面へ落下した。
巨体の仲間が吹き飛ばされるとは、誰も想像していなかったのだろう。その場にいた全員がスキンヘッド大男の行方を呆気にとられて眺めていた。
いや、唯一、シュンサクだけは、ぼんやりとしていなかった。
「あ!待て!」
クルーが気付いたときには、シュンサクはクルーの円陣をこっそり抜け出して、倉庫から出ていこうとしていた。
レーザー銃を誰かが撃ってきた。右耳の側の壁に当たり、直径一センチの焦げ痕ができた。
「うわぁぁぁぁ!!」
シュンサクは悲鳴を上げながら、倉庫前から逃げ出した。