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【超短編小説】台風ソフトクリーム

掲載日:2025/12/21

 換気扇の外蓋がバタバタと騒ぐ。

 台風が来ていた。

 アルミサッシの重たい窓も武者震いを止めない。街はエンドウ豆になった住民で静まり返っている。

 バスも、電車も、今夜は走らない。


 閉店間際のスーパーに駆け込んで買ったコロッケを温めながら、ビールにするかハイボールにするか決めかねていた。

 前回はどうしていたか、もう忘れてしまっている。ことし何回目の台風なのかも分からない。

 そう言えば最近の台風には名前が付いているらしい。英語名であまり馴染めず覚える気にもならないが、誰がどう言う理由で決めているんだろうか?

 むかし付き合っていた相手の名前とか?

 いや、熱帯低気圧になって消える事を考えたら嫌いな奴にするだろうか。

 


 魚焼きグリルの赤い光で温められるコロッケはどこか幸せそうな気がするなぁ、おれは明日も仕事なのにお前はいいなぁなどとボンヤリしながら冷蔵庫の缶ビールに手をかけた時だった。

 リビングでボンヤリとテレビを見ていた透き通るように白い肌に黒髪が似合う凛とした切れ長の目にやたらと長い睫毛が特徴的な隠れ秘密巨乳女──名を、那符田 凛と言う──が大きな声で

「石綿、天城越えしよう」

 と言い放った。

 おれはビールのプルタブにかかった指を止めたのを後悔した。


 不味いことになった。

 キッチンに佇む間抜けな男──おれ、つまり石綿 光空──はグリルの中でコロッケの衣が音を立てて焼けていくのを見ながら考えた。

 きっかけはテレビニュースで見た映像か何かだろう。そんな事はどうでもいい。

 問題は彼女が天城越えに本気である、と言うことだ。

 彼女は本気だ。冗談では無く、本気で天城越えをする気だ。

 温め直されたコロッケを放置してでも今すぐに行くと言うだろう。そうこうしている間に立ち上がって「さぁ行こう!」と明朗な声で言うかも知れない。

 少なくとも今夜中に越えたいと思っているのは確かだ。


 おれはまるで聞こえなかったフリを大皿に移したコロッケを持って「台風コロッケお待たせ」と言ったが、那符田凛はコロッケに興味を示しそうさなかった。

 そりゃそうだ。

 台風コロッケは単なるコロッケだ。

 古いインターネットミームで那符田凛の意志がどうにかなる訳がない。


 おれが台風コロッケにウスターソースを垂らしている間、那符田凛は何かを考えていたのか微動だにしなかった。

 早いとこ次の話題に移って天城越えの事なんか忘れて欲しいと思いながら千切りキャベツに箸が伸びた瞬間、那符田凛はやおら立ち上がると

「行こう」

 とだけ言った。


 諦めたおれは、せめてもの抵抗としてキャベツを食べて、芋っぽい食感のコロッケを半分ほど飲み込んだが、従順な事にビールは諦めて那符田凛の吸い込まれそうな黒い目を見ながら言った。

「天城越えも良いけれど、まずはそのタンクトップの下にブラジャーを装着する、と言うのはどう?」

 ついでにホットパンツの下にも何かを穿いた方がいいね。

 ノーパンノーブラを指摘された那符田凛は、おれを睨み付けるとタンクトップとホットパンツを脱ぎ捨てた。


 コロッケを水で流し込みながら、目の前に現れた二つの丘陵を見つめた。いや、正確には茂みのない丘も含めて三つだ。

 そしておれが見つめていたのは連なる二つの丘陵、その頂点に君臨するものだ。

 しかしそれはカラス避けの目玉の様でもあり、夜空に浮かぶ月の様でもあり、人生と言う深淵の様でもあった。

 つまりそいつもおれを見つめている。


 ガリ、と言う音で意識が戻った。

 那符田凛がコロッケの衣を噛み砕いた音だった。

「台風わさびソフトと言うのは流行らないものかね」

 那符田凛は笑った。

 その目は早く行こう、車を出せと言っている。



 激しく叩きつける雨風の中、おれと那符田凛は真っ暗な小屋のカウンターに立っていた。

 長い道のりだった。

 法定速度以下で走り続ける間、那符田凛が帰ろうと言い出さなかったのは良い事だ。

 途中のコンビニで買ったソフトクリームは、那符田凛の手の中で傾いていた。

「濡れちゃったな」

 白いソフトクリームが溶けて那符田凛の指を汚していく。適当に塗りつけたワサビも同じように流れていきそうだった。


 那符田凛の白い肌に張り付いて同化しているTシャツ越しに、ほぼ紐みたいなブラジャーが見えている。

 おれは那符田凛が台風わさびソフトに飽きて「早く帰ろう」と言われるのを待っていた。

 どこか適当なホテルで風呂に入りたい。


 那符田凛が首筋に垂れた雨粒を気にしている。

 おれはその那符田凛の乳首しか隠れていない紐ブラを見ていると勃起しそうなので、背を向けてタバコに火をつけた。

 おれの首筋にも何か垂れた様な気がして手を遣ると、やけにベタベタとした。

「血か」

 那符田凛がおれの頭を齧ったのだ。

「脳みそが溢れないかな」

 振り向いて那符田凛に尋ねると、彼女は笑って

「それほど詰まっていないだろう」

 と言った。

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