2. マッチョ軍団 VS 臆病者
宇宙暦二六〇三年一〇月一〇月二一日午前六時〇五分。
地球周辺の宇宙空間では、他星の資源を運ぶ宇宙タンカーや、太陽系内を飛び回っている営業マン用の小型宇宙船や、旅行用の宇宙客船が航行していた。
それらに混じって、ピンクと水色の斑模様という悪趣味なペイントが施された一隻の宇宙軍艦が浮かんでいた。
その中で、窓枠にしがみ付きながら一人の男が泣きっ面を下げていた。
――――ヒコボシが地上に停泊している間に、ソウ鉱石を盗み出すつもりだったのに、どうしてこうなっちゃったの?
アオイTOYの落ちこぼれ社員、シュンサク・マナベだった。
今、彼の予定は大きく変わっていた。メインコンピューター「マリベル」の勘違いが元で、宇宙まで来てしまった。ヒコボシの艦長としてだ。
地球から三〇万一〇〇〇キロメートル離れた場所まで来てしまったからには、逃げ出す隙が見つかるまで、大人しく艦長のふりを続けていよう。そのつもりだったが、
「シバウス艦長さんよ。あんた、ふざけてんのか!?」
スペースバブル〈CE3〉の手前に来たとき、意図せずクルーと揉め事を起こしてしまった。
「スペースバブルの分析にもっと時間を掛けろ、だと!?」
ライオンのように髪の毛と髭が逆立てているヒコボシのクルーが、艦橋の壁にシュンサクを追い詰めると、声を荒げた。
「そうだよ。転送をするのなら、そのとき使うスペースバブルをしっかりと調べなきゃね。全体の安定具合や、転送先の安全性とか」
十一歳を迎える誕生日の直前に、シュンサクは父に連れられて行ったスペースコロニー「シャルン」でテロリストのテロ行為に巻き込まれて瀕死の重傷を負った。宇宙はソルト星人だけでなく、海賊や、航行中の事故などの多くの危険で溢れている。子供心に二度と地球を離れまい。そう決めて宇宙航行を止めてからおよそ十六年。やんごとない事情により長年守ってきた誓いは破らなければならなくなったが、飛び込んでくる宇宙の危険をのんびりと構えて待っているつもりはなかった。
ケイン・シバウスとして宇宙に発って間もなく、シュンサクは地球軍が作成した宇宙航行のマニュアルを、地球軍の内部用ホームページにアクセスして紐解いた。そして、最初にスペースバブルの項目に目を通した。
スペースバブルは一瞬で宇宙の彼方へ移動できる魔法のような物体だということは、宇宙嫌いのシュンサクも知っていた。
また、宇宙にいつ出現したのか、どうやって出現したのかすら分からないこの不思議な自然現象が、転送先を人為的に変更ができないことも、既に知るところだった。たとえば、地球に最も近い場所にある〈CE1〉の場合、そこに飛び込むと、必ず〈CE2〉と呼ばれている海王星付近のスペースバブルに転送され、また、〈CE2〉を利用すると、〈CE1〉に戻ってくるのだ。スペースバブルは二つで一対で、〈CE1〉を使って九三〇光年先のアルベリアン星付近にある〈Sky19〉に移動したい、と望んでも決して転送されることはなかった。アルベリアン星に向かうには、〈CE1〉をまず使用し、次に〈CE11〉、その次に〈CE23〉、〈CE27〉、〈CE57〉、〈Sky20〉と六つのスペースバブルで転送作業を行わなければ辿り着けなかった。従って、宇宙航海の手順は、短距離ならばGエンジンによる通常航行のみを利用し、長距離ならばスペースバブルと通常航行を兼用して宇宙を移動していた。
シュンサクが知らなかったのは、スペースバブルで転送を行う場合は、その度毎に、「転送前分析」を実施しなければならないということだった。分析の内容を記した項目に目を通すと、調査数は種類にして一〇〇件を超えていた。
スペースバブル〈CE3〉前にヒコボシが到着したため、シュンサクは早速マニュアル通りの転送前分析をするようにヒコボシのクルーに命じた。
するとどういうわけか、ヒコボシのクルーが猛然と反論してきたのだった。
「全部の項目をチェックしてられるかよ。大概、宇宙航行する奴はめぼしい項目を幾つかピックアップして分析してるんだ。無駄な調査で時間を食わないようにしてるんだよ」
「ピックアップしろ、なんてマニュアルのどこにも書いてなかったよ」
「……この分からず屋が……。なぁ、ガルティヴァン中尉、何とか言ってやって……あ、そうか。中尉はこの分からず屋に殴られて失神してるんだったな。じゃあ、アロー少尉!何とかしてくださいよ」
ライオンクルーがオペレータ席に座っていた赤毛をおさげに束ねた女性クルーにすがりついた。ヒコボシ発進時に声を掛けてきた女通信士だ。
「ったく、これだから諜報部あがりの素人は……」
赤毛おさげの女通信士はぶつぶつ不平を言いながら進み出てきた。掛けている眼鏡を持ち上げると、目の前のシュンサクを見据えた。
「いいこと、艦長?あんたが読んだそのマニュアルは、最近じゃ実践的じゃない、って言われてて、改善を検討されてるの。どうしてかっていうと、全部の項目を調査するのに、時間が掛かりすぎてしまうから。スペースバブルの膜の一部を検出して試験官で調査したり、ペガルス波長を当てて膜や内部の変化を確かめたりしていたら、最低でも一時間はかかってしまうの。理科の実験をする暇があるなら、さっさと目的地に着いて課せられた任務を果たすのが地球軍人としての使命だと思わない?今回任されてる、行方不明の弩級宇宙戦艦スノーマンの調査は、スノーマン内の生存者を救う仕事も含まれているのよ。行方不明になった場所に着くにはどんなに早く行っても二日はかかるの。あなたの言うとおりの調査をやっていたら、もう一日分遅れてしまうわ。スノーマンのクルーの無事を一刻も早く確かめたいとは思わない?」
「思うけど、だからってチェック項目を省略したくないよ。マニュアルに記されてる調査項目が実践的でないからって勝手に省いて、転送事故でも起きでもしたら、それこそ任務を果たせなくなるよ。チェック項目の全ての確認を終えるまで、オレは絶対にヒコボシを転送させたくない」
「言うこと聞きなさいよね!艦長のあなたが承認してくれなきゃ、ヒコボシのメインコンピューターが転送の機能を作動してくれないんだから、ほら、さっさと承認する!」
「嫌だってば!……そうだ。君、艦長の承認がないと転送できないって言ったよね。転送前分析を全項目実施して全てクリアすれば、オレの承認が無くても転送できるよ」
「わかりきった事を、ご丁寧に教えてくれなくても、転送前分析を全部やれば艦長承認を省略できることくらい、知ってるわよ!」
頑として引かない上官に、赤毛眼鏡っ子とライオンクルーは苛々を募らせた。
「他の宇宙船を見てみろ!」
ライオンクルーが窓の外を指差した。その先には〈CE3〉があった。幾数もの宇宙船や宇宙軍艦が通り抜けていた。
「問題なく通り抜けてるじゃねぇか!〈CE3〉が問題のないスペースバブルって証拠だ!あそこを通り抜けてる船の連中は、ヒコボシを見てきっと笑ってるぜ。時代遅れな転送前分析を律儀にやろうとしてる、ってな。笑い者にされたかねぇだろ?」
「俺達に恥をかかせるつもりか!?」
「転送しろよ!」
周囲のクルーも混じってきて、ブーイングの嵐を降らし始めた。
筋肉隆々で強面のクルー達が顔を真っ赤にして吼えてくるのを眺めながら、五ヶ月前に開催された第二三回おもちゃカーニバルをシュンサクは思い出した。