4 絶望、からの...。
その後、僕からスケジュールを聞き、クロニクルに書き記した後、久子はあっという間に計画を立てた。
「ここよ。夕食を食べた後に牢獄に戻る時。この時はメインストリートにも人通りが多いし、逃げやすいわ。加えて三(片手で3)食食べることができる。一(片手で1)石二(片手で2)鳥ってやつよ……まあでも、一(片手で1)日じゃ足りないわね。三(片手で3)日ほど、食べさせてもらいましょう」
と、いうわけで、僕たちは三日間、仕事して、食って、仕事した。その間に、久子自身についても、わかったことがいくつかある。
出身はなんと僕と同じ県で、しかも近くに住んでいたことがわかった。僕が神田第三小学校で久子が第二だ。これにはお互いが驚いた。地元トークに花が咲いたのも言うまでもないだろう。また、今の状況で地元トークなんかしたときの後味の悪さも、これまた言うまでもないだろう。
また、年も同い年。これも僕たちにとっては好都合だ。よくある「君、何歳?」「○○歳よ」「あっそうでしたか」……みたいな空気にもならないからだ。まあ、それこそ、こんな状況で気にすることでもないかもしれないけど。
あとバスケ部も正解みたいです。
そんなこんなで脱獄当日。
いつも通りの夕食を食べ終えたところで、僕たちはタイミングをうかがう。なんにせよ、ここは木の机といすが並べられている外の食事会場だ。ひとたび通りに出てしまえば、人ごみが逃げるのを手伝ってくれるだろう。
もちろん逃走ルートも決まっている。話し合いの結果、僕たちがもともとここに来るまでの入り口とは逆の、メインストリートのもう一つの出入り口から町を脱出することに決まった。囚人の仕事の際に、そちら側にはちゃんとした道があり、馬車(馬ではないが)が通っていることがわかったからだ。レンガの橋の先からは、何もない森と草原だけの所に比べたら、死ぬほどましである。
食事が終わり、ぽつぽつと仲間の囚人たちが牢屋へと向かい始める。僕と久子は、お互い隣の席に、そして食堂のメインストリートに近い側に座り、二人の指導者を見る。
脱獄なんて、よく考えたら一生するはずのなかったことだ。いざやるとなると、心臓がバクバクする。久子もそうなのか、食べ始めてから今まで一度も会話をしていない。
……もうすぐだろうか。
「ポード」
と言ったのは、ひとりの指導者。言い忘れていたけど、ここではボキャブラリーこそ少ないが、人の名前はちゃんとある。当たり前だ。「ユー(予想・あなた)」だけでは、大人数の時に区別ができないのだろう。
ポードと呼ばれた指導者は、呼んだもう一人の所に行った。なにやら茶色い紙を持っている。物の収支でも確認しているのだろうか。
「行くわよ」
久子が僕の肩を叩く。そう。この時こそ、僕たちが、三日間の中でベストタイミングだと感じた瞬間だった。みんなが仕事終わりで気が抜けていて、指導者が確認作業を行っている――ベストだと思わない? というのは久子の言葉だ。
よし!
僕たちは、地面をけってメインストリートへと――
『ピ―――――――――』『ピ――――』『ピ――――――――――』『ピ――――』
『ピ――――――――――――――――――――――――――!』
「ウっソっだっろ!」
「くっ!」
――向かおうとした瞬間に、まるで狙いすましていたかのように笛が鳴った。
一つではない。それぞれの笛が共鳴し、一種の恐怖さえ感じる。今までで最大音量の笛の音だった。
「いったい何だ!」
一瞬だけ振り向く。
「…………」
そして、一瞬で今の状況を理解した。
囚人の笛だ。
振り向いて見える範囲の全員が、自分の笛を鳴らしていたと思う。何人か――おそらく足に自信のある人だろう――は、僕たちを追いかけてきている。
「何で……何でよ……」
久子も状況を確認したのだろうか。走りながら久子は震えていた。
僕だって、そりゃあもう驚いた。
だって。
僕たちは、笛なんて渡されていない。
しかも、あんな短時間で、大勢の人間が一斉に笛を鳴らすなんて、よっぽど心が通じ合っていないとできないことだ。
それがどんな心なのかなんて、考えたらわかる。
「ああ……」
つまり。
しょせん、僕たちは。
群れの中の、いびつな存在でしかない。
リンゴをもらおうとしたとき、やけにキョッヒの返事が早かったのは。
広い牢獄で久子とたまたま同じ部屋になったのは。
この一週間、少しだけ感じた笑顔の中の違和感、態度の中の違和感。そのときは、あまり気にすることのないような些細な違和感が、今更になって大きく膨れ上がっている。
はぁ。
異世界って、結局こんなもんか。
見知らぬ世界の人に対しては、やっぱり奇異の目線があるのか。
そりゃあ、そうだよな。突然宇宙人来たら、僕らだって、そんな目で見るよ。
やっぱり僕は、まだまだ異世界というものをナメている?
なに少しは希望があるみたいな考え方してたんだろう。
脱獄は、確かに理想的だと思った。とどまるよりは変化が欲しかった。
日本人に会えて、支えられて、少しうれしくなっていた。前向きになっていた。
でも、こんなに疑われてたっていう現実を理解して、どんな希望を持てるっていうんだ?
チート? ハーレム?
そんなのは、ただの物語のストーリーだけで十分だ。
だいたい、急に受け入れられるのがおかしいんだよ。
受け入れられない場合でも、村人を助けたりとかで、受け入れられるってこともあるにはある。
でも、それは力があればの話。信頼されればの話。
僕達みたいに何の力もない、困っている人をあっと驚くような神秘的な方法で救済し、ド派手な信頼を得ることができない、ただのいびつな人型の、どこから来たかもわからないようなものに、どんな物語があるんだよ。日本だったら、せいぜい研究機関に回されて終わりだ。
『本当に? 後悔しない?』
正直、今は後悔してる。
だってただの異世界人だよ?
レベル0でもないんだよ? 頑張っても無理なんだよ?
というか、初めから信頼されてないんだよ?
意気揚々と自分を鼓舞して飛び込んだのがバカみたいだよ。
正直、もう早く死――
「ムッツリ、前からも来たわ!」
「あっ」
そこまで考えていたら、久子の声で現実に引き戻された。もう、僕たちはメインストリートに出ている。前を見ると、もう一つの出口までは、あと百メートルほど。
夕食の交換をしていたであろう町の人々は、僕たちを細い目で見ている。心配なんてあったもんじゃない。
必死に逃げていることも、馬鹿らしく思えてきた。
「曲がりましょう! 作戦2よ!」
「…………」
必死な叫び声が聞こえる。あの変なパンチの時よりも大きな声。走りながらということも考えて、おそらく最大音量だろう。
「聞いてるのムッツリ! ここでつかまったら終わりよ――」
「――どうした! 心の支え!」
ああ、この人、まだあきらめてないのか。
僕はもう、ここで終わりでいいやと思うんだけど。
「落ち込むのはわかるけど……そしたら、私も悲しむから! だから、はぁ……認められなくても二人で頑張ろうって……言った、んだから……しっかりしなさいよ!」
なんだよそのドラマみたいなセリフ。散々僕をいじっておいて。
そんなの、ちっとも感動しない……。
ほんとに、ちっとも、感動しない……。
「ごめん」
「……だから、謝らないでいいわよ」
情けない声に、彼女はいつものような威勢のいい声で答えてくれた。
「うん。でも、元気出た。いくよ……右!」
僕たちは、二人で離れないように、曲がる方向を叫びながら、ひたすら走る。作戦2だ。
しかし、囚人の方も、なかなか足が速く、小学校陸上部(本世界初公開)と現役バスケ部にも引けを取らない。足音は、常に後ろから響いてきている。
しかし、さすがは入り組んだ路地。しぶとく逃げているうちに、足音が消えていく。
「はぁ……はぁ……」
どれぐらい走っただろうか。
思えば、作戦2は、『入り組んだ道をうまく曲がって出口にたどり着く』という作戦だったんだが。必死になりすぎていたせいで、もうここがどこかわからないや。
「まずいわね。でも、しかたないわ……はぁ……曲がる間隔の問題で……右に曲がらざるを……得ない時もあったもの」
久子もかなり疲れていた。額には汗。顔もゆがんでいる。僕もかなり疲れていた。
「とにかく、隠れなきゃ……」
『ユー!』
久子がそう言ったその時だった。
前方の曲がり角から、急に囚人が現れたのだ。
「くっそ……」
疲れている体を無理やり動かす。相手の方に疲れた様子はない。どうやら、違う追っ手のようだ。
「あっ」
「久子!」
悲鳴というよりは、諦めにも似た声。
疲労のせいか、久子の足がもつれ、こけてしまった。
もう、逃げられない。
ここで、終わるのか。
地球から逃げてきた僕が。ここでもみじめに一生を終えるのか。
いや。
終われない!
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
こうなったらやけくそだ。
エンハンスも、ステルスも、何もかもいらない。
僕は。
一人の人間として、戦う!
「うううううううおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「させない」
「おおおおおおおおおおおおおおお…………お、お?」
気が付くと、目の前の囚人は倒れていた。意識を失っているようだ。
「え、ちょ」
理解が追い付かない。
いったい何があったというのか。
「む……ムッツリ、上! 上を見て!」
久子が叫ぶ。
「え……ぶ、ぶひ」
あれ。戦ってもいないのに鼻血が。
「ぶひ。ぶひひ」
そこにあったのは、
ローブに囲まれた、幼女のぱんつ。
絶望の中、ついに登場!