9. 艦長いじめ(前編)
右を見た。色とりどりの無数の星が、真っ暗な宇宙の中に溢れていた。
左を見た。こちらもたくさんの星が宇宙一面に散りばめられていた。
上を見た。天井はなく、降るような星々と真っ暗な宇宙に覆われていた。
後ろを、そして、前方を見た。同じだ。どこを見回してもシュンサクの周りには無限の宇宙空間が広がっていた。
足下だけだった。ヒコボシの甲板があった。
「だ、誰か助けてー!」
シュンサクは、宇宙服一丁で、宇宙航行中のヒコボシの船外に閉め出されてしまった。
宇宙服の通信機を通じて、ケイン・シバウスの悲鳴が艦橋のスピーカーから響いた。
毎度おなじみの「艦長いじめ」の成功で、艦橋内でクルーによる爆笑と拍手が起こった。
「今度の艦長は、あっさり辞めそうね」
カトリーヌはインカムの音量を調整しながら、隣の操艦席に座っているヨハンに言った。
ポーンと艦内放送が流れた。
「忠告しマス。艦長を殺害する行為は、地球軍法四四五章九条六項に違反して……」
「分かってるわよ、マリベル。艦長を殺したりしないわ。宇宙遊泳の訓練をお楽しみいただいてるだけよ」
艦長が苛酷な訓練をしていることにすれば、命を落さない限りヒコボシのメインコンピューターは謀反防止システムを作動させない。カトリーヌはマリベルの追求をいつもの手法で誤魔化した。
「そういうこった。じゃ、〈CE3〉を抜けるとするか」
ケイン・シバウスが難癖をつけた転送前分析も先刻全項目を終えていた。ヨハンはヒコボシをゆっくりスペースバブル〈CE3〉へと移動させた。
ゆっくりとはいっても時速二〇〇キロ以上は出ていた。甲板で吹きさらしになっている艦長が吹き飛んでいかなかったのは、宇宙服の足の裏がヒコボシの甲板と磁石でがっちり繋がっているせいだ。もっとも、繋がっているのが足の部分だけなので、体は艦尾に流れて、艦橋のスクリーンに映し出されている姿は鯉のぼりのようだった。
徐々に〈CE3〉の姿が見えてきた。周りを巨大なリングが囲っていた。八箇所の給水口から液状のものが排出され、〈CE3〉の表面にそろそろと注ぎ込まれていた。
スペースバブルは見た目がシャボン玉のようだと以前触れたが、外側の薄い液状の膜が強い刺激を与えると簡単に破れる繊細さまで似ていた。なお、どういう理屈かは分からないが、膜が消えるとスペースバブルの存在そのものが消えてしまうのだった。そうならないために、皮膜形成剤とアクアロナという成分を注ぎ足して、スペースバブルの水膜を補整する「表面安定化装置」を人類は編み出した。〈CE3〉を囲っているリングがその装置だった。
「これより、宇宙戦闘用駆逐艦ヒコボシはスペースバブル〈CE3〉を使い、転送先〈CE4〉木星軌道上へ移動する」
ヨハンは操縦桿に手を置いた。
「地球軍艦スノーマン、((フィルムアズミレイション),膜同化)開始します。……同化率三〇パーセント……六〇パーセント……九〇パーセント……」
艦橋のクルーの一人が状況を伝えた。
いくら表面化安定装置で補強しても異物と接触すればスペースバブルの水膜は一秒もおかず破けて消滅してしまう。「膜同化」とは、転送時に船体と中の貨物類を一時的に、スペースバブルの外膜と同じ成分に変質して拒絶反応を起こさせないための処置だった。
「……同化完了。本艦、貨物、共に異常ありません」
膜同化が済んだ。この時点で、ヒコボシと中にある物品、クルー、そして吹流しになっている甲板の艦長も全て、スペースバブルの成分と同じ物質に変化していた。とはいっても、乗組員には自分の体が別の物質になった感覚は全くなかった。
ヨハンは操縦桿を傾けて少しだけ前進させると、ヒコボシを目の前の〈CE3〉と接触させた。
このときの様子を側で見ていたなら、〈CE3〉とヒコボシ船体がホタルのように光ったのを目にしただろう。次の瞬間には、ヒコボシは〈CE3〉の球体内にすっぽり収まり、ほぼ同時にその場から姿を消していた。
これと、ずれなく、ヒコボシは転送先の宇宙空間に姿を現していた。側には、〈CE4〉がぷかぷかと浮いていた。
もう一度、〈CE4〉に接触すれば、今度は地球沖の〈CE3〉に戻ることができた。だが、ヒコボシにスペースバブルを往復する予定はなかった。次の転送先〈CE25〉へ移動した後、再び停留した。
「甲板に人がいるのに転送するなんて、あいつら正気じゃないよ……」
ヒコボシが停止している間は、甲板で翻る目に遭わなくてもよさそうだ。シュンサクは生きていることを噛み締めながら、ふにゃふにゃと崩れ落ちた。
「艦長、ご無事ですか?」
甲板の上を宇宙服が歩く音がして、宇宙服を着た小柄な人間が側に現れた。ヘルメットが光を反射する構造になっているため中の顔を見ることは叶わなかった。
通信機がザーと鳴った。
「おい、ロミオ!勝手に助けたりするなよ!」
ヨハンが通信機越しに喚き立ててきた。どうやら、側に来た小柄な人物はロミオ・イーストハーブ士官候補生らしい。
「……まぁ、手助けなんて無駄だけどな。シバウスに着せた宇宙服はオリンピックのバーベル上げの選手と同等の筋力がないと動かせないように改造してあるんだ。地上でしか勤務したことのない軟弱野郎には、甲板上を歩くどころか、足の裏の磁石をヒコボシから引き剥がすことだって無理だね」
「中尉の話は聞き流してください。僕が宇宙服の使い方をお教えしますから、ちゃんと艦内に戻れますよ」
軽くあしらわれたのに腹を立てたのかヨハンは再びぎゃあぎゃあと怒鳴ったが、ロミオは無視を決め込んだ。
「宇宙服の使い方は、腰と腕についているボタンが関係しているじゃないかな?ヨハンと一緒に艦内から出てきて今の場所に連れて来られる間、ずっとオレの体は無重力状態で浮いてたんだよね。だけど、ヨハンが腰のボタンを押したら、こうして足が地面に引っ付いたんだ。だから、そのボタンを押せばもう一度体を浮かせられるんじゃないか、と思うんだけど、どのボタンを押せばいいのやら」
「いい読みですね。腰の青いボタンですよ。一回押すごとに、靴底に付いている磁石のONとOFFの切り替えができます。また、手首に付いている青いボタンも同様に、手の平に付いている磁石を作動さたり、させなかったりできるようになっています」
「他のボタンはどんな機能がついてるの?」
「赤いボタンを押すと、左手首からワイヤーが発射されます。黄色いボタンを押すと、ブーストが作動して宇宙空間で宇宙遊泳ができます。白いのはボタンではなくダイヤルです。回転させると、周囲の電波を拾えます。艦内と通信する場合に使いますが、ガルティヴァン中尉のように民放のラジオを聞くために使っている人もいます」
説明に使われてヨハンがまたやいのやいのと言ってきたが、再びロミオは放置した。
「それじゃ、実際に歩いてみましょう」
「そりゃいいけど、この宇宙服を動かすのはバーベル上げ選手並の筋力が必要、ってヨハンが言ってなかったっけ?……そういや、お前は平然と歩いてきたな。見た目は華奢だけど、実はとんでもない怪力なのか?」
「僕の着ているのは標準タイプの宇宙服だからです。艦長が着せられたのは、磁力が強力になるよう改造を施された艦長いじめのための特注なんですよ」
艦長いじめと聞いて、シュンサクは苦笑いした。
「艦長いじめね。君ら、こんなことをいつも艦長にやっているの?」
「シバウス艦長はご存じないのですか?地球軍では有名な話ですよ。ヒコボシは上層部と犬猿の中で、うちに着任する艦長は皆上層部が遣わしてくる人だからいじめを受けるのが恒例なんです」
「オレは上層部と関係ないのに……」
「ソウ鉱石を盗もうとなさっておいて、上層部と無関係だというのは説得力がありませんよ。キャンドルの建造に使うおつもりだったのでしょう?」
「キャンドルって、ソルト星人を倒せるっていうすっげぇ宇宙戦艦のこと?そういや、クルーの誰かがキャンドルを動かすのにソウ鉱石が必要だって話してたな。……オレがこんな目に遭っていることから推理すると、ヒコボシの皆さんはソウ鉱石を上層部に渡したくないし、キャンドルも建造させたくないわけね。でも、どうしてだよ?キャンドル飛ばしたくないの?」
「そうです。キャンドル計画が頓挫すれば、上層部……いや、リスティンバークが失脚します。それこそがヒコボシの悲願なんです」
「お前ら、なんとかバークさんに恨みでもあるのか?」
イザベルの部屋で見た写真の人物が頭に浮かんだ。アレックス・ウィングラー。ロミオの話と彼は関係しているのだろうか。
「なんとかバークさんって……、地球軍のリスティンバーク大元帥ですよ」
大元帥たるものが何かよく分からないが、知識の無さを呆れられた。地球軍の常識に疎いことを曝すとロミオに不審がられかねない。シュンサクはそれ以上質問するのは止めた。
「だけど、僕個人の意見としては、そろそろ恨みに執着するのは終わりにした方がいいように思うんです。だって、ヒコボシは優秀なクルーが揃ってるんです。でも、リスティンバーク大元帥への復讐に凝り固まっているせいで、おかしな方向に進んでしまって、地球軍のチンピラ集団と言われる始末です。僕はヒコボシのクルーであることが誇りなんです。だから、問題軍艦のように言われるのがとても悔しいんです。できれば、クルーのみんなに昔のような精鋭に戻ってもらいたいんですよ。だから、艦長いじめもやめるべきなんじゃないかって、思ってて……、そうだ!」
ロミオはシュンサクの両手をしっかと握りしめてきた。
「ねぇ、艦長。僕と力を合わせて、ヒコボシから艦長いじめを根絶しませんか?それにはまず、艦長がソウ鉱石を狙うのを諦めるのが第一条件ですが……」
「ソウ鉱石を諦めろ、か」
「やっぱり、諦められませんよね?」
「いいや、諦めるよ」
「え、本当ですか!?」
シュンサクの返事が意外だったのか、ロミオは驚きの声を上げた。
「本当だよ。……でも、お前のいう艦長いじめの根絶とやらにも協力するつもりはないよ」
言葉の意味が理解できなかったらしく、ロミオは小首を傾げた。
「この船から降りようと思うんだ。ヒコボシに乗り込むなんてやっぱり無謀だったよ。さっき転送したときに生きてるすばらしさをひしひしと味わってさ、もう危険なことは止めようって決めたんだ」
艦長の降伏宣言に艦内にいるクルー達が歓声を上げているのが、宇宙服の受信機から聞こえてきた。唯一、目の前のロミオだけは消えゆく星のように寂しげだった。
「……ごめんな。お前の期待に応えてやれなくて」
「いいえ」
ロミオは元気なく肩をすくめた。
「つい話し込んでしまいましたね。早く艦内に戻りましょう。……腰の青いボタンを押してください。足の裏の磁石が働かなくなって艦長の体が無重力状態になったら、僕が艦長を艦内の入り口まで引っ張っていきます」
言われたとおりにすると、足がふわりと浮き上がった。
「おぉ、浮いた浮いた」
「さぁ、僕の手を取ってくださ……」
そのときだった。ヒコボシが急発進した。目の前でヒコボシの甲板が前方に向けて滑り抜けていった。
「うぎゃあぁぁぁぁぁ!!」