Chapter0 母の心
~天に選ばれし人間、田中卓郎~の裏話です。
まさか、そんなはずないわよね。
私も、あんな話、嘘だと思ってた。
あの時は、信じることができないくらい神秘的な話だったし。だからこそ、こんなに年を取った今でも覚えているんだけどね。
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あーあー。
最近なんだかおかしいと思ったら、こんなところに変な本隠してる。
なにこれ、こんなに目が大きい人見たことないわよ。
どれどれ……うわっ! これほとんど裸じゃない!
ついにタクがおかしくなっちゃったわね……。
まあ、こんな生活を送っていたら、仕方ないのかもしれないわね。でも、どうしたらいいかわからない。施設に預けるお金もないし、かといって節約するために料理を作る気力もないし。
料理なんて頑張ったら作れる。なんて、人は言うかもしれないけど、本当に無理。今はなんとかパート掛け持ちの生活を続けられているけど、これもいつまでもつか。
いっそ、心中してもいいんだけどね。
――いや、無理かな。
あの子は気にしていないようで気にしやすい子だから、心中なんて言ったらすごく怒りそう。こっそり家事をしてくれているのも気づいてる。とっても嬉しいんだけど、もう笑う気力も少なくなっちゃった。
……でも、もうちょっとだけ、頑張ってみようかな。
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はぁ〜。
今日も疲れた。
だいたい、なんなのよあのおばさん。
「今日はあなたが後片付けをしてね〜」
って昨日も私だったし。代表っていうのはあんなにえらいものなのかしら。
かといって、「あ、はい!」しか言えない私もどうかと思うけど。まあでも、もう疲れてたし。反論する気力もなかったからいいけどね。
……あれ、今日もタクは二階なのかしら。きっと、あの変な本でも読んでるんでしょう。
「タク〜。ごはんあるから降りてきて〜」
ああ。自分の声もこんなによわよわしくなっちゃって。
タクはどう思っているのかしら。
もうこの人はダメだって思っているのかしら。
きっと思ってるんでしょうね。
「今日もお惣菜なの。ごめんね」
「うん」
味噌汁だけで本当にごめんね。
でも、今日はせめて味噌汁だけでもって思って、朝早くから作ったんだよ。
でも、もう無理かも。
きょうは、タクに聞いてみようと思う。
怒るかもしれないけど、もう疲れたの。預ける家もないしね。
「はぁ……」
あ〜あ。何回溜息ついてんだろう。私。
たしか、ため息をつきすぎたら死ぬとかいう話なかったっけ。……ああ、幸せが逃げていくだった。もう頭もおかしくなってるわね。
「きょ、今日何やってるかな〜?」
「ハハハハハ……ま〜た騙されてるよ、かの栄光」
もう、そんなに気を遣わなくていいのに。私なんて、放っておくもんでしょ。もう中二なんだから。ふつうは反抗期よ。
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まあでも、そのあとのタクの言葉には驚いたな〜。
「僕って、邪魔?」
そんなこと言ったら、空気が悪くなるじゃないの。今までのタクは空気を盛り上げようと必死だったのに、いきなり何を言い出すのかと思ったわ。
「そう? 私は、元気よ。ほら」
だから変な空元気も見せちゃったし。
「できるものならそうしたいけどね」
だから中途半端な拒絶もしちゃったし。
でも、一番驚いたのは。
「じゃあ、僕、少し旅に出てくる」
かな。
なんでかって言ったら、もちろん急に何言ってんだっていう驚きもあったんだけど……そのセリフをそっくりそのまま聞いたことがあるっていうことが大きかった。
聞いたって言っても、実際にその人がそのセリフを言うところは聞いたことがないんだけどね。
つまり、伝承ってこと。
詳しく言えば義父なんだけどね。
その人、とても私を気に入ってみたいで、自分が知っていることを惜しげもなく話してくれた。
たいていはつまらないことだったんだけど、唯一その話だけは印象に残ってる。
一言でいえば、『神隠し』が起こったなんて話だったんだけど、その人――義父のお父さんの話だっていうから、根拠がありすぎてもう。
その、私からしたら義父ののお父さんにあたる人が、『じゃあ、僕、少し旅に出てくる』って言ったらしい。
「その……友達の知り合いの、海外にいる夫婦から」
……ほんと、何言ってるの。大体なんで友達の知り合いの海外にいる夫婦がタク宛てにお誘いできるのよ。矛盾しすぎ。
「辺境に住んでるから、連絡とかもつかないんだ」
だったらなおさらお誘いできないじゃない!
……まあでも、私も義父の話のせいで変になってた。
一応念押しはしたけどすぐに折れたし、着替えとかお金とかわけわかんないこと言うし。
自分の子供がいなくなるかもしれないのにね。
心中なんてバカだった。
頑張って子育てもして、やっと中学生になったのに。
身長も伸びてきて、もう少しで一人前の大人になるのに。
何言ってんだ。何言ってんだ!
「大丈夫だって! その夫婦、今週には帰るらしいんだけど、僕が来るって言ったらすごい喜んでたよ!」
そう思ったけど、タクの久しぶりの笑顔には勝てなかった。
――だから、抱きしめた。
このままじゃ、タクは笑顔さえも忘れるかもしれない。
私のところにいても、何もいいことはないから。
行ったその先で、ありのままのタクの性格を出せればそれでいいから。
交わした最後の言葉が、事務的なものだったことは少しだけ後悔してるけどね。
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まさか、そんなはずないわよね。
私も、あんな話、嘘だと思ってた。
あの時は、信じることができないくらい神秘的な話だったし。だからこそ、こんなに年を取った今でも覚えているんだけどね。
でも、それは本当だった。
タクの部屋に、タクはいなかった。
タク。その世界では、ちゃんと笑えてるのかな?
笑えているなら、私もうれしいな。