3. 優しい人々
「ただいま。子供さん達、喜んでたね。パイを投げつけられた甲斐があったよ」
六時間のパイ投げ被体験を終え、シュンサクはパイ生地を拭いながら、後輩のイサード・ラジーマと同僚のピエール・ロマリエルの元に戻ってきた。
「そういえば、改善点を見つけたよ。パイ生地って蒸発するから無害だと思っていたんだけど、大量に長時間投げられると結構痛かったよ。『長時間パイ生地を投げつけられると、打ち身になります』って注意書きに添えておく方がいいのかもしれないね」
事実、翌日のシュンサクは顔面筋肉痛になった。
自らが実験台となり、元所属部署に尽くしたつもりだったが、
「さて、おもちゃカーニバルもそろそろ終了時間が近づいてきたな……。イサード。そろそろブースを畳む準備を始めるぞ」
礼は返ってこなかった。シュンサクの話は爽快なほど無視された。
「ちょっと、二人とも……」
「今晩の打ち上げでは、お前の企画が成功したことをお祝いしなきゃな」
「ねぇ、ねぇ。オレも話に入れてよ」
「この度の成功を収められたのは、ロマリエル先輩やヘンリー部長にご指導いただけたからこそですよ」
「ちょっと、無視するなよぉ」
シュンサクは泣き出しそうだった。パイ生地を投げつけられる役回りを引き受けても、なお、二人はシュンサクを邪魔者扱いしていた。どうして、企画開発部長のヘンリー・ニードルだけでなく、かつての仲間にまでここまで粗雑に扱われなければならないのだろうか。確かに、無限キャラメル事件では多少なりと企画開発部に迷惑を掛けたのかもしれない。しかし、目の前で展開されるイサードやピエールの態度は、あまりにも冷たい仕打ちだった。事件が起こるまでは、夜遅くまで仕事に打ち込み、時には笑い合った仲ではなかったか。
「なんだ、まだいたの?」
漸くイサードが反応を示してくれた。
「まだいたの、って、おもちゃカーニバルの催しを盛り上げた仲だろ?無限キャラメルの事件で迷惑を掛けたのは謝るから、前のように仲良くしよ……」
「おいおい、いつまで俺達の仲間だと思ってるんだ?何度言えば分かるんだ。自分が企画開発部から弾き出された下等な分際なんだってことをいい加減、自覚しろよ。お前は会社の花形の俺達と付き合える身分じゃねぇんだよ」
「…………オレは、ただ、力になりたかっていうか……」
「もう喋んな、ゴミ。お前の話なんて聞きたかねぇよ」
企画開発部のかつての後輩は、おもちゃカーニバルのチラシを丸めてシュンサクに投げつけた後、ピエールと共に立ち去っていった。
「おい、こいつ、泣き出したぞ」
ライオンクルーの声で、五ヶ月前の追憶から呼び戻された。
「ほら、言わんこっちゃない。囲まれたのが怖くて泣くくらいなら、さっさと承認すればいいのよ。それとも、もうヒコボシが嫌になっちゃった?地球に帰る、坊や?」
赤毛の眼鏡っ子がシュンサクの泣き面を面白がりながら尋ねてきた。
「違うよ、怖くて泣いてるわけじゃないよ……」
「だったら、どうして泣いてるのよ?」
「感動してるんだ。……だって、みんな、オレの話をちゃんと聞いてくれるから。それどころか、脅しを掛けてくるほどオレの意見を重要視してくれてるだろ。そんな風に扱ってくれるのがありがたくて……」
赤毛眼鏡っ子は口をへの字口に曲げた。
「新しいタイプを上層部も送り込んできたものね。……ありがたい、って思うなら、時間がかかる分析は省いて、さっさと転送してくれりゃいいのに」
ピンク色の唇の隙間からため息が漏れた。
「まぁ、いいわ。今回はあなたの命令どおり、全ての転送前分析をしてあげる」
この返事には、側にいたクルー達がざわついた。
「少尉。どうしてこいつの指示に従うんですか!?」
ライオンクルーが赤毛眼鏡っ子を批難した。
「今だけ夢を見させておいてやろうと思ったのよ。……“例の”を、後で嫌ってほど味うんだから、ちょっとくらい楽しませてやった方が盛り上がるじゃない」
赤毛眼鏡っ子の返事をライオンクルーは納得したようだった。「なるほど」と分けの分からない理解を示すと、抗議するのをやめた。他のクルーも同じように大人しくなった。
そして、艦橋内の全員が転送前分析の作業に取り掛かった。
安全な宇宙航行を漸く再開できた。
満足しながら、赤毛眼鏡っ子が口にした「例の」とは何なのか、と考えた。会話の様子からして、ろくでもないものだとは察しがついた。回避できるものなら回避したかった。尋ねようとしたが、転送前分析の仕事に急がしそうに取り組んでいるクルーを見ていると、声をかけるのを遠慮してしまった。
それに、クルー達を言及することよりも、シュンサクの頭の中は要求を聞き入れてもらえたことで胸いっぱいだった。
「オレの話に耳を傾けてくれる人がこの世にはいるんだなぁ……」
地球上で寂しさに潰れそうだった心が、ここに来て初めて癒されていた。艦長席でにやけながらシュンサクはクルーの作業を見守った。