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3 微かな希望

 …………。

 ……………………。

 ………………………………。


「ねえ」


『いい距離感を保ちながらの三角座り』という、地獄のような沈黙の後、久子がボソッと口を開いた。クロニクルは牢屋の端におかれている。


「あなた、いつからここにいるの?」

「あ、えと……一週間前かなぁ。あはは」

「そう……脱獄しようとは思わなかったの?」


 え、なんなの、その僕の顔も見ずに呟いてる感じ。まるで、僕に人という価値がないみたいじゃない。いいの? 僕死んじゃうよ? いいの?


「……ま、まあ~初めの方は考えたりもしたけど、過ごしていくうちに、ここがいいところだっていう実感がわいてきて、このままでもいいかなって思ってる、かな。あはは~」

「いいところっていうのは?」


 え、もしかして、質問を無表情で続けることによって、僕に人としての価値のなさを思い知らせる感じかな~。あは、でも、いつまでもそんな態度で質問されたら僕死んじゃうよ? いいの? いいんだね?


「……あ、あの、ここ、そんなに厳しい指導とか、拷問とかっていうのは全くないんだ。言ったら、精神療養所みたいな感じ。人助けのよさが実感できて、食料もあるからね。えへへ、えへ」

「ふーん。まあ、ここで一生過ごすのもいいけど、元の世界に帰りたいとは思わないの? 私は帰りたいと思ってるけど。

「え、えっと……」


 帰りたい……というかそもそも、自分がなぜあの空間に行きたいと思ったかの理由の一つに、あの家に居場所がないように感じたから、というものがある――つまり『逃げ』だ。ただの逃げ。そして、逃げた結果が、あっけなくつかまって牢獄生活なんて、ただの笑える話じゃないか。


 そんな笑える人間の僕に、ここにいる資格も、帰る資格もない――


「わからない、かな」

「はぁ? ムッツリのくせに優柔不断って、あんたどんだけ小さい人間なのよ。少しでも分かり合えると思った私が馬鹿だったわ」


久子は投げ捨てるように言った。元々威勢のいい声なので、十分にある威圧感が僕を押し潰す。


「ごめん、なさい。ごめん、なさい。ごめん、なさい。ごめん――」

「ああもう! うるさいわね。心も弱すぎんのよあんたは!」

「そう、だね。ごめん」

「とにかく、事故でこっちにきた身としては、一刻も早く帰りたいわけ。だから協力してほしいのよ……どれだけ気弱な人間でも、私一人よりはマシだしね」


 その声からは、いかにも迷惑そうな感情が感じられる。

 ……というか、事故?


「事故ってどういうこと?」

「そのままの意味よ。家に帰る途中、走っていたら急にわけのわからない空間にいたの。意識もなくなって、目が覚めたら草原だし。わけわかんないわ……あ、そうそう。聞き忘れてたけど、ムッツリこそ何でここに来たの?」


 ムッツリ……。そんな、世間話のトーンで当たり前のように言わなくても……。


「あ、えと――」


 ツッコむ気力も自信もなかったので、僕は何も反抗せず、自らの経験をありのままに語った。ついでというには重すぎるが、自分の家庭環境もあわせて説明した。動機の中にその要素があるから、ウソを交えないためにも、だ。


「そうなんだ……」


 聞いていた久子は、真剣にうなずく。同情を誘う道具になんかしたくないけれど、正直、少しは考慮に入れてほしい気持ちがないわけではない。僕がこうも気弱になったのは、あるいは中二な世界やライトノベルをたしなむようになったのは、自分の気持ちの表現がしづらいなかで見つけた、唯一の自分の場所だったから。


「でも、それでもあんたは弱い」

「…………」


 はい。そうですよね。

 そして、そのあとも久子は淡々と続けた。


「私、親は朝から夜まで仕事で、なんもしてくれないから、今はもう一人暮らし状態だし。BLとかラノベを見るようになったのは、まあ、暇つぶしって感じかな」

「…………」

「あ、ひとつ補足しとくけど、親の愛情を感じていないわけではないしね。私も、親がこんなに働いてくれるのは、将来の私のためだってことはわかってるし、本格的に自立したら親孝行もしていくつもり――まあ、そこがムッツリとの違いかな。だからこそ困るわけよ、このままじゃ。たぶん、向こうでも時間が進んでいるパターンの異世界なら、絶対心配してるし。私だって、今のところで人生やり直したいってわけじゃないし。ましてや、ムッツリみたいに、いなくなるちゃんとした口実を作ってるわけでもないしね」

「強い、ね」


 今の言葉は、僕の心からの、おそらく今まで生きてきた中で一番の心からの言葉だったろう。


「ふふっ。そう言われると悪い気はしないけど、ムッツリに言われてもうれしくはないね」


 久子はそう言って笑う。……その笑顔に、少しだけ心のフィルターが開いたような気がした。


「ごめん、なさい……」

「もう、謝りすぎだって。とにかく、私が言いたいのは、協力してほしいってこと。いい?」

「……うん。そういうことなら、させてもらうよ」


 僕がこういったのには二つの理由がある。ひとつは、わからない人ひとりと、決まっている人一人がいれば、必然的にその決まっている方に決定する、という当たり前な理論。

 あともう一つは、久子の話を聞いたときに気づいた自分の弱さを、もし帰ることができたときに生かせるのではないか、という淡い希望だ。


 ここまで来ると、彼女はもう出会ったころのテンションに戻っていた。それでもやはりはきはきとした声。外見からして少しギャップがあったりする。


「じゃあ、決定ね。さっそく考えていきたいんだけど……まず、言葉について」

「……言葉」

「そう。言葉。おそらくムッツリも、大きな障害を感じたでしょうね」

 久子は手をくの字にしてパクパクする。……言葉って意味か?

「まあね。苦労したよ――っていうか、苦労しても成り立たなかったけど」

「でも、それにしては、ワンパターンな感じだとは思わない? 一週間もいるんだから、気づいているでしょ?」


 今度は人差し指で1を作った。二連続で。


「まあ、一応は。ええと、僕がわかっているのは――リョーカがお願いをするとき、キョッヒが断る時、プンプンが怒る時。あと、マジカとか、ユーとか……」

「アリガトウ、とかでしょ?」

「そう! それには僕もびっくりしたよ!」


『――アリガトウ』


 よみがえるあの金髪幼女。僕の唯一の幸せ。元気にしているだろうか。


「ええ。私も、荷物を落とした人に、拾って渡したときに言われたわ。やっぱり言葉が通じるんだと思って「ここはどこですか?」っていったら、マジカ? だもんね。もう、中途半端だから余計にわからない感じ?」


 久子は、いかにも「why?」と言った感じで、手のひらを肩まで上げる。


「そうだね。まあ、マジカっていうのは、一言でいえば疑問だろうね」

「ええ。でも、今振り返ってみると、アリガトウ以外の言葉も、日本語に共通点があることは確かじゃない?」

「そういえば、そんな気も……」


『シクシク』

『どうした? 悲しいのか?』


 またも頭のなかに登場。そうだ、確かにその通りかもしれない。


「さっきからニヤニヤしてどうしたの? ムッツリ」


 レンズの中の目が、異様に細くなった。……見ておられましたか。


「い、いやぁ、その通りだな~と思って」

「……まあ、いいわ。だから私の場合、二日間で大体の言葉はつかめたの。でも、ここで問題が発生する」

「問題?」

「そう。それは、語彙数、つまりボキャブラリーの圧倒的少なさ。これに尽きるわ!」


 久子は、びしっと僕を指さしていった。そういえばこの人、さっきから身振り手振りが多いような気がする。


「こればっかしはどうにもならない(首を振る)。二日間、草原に寝泊まりしながら、何も食べずに頑張ってきたけど、もう限界だと思ったわ(体の力を抜く)。それで、店の食べ物奪って(かっさらう真似)めでたく投獄よ(お手上げ)」

「……僕と同じだね」


 だめだ、一回意識したらそこばっかり目が行ってしまう!


「まあそんな所でしょうね。私の場合は別に死んでもいいか(死んだふり)って思ったけど(顎に手を当てる)……あ、これは、死んだら(死んだふり)戻れるんじゃないかって意味だけどね(手をこまねく)」

「……まあ、その手もあるよね」

「そうでしょ。でも、これは私としても最終手段に取っておくことにしたわ。どうせ死ぬ(死んだふり)なら、やることやってから死のう(死んだふり)……ってね(ガッツポーズ)。で(手をパンと叩く)、次に、私が思う次の作戦だけど――」


 久子はそう言うと、離れたところにおいてあった僕のクロニクルとペンに手をかけた――ってダメだ! 身振りに気を取られて反応が!


「ああああ! もうやめてくれ!」

「あ、違う違う(手をブンブン)。もうあんなの読まないわよ。面白いの上を(上を指さす)いくイタさだったしね(あちゃー)」


この人、ガチで引いてるよ……。まあ、当たり前だとは思うけど。


「ごめん、なさい……」


 うーん。さっきから、謝ることが多いような気がする。


「で――」


 久子は呆れもそこそこに、クロニクルの空白のページに絵を書き始めた。どうやら紙とペンが目的だったようだ。そして、一通り書き終えると、ふぅ~と息をついて言った。


「これを見せるのよ」

「うっわ、ウマ……」


 書かれていたのは、ゆがんだ空間――レンガの街並みに現れた、不気味なそれだった。


「これでも、キャラの絵とか何回も模写したりしてたからね(腰に手を当てる)――ってどうでもいいけど!(手をブンブン)つまり、次の作戦は、『言葉がだめなら絵を使え!』よ(びしっと指さし)」

「なるほど!」


 結構いい作戦だ。……キリがいいし、もう話に集中するか。


「いいリアクションね。そう。私が言いたいのは、ここに来た方法は、元に戻る方法でもあるという仮定に基づいて、聞き込みを行うということね。言わなくてもわかると思うけど」

「……でも、もう捕まっちゃってるし、人に聞くのはどうかと」

「だから、脱獄して次の街に行くのよ」

「ああ、そういうことか」

「理解したところで、さっそく作戦を練るわよ! ムッツリ、ここでの生活のスケジュールを教えて」


しかし僕は、トントン拍子で進む計画に、ある疑問を抱く。


「……あのさ、久子」


 タクからムッツリに成り下がった僕が、久子と呼び続けるのには少々抵抗があったが、そういった手前、呼び方を変えるのもあれだと思ったので、久子と呼んだ。


「なに?」


 対する久子は、メモにペンを添えたまま、特に気にした様子もない。じゃあ、久子でいいや。


「もし、さ。もし、町がここのほかに無かったり、見つからなかったときはどうするの?」


 これは誰でも思うだろう。確かに久子の作戦は、言葉を探すより魅力的で、画力も申し分なく、とても期待できるものだと思うし、脱獄に対する躊躇も作戦を聞いたときには少なくなっていた。ただ、あまりにも、久子がその可能性について考えてもいなさそうだったので、士気を下げることになるだろうという不安があるにしても、聞かざるを得なかったのだ。


「その時は死んでみるつもり……。もう無理だしね」


 おやまあなんともあっさりと。


「さっき、これが次の作戦とか言ってたけど、町が見つからない以上、実際もうこれ以上思いつかないと思うわ。自分に何か能力があるわけじゃないし、世界中をくまなく探すって言ったって、食料的な問題がある――まあ、毒で死ぬのも結局は同じだから、なんでもいいから食べてみるってのもありかな。でも、確かな作戦は、ほとんどないんじゃないかしら」

「…………」


 よく言えば覚悟のある、悪く言えば向こう見ずな、捨て身の作戦。これは、強いと言ったらいいのか、さばさばしていると言ったらいいのか。落ち着いて考えれば、まだ何か他の方法が――


「でも、もしかしたらだけど、お願いしたら、ホームステイとかもできると思うよ?」

「それもそうだけど、それも次の街があったらでしょ。論点がずれてるわよ」


また、びしっと指を指されてしまった。


「あっ、ごめん、なさい……」

「あ・や・ま・る・な! ホームステイは、悪い作戦ではないわ。ただしそれは、牢獄と同じ。生活するためには動けないし、いつかは旅立たなければいけない。方法もはっきりしていない。だからこその聞き込みよ。次の街に行ったら、生活していくすべを見つけなければいけないことになるでしょうね」


相手をほめた上での、的確な否定。返す言葉もない。


「うん。ごめん……僕は未熟者だよね」

「落ち込むな! そうね〜……でも、わたしにとってムッツリ……との出会いは、とても大切なことなのよ? ね。元気出して?」


 久子は優しい声で僕の肩を叩く。えっ、なにそれうれしい。


「笑顔が気持ち悪い!」

「ごめ――あっ」


 自分がまた謝りそうになって、必死にこらえた。


「ふふっ」


 それを見て、久子は笑う。あれ、なんか急にかわいく見えて――いやいや、違う違う!


「その意味はね――」


 メガネの奥の瞳と、目が合った。少し茶色くて、ちょっとだけ見とれた。


「心の支えよ」

「心の……支え」

「そう。言葉の通じない世界で、自分の家もないし、お金も、交換できるものもない。わかりやすく言えば――状況はかなり違うけど、雪山での遭難かな。ほら、よくあるでしょ。一人が寝そうになっているところを、もう一人が「寝るなー!」と言って起こす。つまり、精神的に助けてくれる存在っていうこと」

「そんな……こんなに弱い僕が?」

「いい加減その早すぎる高二病を直せ! いったら、私がこの町でホームステイをしなかった理由はここにあるわ。なんてったって、私は異世界の住人だもの。ここに慣れないうちから、あんなボキャブラリーだけで人と接していくなんて、死んだ方がましだわ。精神ぶっ壊れるっての。まったく、どんな神経してるんだか」

「……確かにね」


 そう言われてみて、今更、先ほど久子の日本語を初めて聞いたときの感動がよみがえってきた。

 もう一人で生きていこうと、そうあきらめかけていた中で現れた、一筋の光とでもいうべき存在。


「だから、本当にほっとしたの」


 そういう久子も目がうるんでいる。よほど切羽詰まっていたのだろう。そりゃあそうだ。この人は、僕よりもよっぽど頑張った。達成感なんて、僕とはくらべものにはならないだろう。


 ――少しだけ、頑張ってみようか。


 この思いは、異世界に逃げたしたいなんて思ったことを間違いにしたわけじゃない。その気持ちはまぎれもない事実だ。

 ただ、自分にはない強さ、そして心の底にかすかな弱さを持ったこの人と、一緒にこの世界から抜け出したい。そう、素直に思えた。

 母さんに対しても、もう少しだけ逃げないで接してみよう。

 何もない、期待外れの異世界。だけどここには、僕に与えてくれるものが、強さや特別なんかじゃない、何かしらの贈り物があるように感じた。



 ――やっぱり僕は、まだまだ異世界をナメているのかも。



「じゃあ、一度あがいてみようか」

「そうよ! その意気よムッツリ!」


 ムッツリか。まあ、今の自分にはそれがお似合いかもしれない。でも、いつかはタクと呼ばせてやるぜ。


「えっ、ムッツリって呼ばれてニヤニヤするなんて……やっぱり変人ね」


 再び目を細める久子。


「いや、その」


 いつかはタクと。


「じゃあもう変人でいいかしら? 変人」

「ごめん、なさい」


 あれ? 今更気づいたけど、これって心の支えというカテゴリの中のストレス発散という項目では?


「冗談よ。ムッツリ」

「冗談でもムッツリなんだ……」

「ふふっ。じゃあ、ストレスも発散したことだし――」


 久子は勢いよく立ち上がり、僕に拳を突き出した。


「きっちりと腹ごしらえしてから脱獄するわよ!」


 あ、そうだこの人。盗んだやつ以外何も食べてないんだ。


さて。これが、後々話の題にもなっているムッツリの誕生です。

いじられますよ~。

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