第2話 「奉行様の弱点は、台所にありました」
奉行所の朝は、思ったよりも早い。
「……鈴、起きているか」
障子越しに聞こえる、低く落ち着いた声。
「は、はい!起きてます!」
実際は、今まさに布団から転げ落ちたところだった。
(奉行所、目覚まし鐘とか無いんだ……
奉行様直々の声で起こされるの、心臓に悪い……)
身支度を整えて部屋を出ると、
廊下の先に立っていたのは――
**九条 朔夜**様。
「……顔色が悪い」
「ね、寝不足です……」
「……そうか」
少し考え込むように顎に手を当てる。
(え、私の体調、そんな真剣に考えます?)
「朝餉は取れるか」
「え? あ……はい」
そう答えた途端、
朔夜様はなぜか、ほんの少しだけ表情を緩めた。
⸻
奉行所の台所。
広い。清潔。完璧。
……なのに。
「……味が、安定しない」
「え?」
机の上に並ぶのは、
見た目は美しいが、妙に沈黙を誘う料理たち。
一口食べて、私は思わず固まった。
(……しょっぱい)
「……奉行様」
「なんだ」
「これ……奉行様が?」
「そうだ」
(奉行様が!?)
「時間がある時は、自分で作る」
「え、ええと……」
どう言えばいい。
「……味付けが、少し……」
「……失敗か」
肩を落とす奉行様。
(落ち込むの早い!)
「い、いえ!
素材の味はすごくいいですし!」
「だが、鈴は箸が進んでいない」
「……ば、バレてる」
視線が鋭い。奉行様、観察眼が高すぎる。
「……町では、何を食べていた」
「だ、団子とか……煮物とか……」
「……そうか」
無言で立ち上がる朔夜様。
(え、怒らせた!?)
しかし彼は、私の前に立つと、
すっと頭を下げた。
「……教えてくれ」
「……へ?」
「料理。
お前の、好きな味を」
「――っ」
予想外すぎて、言葉が詰まる。
「……奉行様」
「鈴」
名前を呼ばれただけで、胸が跳ねた。
「……俺は、あやかしのことは分かる。
だが、人の暮らしは……まだ、分からない」
その声は、どこか弱々しかった。
(……この人)
奉行様なのに。
完璧そうなのに。
(……案外、独りだったのかもしれない)
「……じゃあ」
私は、そっと笑った。
「一緒に作りましょうか」
「……一緒に?」
「はい。
婚約者ですし」
その瞬間。
朔夜様の耳が、分かりやすく赤くなった。
「……善処する」
(してくれるんだ……!)
台所に並んで立つ、奉行様と町娘。
(……なんだか、変だけど)
(……悪くない)
奉行所の朝は、
こうして少しだけ、温かくなったのだった。
奉行所の台所に、朝の光が差し込む。
「……では、始めよう」
**九条 朔夜**様は、
真剣な表情で包丁を握っていた。
「ええと……奉行様」
「なんだ」
「その……もう少し力を抜いてください」
「力を?」
包丁を持つ手が、あやかし討伐でもするかのような構えだ。
(それ、敵を斬る時の気迫です……)
「……こうか」
「ち、違います!
もっと、こう……優しく……」
私は思い切って、朔夜様の手に触れた。
「――っ」
ぴくり、と肩が揺れる。
「……鈴」
「は、はい!?」
「……近い」
「す、すみません!」
慌てて手を離すと、
彼は少しだけ視線を逸らした。
「……だが、分かった」
その耳が、ほんのり赤い。
⸻
「次は、野菜を切ります」
「……了解した」
「奉行様、了解じゃなくて……」
「……分かった」
言い直すのが、ちょっと可愛い。
「……鈴」
「はい」
「これは……どうして涙が出る」
「それは玉葱です」
「……攻撃性が高いな」
(玉葱をあやかし扱いしないでください……)
「……目が痛い」
「大丈夫ですか!?
ちょっと目を閉じてください」
そっと、袖で目元を拭う。
距離、近い。
「……」
「……奉行様?」
「……この距離は、危険だな」
「え?」
「……いや、独り言だ」
(今、何て言いました!?)
⸻
「次は味付けです」
「……緊張する」
「奉行様、料理でそんな顔しないでください」
「……失敗したくない」
真剣な声。
「……鈴が食べるのだろう」
「――っ」
(それ、言います?)
「だ、大丈夫です。
失敗しても一緒に食べれば……」
「……一緒に」
また耳が赤い。
(この人、分かりやすすぎる……)
⸻
やがて、料理が完成した。
「……どうだ」
「いただきます」
一口。
「……おいしいです」
「……本当か」
「本当です!」
しばらくして。
「……また、作ろう」
「はい」
「……一緒に」
「……はい」
短い言葉なのに、
胸の奥が、じんわり温かくなる。
奉行所の台所で、
二人並んで作った料理は、
きっと――今までで一番、優しい味がした。




