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真実は、紅茶とともに

 リディアは、言われるがままカップの取っ手に指を添えた。


 口元に浮かべた笑みは変わらない。けれど、その瞳の奥に走ったわずかな揺らぎを、アネットは見逃さなかった。


 それもそのはずだった。犬猿の仲だったはずの姉が、唐突に紅茶を手ずから運んできたのだ。あのリディアでも、多少なりとも警戒心を抱くのは当然のことだろう。


 もっとも、それにしては対応が早すぎた。わずかに警戒した素振りを見せたあとは、すぐに笑顔を作り直し、涼しい顔で紅茶を口に運ぶ。


 喉を通った紅茶は、 傍から見たら見た目どおりのものだ。だが、その一滴に何があるかなんて誰も見抜けはしない。


 ましてや、それが真実を暴く薬だと誰が思うだろうか。


 リディアは、何事もなかったかのようにカップをソーサーに戻し、周囲の令嬢たちに気を配るそぶりすら見せている。その余裕ぶった演技に、アネットは微かに唇をゆがめた。


 リディアの笑顔が、ぴたりと止まる。


 セレナは、それを確認するように一度だけ瞬きをしてから、ゆっくりと口を開いた。


「皆さま、ご機嫌よう」


 さっきまで談笑していた令嬢たちが、次々とカップを手にしたまま動きを止め、視線をセレナに向ける。


 セレナは静かに呼吸を整えると、庭園の中央で立ち上がった。テーブル越しに、リディアと真正面から向き合うようにして。


「今日は、この場をお借りして……皆さまに一つ、確認したいことがございます」


 その声に、リディアが眉を寄せた。けれど、どこか落ち着かない。視線が何度も泳いでいた。


「……お姉さま? いきなり、どういう……」


 言葉の途中で、リディアの表情が不自然に止まった。


 胸のあたりを押さえるように、手がゆっくりと動く。


「……あれ……? なに……これ……」


 小さく漏らした声に、セレナはわずかに目を細めた。


 リディアの瞳が揺れる。今まで取り繕っていた笑顔に本性が滲み始めていた。


「……なんだか、身体が……あつ……くて……」


 顔を上げたリディアの目は、怯えと混乱に陥っていた。


 その瞬間、セレナははっきりと告げる。


「それは“真実薬”の効果です。一定時間、嘘がつけなくなるものです。……あなたがさっき飲んだ紅茶に、仕込ませていただきました」


 庭園が、凍りついたように静まり返った。


 誰かが、小さく息を呑む。


 リディアは、まるで自分の体が自分でなくなったかのように、首を横に振った。


「う、うそよ……そんなの、きいてな……」


 自分でも口に出す言葉を制御できていないように、リディアはどこか震えていた。



「……私は、カイル様のことが好きでした。ずっとずっと……でも、あの人は私を“妹”としか見てくれなくて……悔しかった」


 まるで、抑えきれずにこぼれ出すように、言葉が続いていく。


「だから……お姉さまの評判を少しだけ落とせば、もしかしたら、って……思ったの」


 アネットは、紅茶の冷めた香りが鼻先をかすめるのを感じながら、静かに目を細めた。


 愚かで、浅はかで、そしてよくある話だった。


 リディアの言葉はどれも浅ましいものばかりだったがそれでも、確かに“真実”だった。


 そして間違いなく――今、彼女は詰んだ


 リディア・ヴァルシュタインは、自らの口でその罪を語ったのだ。

 

 アネットは、口元にだけ薄く笑みを浮かべた。


 立ち上がり、静かにセレナの背後へまわる。

 耳元に顔を寄せ、短く囁く。


「お疲れ、セレナ。あとは任せて」


 それだけ告げて、アネットは前に出た。

 ここから先は、自分の役目だ。


 そして次の瞬間。


「うっそでしょリディア嬢、今の、ぜーんぶ本音ってこと!? やだ〜、こっわ!」


 どこか甲高く、場違いなほど明るい声が響いた。


 皆が一斉に振り返る。


「ほんっとにびっくりしたわ。まさかこの場で“真実薬ドッキリ”をお見舞いされるなんて、私、鳥肌立っちゃった!」


 その言い回しは軽妙だった。


「でもさすがにこれは、社交界の歴史に残る名場面じゃない? “名家の令嬢が、自作自演で姉を陥れて婚約破棄に追い込んだ事件”なんて、今夜の噂話はそれ一色でしょうねえ」


 令嬢たちが気まずそうに目を逸らすなか、一人、勇気を出して言った。


「……あの、じゃあ、セレナ様は本当に何も……?」


 それに対し、アネットは即座に、言葉の隙間に滑り込ませた。


「何もしてないどころか、私の知る限りじゃ一度たりともリディア嬢を悪く言ったこともないわ。むしろずーっと庇ってた。馬車の事故のときも、舞踏会の件も、全部ね」


「そ、そんな……」


 令嬢の一人が、口元を押さえる。


 アネットは一拍置いて、ゆっくりとリディアの方へ目を向けた。


「ねえリディア嬢、今、ちょっとでも“弁明しなきゃ”って考えたでしょ? 残念、それ、真実薬が効いてるから、無理なのよ」


 リディアは、顔を伏せたまま肩を震わせていた。もう、逃げ場などどこにもない。


「……酷い話だわ、全く」


 ぽつりと、誰かがつぶやいた。それはリディアに向けられた言葉だった。


「“姉の婚約者が欲しい”ってだけで、ここまでする? それも全部、嘘で塗り固めて……」


 周囲の令嬢たちが、互いに視線を交わし始める。明らかに空気が変わっていた。


 その中心で、アネット・シュトレインは涼しい顔で一歩前へ出る。


「うんうん、ほんとに驚きだわ。まさか“姉の婚約者が欲しい”ってだけでここまでの大仕事をやってのけるなんて、私、感動すらしてきたわ」


 掌を合わせてうっとりと見上げてみせる。わざとらしい演技に、数人の令嬢たちがくすくすと笑い始めた。


 そこから先のアネットは、もはや完全に“暴走モード”だった。


 ついでと言わんばかりに個人的なストレスまで

 盛大に吐き出していく。


「そういえばリディア嬢、この前の舞踏会で他人のドレスを“わざと踏んだ”って噂、本人が否定してたけど――あれも本当だったりするのかしら?」


 わざとらしい問いに、リディアの肩がびくりと震える。


「まあまあ、答えなくていいわよ。答えたら“本音”になっちゃうものね。……あら、答えないの? じゃあつまり“はい”ってことね」


 にっこりと微笑むその横顔に、もはや情けはなかった。

 社交界でもここまで洗練された公開処刑はない――と令嬢たちがざわめくほどに。


 そして――あの日を境に、リディア・ヴァルシュタインの姿を社交の場で見かけることは、ぱたりと途絶えた。

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