第3話 「奉行様と町へ出たら、注目されすぎました」
奉行所の門の前で、私は固まっていた。
「……どうした」
**九条 朔夜**様が、不思議そうに首を傾げる。
「い、いえ……その……」
視線が、彼の服装に釘付けになっていた。
黒を基調とした着物。
帯は落ち着いた紫。
いつもの奉行装束よりも少し軽装で――
(……普通に、格好いい……)
「何か問題があるか」
「な、ないです!
むしろ……」
言葉を濁すと、朔夜様は一拍置いてから言った。
「……ならいい」
その耳が、うっすら赤い。
(今、照れましたよね!?)
⸻
町へ出ると、空気が一変した。
「奉行様だ……」
「え、隣の子……誰?」
「まさか……」
ひそひそと囁かれる声。
(あ、ああ……やっぱり……)
「……鈴」
「は、はい」
「近くにいろ」
そう言って、
私の手首をそっと掴む。
「――っ」
「人混みだ。
はぐれると困る」
(手、手……!)
握り方は控えめなのに、
存在感が強すぎる。
(これ……完全に、デートでは……?)
⸻
「次は、何を買う」
「ええと……お味噌と、野菜と……」
「団子は」
「え?」
「……好きだろう」
「……はい」
「……買う」
即決。
(奉行様、団子に優しすぎません?)
団子屋の前。
「二人前ください」
「奉行様!?」
「……足りないか」
「そ、そういう意味じゃ……」
店主が、にやにやと笑っている。
「お二人さん、新婚みたいだねぇ」
「――っ!?」
「違います!
まだ……その……!」
言い訳しようとする私の隣で。
「……否定はしない」
「奉行様!?」
さらりと言われて、頭が真っ白になる。
(い、いまの発言……
町中に聞こえましたよ!?)
⸻
買い物を終え、
川沿いの道を歩く。
「……疲れたか」
「だ、大丈夫です」
「……無理はするな」
そう言って、
さりげなく歩調を合わせてくれる。
(……優しい……)
「……鈴」
「はい」
「町に出るのは……嫌だったか」
「え?」
「視線が多い。
居心地が悪かったなら――」
「……違います」
私は、小さく首を振った。
「……奉行様と一緒なら、平気です」
「……そうか」
短く答えたその声が、
少しだけ柔らかかった。
「……また、来よう」
「……はい」
春風が、桜の花びらを運ぶ。
町の中で並んで歩くこの時間が、
少しずつ、
「当たり前」になっていく気がした。
奉行様との買い出しは、
いつの間にか――
小さなデートになっていたのだった。
翌朝。
奉行所の門をくぐった瞬間、
私は異変を察した。
「……おはようございます」
「……あ」
役人さんが、明らかに視線を逸らした。
(え、なにこの空気……)
「鈴」
**九条 朔夜**様が、
いつも通り落ち着いた声で呼ぶ。
……なのに。
「……奉行様」
「……奥方様?」
(奥方様!?)
「ち、違います!」
思わず声が裏返る。
「……?」
朔夜様が、首を傾げた。
(奉行様、何も知らない顔してる……)
⸻
町へ買い出しに出る途中。
「ねえねえ、あの人……」
「奉行様の……」
「昨日、手、繋いでたって!」
「団子、二人で分け合ったって!」
(情報が、盛られてる……!)
「……鈴」
「は、はい」
「何か言われているな」
「……気のせいです!」
「……そうか」
(そうか、じゃありません!)
⸻
奉行所に戻ると、
今度は役人さんたちがそわそわしていた。
「……奉行様」
年配の役人が、意を決したように声をかける。
「その……祝言は、いつ頃で?」
「――っ!?」
「……祝言?」
朔夜様が、真顔で聞き返す。
「……まだだ」
「……まだ、ということは」
「いずれ、だ」
(奉行様!?
肯定してません!?)
場の空気が、一気にざわつく。
⸻
「奉行様!」
私は思わず、袖を引いた。
「……どうした」
「……噂が、すごいことになってます……」
「……?」
「私たち……もう、町公認の夫婦みたいです……」
少し考え込んだ後。
「……不都合か」
「え?」
「噂が立つことで、
鈴が困るなら……対処する」
その声は、真剣だった。
(……あ)
「……でも」
私は、少し迷ってから言った。
「……奉行様と一緒だって思われるのは……
嫌じゃ、ないです」
「……」
沈黙。
「……なら、問題ない」
「え?」
「守るべき対象が、明確になる」
(そこ!?)
でも。
(……守るって、言ってくれた……)
⸻
その日の夜。
「……鈴」
「はい」
「……町の噂は、放っておく」
「……いいんですか?」
「……事実になる可能性がある」
「――っ!?」
顔が熱くなる。
「……冗談だ」
(冗談に聞こえません!)
「……だが」
少しだけ、声が柔らぐ。
「鈴が、俺の隣にいるのは……
悪くない」
それだけで、十分だった。
町で広がりすぎた噂は、
困ったけれど――
少しだけ、
未来を近づけてくれた気がした。




