眺める少女
何かが、目の前を横切った。
流線型の、何か・・・
それはペンだった。
少女は、眠っていた。
ベッドの上で両手足を伸ばし、静かな寝息を立てている。
ペンは少女の眠る部屋を旋回していた。
これが彼女の力の一つ。サイコキネシス、というやつだ。
彼女は幼いころ交通事故にあい、そのときのショックで発現したのが、この能力だった。
初めは、病室の中にあったものが、眠っている間に移動していたりした。
誰かが動かしたのかと思っていた。けれど、ここは個室で、人といえば見舞いにくる母親と看護士しかいない。
少女は天井を見つめ、動け、と強く念じた。
するとどうだ。サイドポートにあった花瓶がカタカタと揺れ始めたではないか。
揺れは徐々に大きくなっていき、サイドポートを引き出しが一人でに開き、中に入っていた薬や鉛筆などが宙を飛び回り始めた。
部屋の中は、彼女を中心に小さな嵐と化した。
彼女が止まって、と念じれば、暴れまわっていた物たちはその場で停止し、次の指示を仰ぐように彼女に先端を向けた。
少女は、そのことを母親に話した。
最初は取り合わなかった母親も、その力を目の当たりにして、顔を蒼白にした。
やがて彼女の怪我も完治し、無事退院を果たすことができた。
また元気に、学校にも通うようになった。
友達も増えて、彼女は楽しそうだった。
しかし、それも長くは続かなかった。
ある体育の授業中、ドッジボールをしていたときだ。
味方の陣地には、親友の女の子が一人で頑張っていた。
相手側の男子が、外野の子たちと連携して、ついに女の子を捕らえた。
男子がボールを投げる直前、彼女はだめ、と手を伸ばした。
ボールは男子の手を離れ、勢いよく女の子に向かっていく。
止まって、と。彼女は念じた。
ボールは女の子に当たる直前、ぴた、と動きを止めた。
そして吸い寄せられるように、ふわふわと彼女の手に収まった。
誰も、何も言わなかった。
唖然としていた。ボールを放った男子も、ギリギリで助かった女の子も。
彼女はしまった、と思った。
ボールを落とし、彼女は駆け出した。
途端に、皆が騒ぎ始める。
――おい、今の何だ!?
――すげー!超能力だよ、超能力!
――うっそ、マジかよー!?
学校の中では使っちゃダメと、ずっと封印していたのに。
彼女は走った。目的はなかった。とにかく、あの場から離れてしまいたかった。
彼女は走った。走って走って、辿り着いたのは近所の公園だった。
周りには誰もいない。在るのは木と、砂と、風。
彼女は泣いた。どうして、と。
彼女の周囲に、風が巻き起こる。
砂が浮かび上がり、風に乗って彼女の周囲を飛び回る。
荒れ狂う風に、木がざわめく。
彼女は、力を全解放した。
こんな力、なくてもいい。こんな力、いらない。
彼女は叫ぶ。こんなもの、いらない、と。
やがて彼女は気を失った。その場に倒れた彼女を、探しに来た担任が見つけ、病院へと運んだ。
彼女は一命を取り留めたが、悪性の依存症を患った。
あの力は、心臓に多大な負担を掛けていたのだった。
彼女は3年間を病室で過ごした。
その間、見舞い客は、母親だけだった。
3年後、彼女は病状も安定したため、観察期間として家へ帰ることを許された。
ただ、定期的に薬を飲むことと、外へ出ないことを条件に。
薬はひどく苦かった。でも、その薬のおかげか、症状は安定に向かっているようだった。
たまの発作も、徐々に回数は減っていった。
母親は、外へ出られない彼女のために、望遠鏡を買い与えた。
外の世界を見て、自分の世界に引きこもらないように、と。
彼女は早速、部屋の窓から望遠鏡を覗いた。
彼女の部屋の窓の向こうには、丁度男子高校のグラウンドが見えた。
暇なときはこうやって望遠鏡を覗いて、サッカーや野球をしている男子たちを眺めていた。
そして、彼女は見つけた。
それは野球部のエースで、キレの鋭いストレートが持ち球のピッチャーだった。
今日も彼のストレートのキレは良かった。
やがて9回、最後の打者。ここまで無失点で抑えてきた。
がんばれ。彼女は応援した。
一球目、二球目とストライクを取る。
あと一球。あと一球で、彼らの勝利が決まる。
が、しかし。
あっ―――!
嫌な予感がした。
大きく振りかぶって投げた球はストレート。今日一番のキレの良さだ。
しかし、バッターはその球を打った。
球はまっすぐにピッチャーの顔面へ。彼は顔を利き腕で庇った。
腕に鋭い痛みが走る。
ああっ――!
彼女は望遠鏡から目を離して、グラウンドの状況を見た。
ピッチャーマウンドでは、彼が腕を抑えて倒れていた。
幸いなことに、骨に異常はなく、ただの打撲で済んだようだった。
完治すれば、また野球も出来るようになる。
しかし、この事故の恐怖で、彼はピッチャーマウンドに立つことを恐れるようになってしまった。
それでも、なんとか克服しようと、彼は夕方、皆が帰った後もグラウンドに残り、ピッチングの練習を続けた。
彼女はそんな彼を見守っていた。
やがて試合も近くなってきた。
彼はマウンドに立つことが出来るようになっていた。
が、ストレートのキレは、戻っては来なかった。
リリースの瞬間、あのときの光景がフラッシュバックして、彼を恐怖に陥れるのだった。
どうしてもまっすぐに投げられない。
彼と同年代で、ずっとコンビを組んできたキャッチャーはこう言った。
――全然真ん中に入ってこねーな。やっぱストレートじゃ無理だよ。
彼は言い返す。どうしても最後はストレートが投げたい、と。
今度の試合で、彼は引退する。
だからせめて、最後は持ち球のストレートで決めたい。そう思っていた。
――怪我だって完治してるんだ。大丈夫だって。
――そっちは大丈夫でも、こっちは重症だろ。あのときのこと、まだ覚えてんだろ?
――それは・・・
――いつまでもビビってんじゃねーよ
キャッチャーはそういい残した。
彼はその言葉に、何も言い返すことが出来なかった。
その日、彼は練習が終わってもベンチに一人座っていた。
思い出すのは、あの時の光景と、友の言葉。
――いつまでもビビってんじゃねーよ
――ビビってなんかねーよ
彼はまた、夕方特訓を始めた。
バットを3本組み合わせて立て、その上にボールを置き、そこを狙って投げるのだ。
彼女は、必死に練習する彼を見守っていた。
試合前日になっても、ボールは一向に落ちる気配を見せなかった。
――くそっ、なんで当たんねーんだ
彼は躍起になって、何度も何度もボールを放った。
それでも、ボールは当たらない。
――ちくしょうっ
あと2球。あと2球投げたら、今日はもう止めよう。
一球目。当たらない。
彼は心を落ち着けるために、目を閉じた。
彼女も、一緒になって目を瞑り、祈った。
当たって、と。
部屋に掛けてあった額がガタ、と傾いた。
窓辺に置いてあったぬいぐるみがポン、と飛んだ。
天井がミシ、と軋んだ。
机にあったノートや鉛筆が宙を舞った。
そして、彼が最後の一球を投げようと振りかぶった。
その瞬間――
ポロ、と。
標的にしていたボールが落ちた。
彼は振りかぶったまま止まった。
――あれ、俺まだ投げてないよな・・・
彼は不思議に思った。そしてふと、誰かに見られているような感覚を覚え、彼女の部屋のほうに視線を向けた。
一瞬、彼女と彼の視線が合う。
彼女は慌てて隠れた。胸がドキドキしていた。
喉が詰まる。手を口に当てて、こふ、と咳をする。見ると、手には少量の血が付いていた。
いつもの発作だ。最近は全然おきなかったから、油断していた。
また力を使ったせいかもしれない。
彼女の命は、もうあまり残されていなかった。
その夜。彼女は机に向かっていた。
ノートを広げ、何事かを書き込んでいるようだ。
コンコン、とノックをする音が聞こえた。
――夕飯出来たわよ。
母の声がする。
うん、そこに置いといて。彼女は告げ、またノートに向き直る。
母はしばらく躊躇ったあと、部屋の前に夕飯を置いて戻っていった。
続きが思い浮かばないのか、彼女は窓の外を眺めながら考え込んでいた。
扉を開けて夕飯を運び込み、ノートを閉じて空いたスペースに盆を載せる。
蓋を開けると、暖かい湯気が立ち上った。中身はおでんだった。
扉を開けっ放しにしてあったせいか、母の声が聞こえる。どうやら誰かと電話をしているらしい。
――ええ・・・分かってるわ。でも・・・・でも家に居る方があの子のために――
母は泣いていた。彼女はそれ以上母の哀しい声を聴きたくなくて、扉を静かに閉めた。
やがて、試合の日がやってきた。
その日も、彼女は眠っていた。
昨日、夜遅くまで考え事をしていたせいかもしれない。
気づけば、試合はすでに9回。ピッチャーは彼だ。
ノーアウト満塁。絶体絶命だった。
しかし、キャッチャーは敬遠を指示する。
ストレートじゃないの?
彼女は思った。望遠鏡を覗けば、彼の悔しそうな顔を見ることができる。
彼は、悔しそうに頷いた。
なんで!?
大きく振りかぶって、投げた――
――だめ!
彼が放ったボールは、キャッチャーミットに入る手前で、大きく変化し、ギリギリのところでストライクゾーンを抜けた。
鋭いカーブだった。
なんとかボールを取ったキャッチャーも、ボールを放った彼も、唖然とした。
そして、キャッチャーは、彼に、目とサインで訴える。
――ストレートだ。今の感じでいけ!
彼は頷く。嬉しそうに。
それから彼の投げる球は、以前のキレを取り戻したかのように綺麗に決まっていった。
三者三振。
彼らの勝利が決まった。
彼女は、チームの皆と喜びを分かち合う彼を眺めて、目を細めた。
よかったね。
彼にその言葉が届いたのだろうか。ふと、彼の視線がこちらを向いた。
彼の見る先に、少女はいなかった。
あるのはただ、こちらを見つめる望遠鏡があるだけ。
それでも彼は、誰とも知れない恩人に、感謝をしていた。
――ありがとう
少女の部屋の机に置いてあるノートが、風で捲れる。
開かれたページには、こう書いてあった。
――最後にやりたいこと――
TBSの深夜帯ミニドラマ、「東京少女」でやっていたものをノベライズ化。もう一つの物語、「東京変身少女」も、いずれ書こうと思っています。