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名乗らない英雄  作者: 夢野ひつじ
第一章 へっぽこエンジニアの決意
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2. 決心

 会議室を出ると、アオイTOYの上役達は波が引くように姿を消した。夜中の二時だ。家でゆっくりしたいのだろう。


 それにしても、問責はあっさりと終わった。もっとごねていれば良かったのかもしれない。しかし、そんなことをすればもっと悪い方向に進展そうで大人しくしていた。今となってよくよく考えてみると、健常にもかかわらず強制的に病院に隔離される以上の悪い状況などないのではないか、と気付かされた。


 いっそ逃げてしまおうか。だが―――


 シュンサクは一歩が踏み出せなかった。


 この度会社に駆けつける途中の道のりで、至る場所にホームレスや売春婦達を見かけた。シュンサクはたまたま大手の会社に勤めることができて、屋根のある暮らしを送れていたが、今、逃走を図ったなら、アオイTOYをクビになるのは必至だ。宇宙暦二五七八年の太陽系大恐慌以来の就職難が続いている現在、再就職できるあてはなし、頼る身内もなし、たちまち、先ほど目にしてきた路上生活者と同じ暮らしをしなくてはならなくなるだろう。


「だけど、逃げなかったら、隔離生活が待ってるんだよな。何か助かる手だてはないのかな?」


 焦りに駆られたとき、「クククク」という悪魔のような笑い声が聞こえてきた。

 振り返ると、魚とよく似た顔立ちの男が立っていた。


「ニードル……」息子の方だ。


「まだ意地悪を言い足らないのか?」


「クククククク……」


 ヘンリーは返事をするわけでもなく不気味に笑い続けた。他人をいじげすぎて、とうとう体に悪霊でも宿したのではないか。シュンサクは側から離れようとした。ところが、


「スタードリームの組み立てをカリダ工場に発注したの、実はオレなんだよな。ククク」


 離れられない事情ができた。


「こないだ、総務部のお前の席の側を通りすぎたときだ。たまたま机の上を見たら、スタードリームの設計図があったんだ。なかなか画期的なアイデアだったよ。しかし、マッドエンジニアのお前が引いた設計図だ。万が一ということもある。だから、正直に『設計者はシュンサク・マナベ』だと発注の注文書の記録に残したんだ。おもちゃがヒットすれば、オレは、くずぶっていたお前の案を世に出す機会を作った有能な上司として手柄を立てるつもりでいた。だが、いやはや……、お前が設計者だと記録しておいて正解だったよ。今回の事件の責任は全部お前に回っていったものな」


 シュンサクは魚そっくりの顔をじーっと眺めていた。冗談を言ったのではないか、と疑っていた。しかし、真実なのだと飲み込んだとき、シュンサクの中で怒りが際限なく膨れあがった。心の火山が大噴火を起こした。


「オ、お前、よ……よくも……!」


 顔が強ばってこれだけ言うので精一杯だった。まごまごやっているとヘンリーが小型の宇宙船を取り出してきた。それがスタードリームだと設計者本人にはすぐ分かった。


「このスタードリームな、さっき事故が起こった工場から取り寄せたんだよ。これを是非とも自分の目で見ておきたいと望んでいるはずの人がルノーにいるから、今から運んできてやるよ」


 ルノーとは木星を周回するスペースコロニーの名称だ。


 誰に届けようと興味はない。ヘンリーはこのままのこのこと立ち去れると思っているのだろうか。シュンサクの右手拳は固く握りしめられ、いつでも殴りかかる準備ができているというのに。


「クレア・ラベンダー」


 ヘンリーの口から唐突に憧れの人の名が上った。知らずに握りしめた拳が緩んだ。


「な、何!?」


「ラベンダー社長に運ぶ、って言ってるんだよ。彼女は今、宇宙豪華客船『ダイリ号』に乗って、マンジデパートの創立八〇〇周年記念セレモニーに出席するのに、ルノーへ向かっているところなんだよ。彼女はきっとこの事件を気にしていて、事故を起こしたおもちゃがどんな代物なのか見たがっているはずだ。だから、持っていってやろう、と考えたわけだ」


「社長にわざわざ見せに行かなくてもいいだろ!」


 シュンサクの抗議を、ヘンリーは笑って受け流した。


「情報は早く伝えた方が良いだろ?それに彼女はオレに会いたいはずだ。あの女、口には出さないが、オレに惚れているからな。いつだって色目を使ってにじり寄ってくるんだぜ」


 ヘンリーは唇をフグのように尖らせると、ぢゅうぢゅうぢゅうと口づけに見立てた音を立てた。


「ついでだから、彼女にお前の気持ちも言付けておいてやろうか?『前から社長にぞっこんでしたー』とかどうだ?え?」


「オレの気持ちはなぁ……」


 シュンサクは待機していた右拳をヘンリーに突き出した。


「これだよ。食らえ、この変態野郎!」


 気持ち良いまでにシュンサクの拳は左頬に命中した。ただ、魚面にではない。総務部長のボビー・リプルのひげ面にめり込んだ。


 ボビーはシュンサクを病院まで運ぶべく、会社の事務室に車の鍵を取りに行っていた。鍵を手にすると彼は再び会議室前へ戻った。そして、廊下の角を曲がったところで、シュンサクの放った右ストレートに、もろに激突したのだった。


「な、何しゅるのよ……」


 と言いながら、総務部長は吹っ飛び、廊下に崩れ落ちた。


「わ!この人、間が悪いな。大丈夫ですか、リプル部長!」


 シュンサクは床に伸びた上司を揺さぶったが、白目を剥いて気を失っていた。ボビーに気を取られている間にヘンリーは逃げていった。


「あ、待て!くそ、逃げ足が速いなぁ」


 足に自信はある。追いかければ捕まえられたが、魚似の男と追いかけっこしている場合ではなかった。陥れられた名誉を回復しなければ、隔離生活か路上生活が待っているのだ。


「マジカルキッチンさえ完成していたらなぁ……」


 アオイTOY本社から五キロメートル離れたマンモスマンションの地下二五階にある三〇平米の男臭い1DKを思い出した。シュンサクの住居だ。部屋の隅には、天井に届くほど目玉焼きが積み上げられていた。それは本物ではない。見た目が目玉焼きをしたおもちゃだ。

 おもちゃの名前はマジカルキッチンといった。“お姉さん”が遊び手と一緒に料理を作ってくれるおもちゃだ。“お姉さん”や料理道具や食材は、ホログラムで具現化したものなので、人件費も必要なければ、火事を起こしたり、うっかり刃物で手を切ったりする危険もない。

 マジカルキッチンで遊べば、母親が働きづめのために親子で料理作りを楽しむ時間が持てない子どもの要求不満を解消できるのではないか。シュンサクが商品化しようと思い立ったのは一月前だった。自分でアイデアをまとめて、設計図を描き、一時はクレア・ラベンダーの目に止まって褒められさえした。


「おもちゃ作りの天才のラベンダー社長が絶賛してくれたおもちゃなんだぞ。売り出せば、絶対にヒットメーカーになるんだ。そのヒットメーカーの生みの親であるオレを、病院に閉じこめていいのか?いいわけないよなぁ。『あの麒麟児のマナベくんを幽閉するなんて、私が許さない』って、ラベンダー社長が動いてくれるはずだ。それで、オレは解放されて、ラベンダー社長と熱い口づけを交わす……。むふふ……」


 しばらく彼は自分の想像に酔いしれた。


「だけど、その肝心のヒットメーカーがまだ完成してないんだよなぁ」


 シュンサクは首をがくりとうなだれた。


 マジカルキッチンはいくつ試作品を作っても、どれもが動いてくれなかった。起動スイッチを入れても、豆電球一つも灯らないのだ。


 その原因をシュンサクは一週間前に突き止めていた。


「起動するためのパワーが足りないんだよなぁ」


 マジカルキッチンを上手く動かすには太陽一〇個分のエネルギーが必要だった。そのようなエネルギーは地球上にはおろか、太陽系内にも存在しない。第一、莫大なエネルギーが存在するなら、おもちゃに使うよりも、エネルギー資源の代用や、ソルト星との宇宙戦争に活用する方が意味を成すというものだ。


「わずかなエネルギーで起動するように改良するつもりだったのに、その前にこんな目に遭うなんて、つくづくついてないなぁ」


 がくりとうなだれたとき、床の上に落ちているパンフレットのような冊子に気がついた。先程まで床の上に何も落ちていなかったはず。ヘンリーが落としていったのだろうか。


「『地球軍だより』……なんだ、これ?地球軍の社内報みたいだな」


 シュンサクは冊子を拾った。


 今から二年前に発行された刊行物だった。当時戦場で活躍していた兵士の回想録や、開発している武器の紹介が載っていた。ページに目を通しながら、シュンサクはあるところで手を止めた。


「あれ、このおっさん……」


 「今月着任した艦長」と題されたコラムにジェミー・ワシントンという紳士が取り上げられていた。この人物とシュンサクは面識があった。とはいえ、シュンサクと会ったときは、社内報に書かれているような切れ者の面影は成りを潜め、目の焦点の合っていない胡散臭い中年に成り果てていたが。


「間違いない、あのおっさんだ。本当に艦長だったんだ」


 写真をまじまじと見て、シュンサクは笑いこぼした。


 ジェミーと出会った場所はクロッカス病院でだった。無限キャラメル事件の裁判後にシュンサクが押し込められた病院だ。


「おで、地球軍の宇宙戦闘用駆逐艦ヒコボシの艦長なんだ」


 院内のコミュニティルームで突然話しかけられた。見ると頬の痩けた、視線の定まらない、パジャマ姿の中年男性がシュンサクの側で立っていた。


「じゃあ、どうして今、こんな所にいるんだよ?」


 はい、そうですか。と聞き流せば良かったのだが、このときのシュンサクは恋人に振られて、いじけていた時期だった。意地の悪い質問で返した。


 ところが、痩せパジャマは相手をしてくれる人を見つけたとばかりに、嬉々として話し続けてきた。


「ヒコボシには、太陽の何万倍ものエネルギーを発生させるソウ鉱石って鉱物が隠されてるんだ。それを盗みにヒコボシに乗り込め、って地球軍の上層部はおでに命令したんだ。そのときに、ヒコボシ艦長の肩書きをもらったんだ。仲間の一員にする方がヒコボシのクルーも気を許して隙が生まれて、ソウ鉱石を盗みやすくなるって考えたんだろうけど、すぐにスパイだとクルーにばれて……いじめられたー!」


 急にわっと泣き出した。そのまま、介護者に連れて行かれてしまった。


 翌日、また彼はやってきた。


「おで、地球軍の宇宙戦闘用駆逐艦ヒコボシの艦長なんだ」


 後は繰り返しなので、省こう。


 何にしても、シュンサクは痩せパジャマの自己紹介を妄想の類だと思っていた。


 地球軍の艦長といえば、宇宙でソルト星人を相手に命を省みず戦っている地球のヒーローだ。年間一〇〇〇万エンドルを稼ぎ、エリートコースを進んでいる人種といえる。

 そのエリートが、視線も定まらず、パジャマ姿で、凡人シュンサクに話しかけてくるはずがない。

 二年前は決めつけていたが、今現在、手の中にある地球軍の刊行物「地球軍だより」を読んでシュンサクは考えを改めた。紙面には、金糸の刺繍入りの軍服を纏ったジェミー・ワシントンが白い歯をきらりと見せて掲載されていた。余白には「宇宙戦闘用駆逐艦ヒコボシ艦長ジェミー・ワシントン」と紹介されていた。


「本当の事を話してたんだ……」


 はたとシュンサクの動きが止まった。


「おい、待てよ。ソウ鉱石……それだ!」


 指を鳴らした。


「ワシントンのおっさんが本物の艦長だったってことは、話に上ったソウ鉱石ってのも本当の話なんじゃないのか?」


 ジェミー・ワシントンが語っていたソウ鉱石の説明をシュンサクは頭の中で繰り返した。


————ヒコボシには、太陽の何万倍ものエネルギーを発生させるソウ鉱石って鉱物が隠されてるんだ。


「太陽の何万倍もエネルギーが発生できるなら、マジカルキッチンなんかお茶の子さいさいで動かせるじゃないか!よっしゃー!問題解決だー!」


 両手を上げて万歳までしたが、急にしょんぼりとして腕を下ろした。


 ソウ鉱石を手に入れるにしても、ヒコボシからどうやって譲り受ければいいのだろうか。「おもちゃ作りに使うからソウ鉱石を譲ってください」と頼めばいいのか。断られるのは明らかだ。莫大なエネルギーを発生できるなら、地球軍はソルト星との戦いに使うに決まっている。


 ならば、ヒコボシから盗み出すべきか。


 シュンサクは慌てて首を横に振った。


 地球軍は一般人が宇宙軍艦に乗り込むことも、公開することも、一切許していない。先日、取材を目的として宇宙軍艦に忍び込んだフリーライターが、クルーに見つかってその場で殺されたニュースを見たばかりだ。盗みを図ろうとする者には哀れみすら抱くまい。地球軍艦に乗り込んだが最後、ソウ鉱石を盗むどころか、逆に命を盗られて二度と生きて出てこられないだろう。


「ソウ鉱石を手に入れるなんて、無理なのかなぁ」


 シュンサクはしおしおと項垂れた。


 だが、立ち直るまでさほど長くは掛からなかった。


「よし、腹を括ろう。生きてるのか死んでるのか分からないような生き様をとるくらいなら、マジカルキッチンを完成させるために命を落とす方がエンジニア冥利に尽きるってもんだ。ヒコボシにソウ鉱石を盗みに入ってやる。思い立った日が吉日だ。今すぐヒコボシに乗り込もう」


 ヒコボシが地球軍本部の軍港に頻繁に停泊している情報は、ジェミー・ワシントンとの会話から知り得ていた。彼の話が真実で、シュンサクの運が良ければ、ヒコボシに乗り込めるはずだった。


「そういえば、ワシントンのおっさんはオレと違って地球軍人だったのに、どうしてご同業の宇宙軍艦にわざわざ潜入するような手間を掛けたんだろう?ソウ鉱石が欲しいなら、ヒコボシに頼めばいいじゃないか。それが難しいなら、上官から命じてもらえば済みそうなものなのに。ヒコボシのクルーが鉱石ごときで艦長をいじめるってのも妙な話だよな」


 少しの間理由を考えたが、シュンサクは途中で打ち払った。


「ま、いいか。オレには関係ないし」


 一〇分後、総務部長のボビー・リプルは目を覚ました。


 しかし、そのときには、シュンサク・マナベの姿は何処にも見当たらなかった。

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