第5章:気になる人
【SIDE:大河内蔵之介】
「蔵之介、そろそろお前も恋人を作れよ」
久瀬に何気ない話題からそう言う話をされた。
日野先輩の事が気になる。
など、と目の前の友人に言えばどうなるか。
「……別に僕には必要ありませんよ」
「必要があるとか、ないとかじゃないっての。蔵之介ならよりどりみどりなのに。なぜ、その生まれ持った容姿をもっと活かさない?イケメンが持ったないぞ。まったくもって羨ましい限りだ」
「容姿だけで気に入られても、僕は困るだけなんですが」
僕がそう呟くと彼から「お前、もったいなさすぎ」とお説教をされる。
それが久瀬なりのおせっかいだとは分かっている。
彼は彼なりに僕を心配してくれているのだろう。
「お前には愛奈との付き合いで借りがあるからな。お前にも幸せになって欲しいんだ。俺が何とかしてやりたいってさ」
河合愛奈(かわい あいな)。
僕と中学時代から知り合いだった女の子だ。
高校の時に愛奈さんと久瀬を結びつけたのは、僕が取った行動らしい。
それゆえに、彼は僕に恩を感じているようだ。
「……早くいい人を見つけてくれ。何か恋愛事の相談があれば、俺か愛奈にしろよ?どうせ、蔵之介だと変に考え込んでしまうだけだからな。悩むなら相談してくれ」
「返す言葉もありませんね。僕の性格をよく久瀬は知っている」
「長い付き合いだからな。親しき友と書いて親友だろ、俺達?」
「友の人と書いて友人だと僕は思っていますが?その辺には認識の差がありそうです」
彼は苦笑いをしながら「いつか、親友と呼ばせてやる」と悔しそうだ。
久瀬は付き合いが長いゆえに、それなりに親しい。
だが、僕は元々、あまり人付き合いが得意な方ではない。
なので人との距離感に不慣れなのも事実だった。
「と、話は変わるが、蔵之介。今日の夕方は暇か?」
「特に何も予定は入っていませんが……?」
「だったら、悪いんだけど、愛奈の買い物に付き合ってくれないか?荷物持ちを頼まれているんだが、俺もバイトでさぁ。アイツ、ひとりで放っておくとすぐに男が近づいてくるし、虫よけを頼んでおきたい」
「……仕方ありませんね」
愛奈さんとも長い付き合いでもある。
彼女は一般的に言えばとても美しい女性だ。
それゆえに、久瀬も心配症なところがある。
街中を歩けばナンパの類は日常的、人目を引く容姿の女性と言うのは大変そうだ。
「頼んだぞ、蔵之介。この借りは今度、食事をおごると言うことで返すよ」
「分かりました。彼女の方には連絡をとっておきます」
「あぁ。そうしてやってくれ」
久瀬から愛奈さんを頼まれることは時々ある。
それに僕らが住んでいるアパートも、隣の部屋同士でもある。
僕の部屋の右隣が久瀬、その隣が愛奈さんの住んでいる部屋、と言う感じだ。
久瀬と愛奈さんは同棲はしていない。
それはお互いに自分の時間を取るためでもあると、入居時に話あったそうだ。
なお、お互いの親も同居を認めなかったのが理由でもあるらしい。
僕は彼女と連絡を取ると、「4時過ぎに迎えに来て」とだけ返事がきた。
大学の授業が終わり、僕は約束通り、彼女を迎えに行く。
この時間は取っている授業が違うので、講義室が離れているためだ。
「はぁいっ、蔵ちゃん。こっちだよ」
「ここにいたんですか。少し探しましたよ」
「ごめんねぇ、友達と話をしてたの。今日は久瀬ちゃんの代わりをよろしくっ」
明るい笑顔に僕は頷いて答える。
誰とも気軽に接する彼女は人を惹きつける魅力に長けていた。
「今日は買い物と言うことですが、何か特別なモノでも?」
「ちょっと身の回りの物とか、消耗品とか。一人暮らしってないと不便なモノが多くて。予想外なものが必要だったりするわけよ。蔵ちゃんもそう思わない?」
「いえ、僕はそう思いませんね。あまり気にしていないというのもありますが」
男性の一人暮らしは適当でも問題はさほどない。
女性よりは気にする事も少なくて済むので気が楽だ。
「そう。ホントは久瀬ちゃんを荷物持ちにしようと思ってたのに。今日から3日間、連続でアルバイトだって。何でそんなシフトにしているんだか」
「彼は彼の目的があって、バイトを詰め込んでいるのでしょう」
そして、その理由を僕は知っていた。
来月には愛奈さんの誕生日、その誕生日プレゼントを買うために彼はバイトの時間を増やしていると聞いていた。
「ふふっ。分かってるんだよ、それが久瀬ちゃんの優しさだって……」
そして、彼女もまたその意図に薄々気づいてはいるようだ。
「でも、一緒にいる時間を削ってまでは望んでないの。その辺、久瀬ちゃんに蔵ちゃんの方から伝えておいてくれない?」
「そう言っておきましょう。それにしても、おふたりは相も変わらずに仲がいいです。理想的な恋人だと思いますよ」
僕が彼女を褒めると「惚気でごめんねぇ」と笑っている。
心の底から愛し合っている、その幸せが目に見えて分かるほどに。
僕達は大学を出て繁華街のある方角へと歩き始めた。
「そう言えば、久瀬ちゃんから聞いたんだけど?」
「何をでしょう……?」
「蔵ちゃんって気になる相手がいるってホントなの?」
久瀬にはその話は他言無用に言っておいたはずなのに。
彼の口の軽さは信用できない所がある。
僕は肩をすくめる仕草を見せつけながら、
「やれやれ。彼も口が軽いですね」
「くすっ。私達の間に秘密はないのよ?蔵ちゃんが恋なんて初めて聞くし、気になるの」
「別にまだ恋と言うわけではありません」
そう、この気持ちは恋と確信しているわけではない。
「気になる人、というところでしょうか」
「それだけでも十分でしょ。あまり女の子に興味も見せないもんね。高校時代なんて女の子から好かれまくってたのに、告白を断り続けるから実は好色系とか思われてたんだよ?」
「それは失礼な。僕はいたって普通の趣味の人間ですよ」
特別な趣味はない、ただ女性を相手にする経験が未熟なのは事実だ。
僕のような人間が久瀬と愛奈さんを結びつけたのもほとんど偶然の結果と言っていい。
「だよねぇ。分かってる、信じてたよ」
「その目は半信半疑というところでしょうか」
「ぎくっ。とか言ってみたりして。あははっ、ないない。そんなことないから安心して。相手は大学の先輩なんだって?」
日野先輩が気になる、それは事実だけども、誰かに話す事なのだろうか。
恋愛の相談などする気にはなれずに、僕は誤魔化しておく。
「気になる人がいますが、特にどうこうしたいわけではありません」
「恋人になりたいとかないの?」
「それも今はないですね。ただ異性として気になる、それだけですよ」
僕はそう答えると彼女は不満そうに言った。
「そんな事を言ってると、他の誰かに相手を取られちゃうかもしれないよ?恋ってのは早いもの勝ちな所があるじゃない」
「……それもまた一つの未来、ということにしておきます」
「諦め早過ぎ。ていうか、蔵ちゃんって基本的に未練って言うか、何かに執着することって少ないよねぇ。あっさりとしていると言うか。そういう、あっさりとしているところはカッコよくはあるけども、女としては執着心くらい持っていて欲しいわよねぇ」
自分でもそう言うつもりはなくとも、そう見えてしまうのだろう。
愛奈さんは「蔵ちゃんは良い恋をして」と久瀬と同じことを言った。
それから2時間後、繁華街で買い物を続けて僕の両手が荷物の袋でふさがっていた。
「重い?大丈夫?」
「これくらいなら問題はありませんが、寄り道をせずに帰る事を所望します」
「分かったよ。蔵ちゃんがいて助かった」
荷物持ちと男避け、二つの効果を持つ僕の存在。
「……大河内クン?」
そんな僕は駅前を歩いていた日野先輩に気づいた。
これから仕事なのだろう、両手には買ったばかりと思われる高校生用の参考書を抱えていた。
「日野先輩、こんにちは。今日は家庭教師のバイトですか?」
「えぇ、これから家庭教師のバイトなの。大河内クンは……女の子とデート?」
どうやら僕と彼女を恋人同士だと勘違いしている様子だ。
すぐに否定しようとすると、隣の愛奈さんがムッとして僕に寄り添ってくる。
「そうですよ、“先輩”。楽しいデート中なんです」
「愛奈さん、貴方は一体、何を……?」
僕が止めるまもなく、彼女は腕を掴んで言った。
「ほら、蔵ちゃん。早く行こうよ」
「え、あ、はい。それでは日野先輩。失礼します」
「うん。また今度ね」
いつもと同じ微笑みを浮かべる日野先輩。
だが、今日の笑顔はどこか寂しそうに見えたのは気のせいだろうか?
俺の腕を掴んでいた愛奈さんがしばらくしてから離す。
「どうしたんですか、愛奈さん?変な真似をして」
「変な真似じゃないよ。蔵ちゃんを守ろうとしたの。ああいう、いかにも遊んでそうな大人のお姉さんには気をつけて?何か蔵ちゃんに気のありそうな眼をしていたから。遊び半分で弄ばれたらどうするの?気になる人がいるんでしょう」
「なるほど、そう言うことですか。それは感謝しますが……貴方はひとつ誤解してます」
僕は愛奈さんの行動の意図を理解して、少し苦笑気味に言った。
「彼女の名前は日野美鶴さん。彼女こそ、僕が気になる人だったんですよ」
「え、えーっ!?そ、そうなの!?」
驚く彼女、確かに日野先輩のような容姿のタイプの女性を好む傾向はこれまでなかった。
「ごめんね、蔵ちゃん。私、余計な事をしちゃった。はぅはぅ……蔵ちゃんの好みっていかにも大和撫子なタイプじゃない。だから、誤解してた。ああいう人はタイプじゃないって思ってたんだもん」
謝ってくる彼女に僕は「後で連絡をしておきますから」となだめる。
彼女が悪いわけではない、ただの誤解なのだから。
「それにしても蔵ちゃんって女の子の見る目、変わったりした?」
「人は見た目だけではありませんよ、愛奈さん」
「そーかもしれないけど、ああいう美人は気を付けた方がいいよ。絶対に言い切れることがあるの。蔵ちゃん、気をつけて」
「言い切れること?」
僕が尋ね返すと彼女は含みを持った言い方をした。
「――あの人には悪魔的な一面がありそうだもの」
悪魔、か……それはどうなのだろう?
僕はまだ彼女と知り合って間もない。
付き合いの浅さから断言などできないが、何も問題はないと思っていた。
「――悪魔的な彼女、ですか。それはそれで面白いかもしれませんね」