笑顔の下で待つ者
翌日――。
銀のティースプーンがカップの内側をかすめる音が、そこかしこから微かに聞こえる。
伯爵家主催の茶会は、今日も相変わらず華やかだった。ひらひらと舞うレース、ほのかに漂う香水の香り、笑顔の裏に何かがあるようは令嬢たちの会話。
その賑やかさの輪から少し離れた席で、アネットは紅茶を口に運びながら周囲を見渡した。
セレナの姿は、どこにも見当たらなかった。
来るとは言っていなかった。けれど、昨日あれだけ話したのだ。きっと来ると、いや、来るべきだと――アネットは、どこかで信じていたのかもしれない。
いつも通りの丁寧な所作で一礼し、周囲に柔らかな笑みを向ける。だが、そのすぐ後ろに、姉の姿はなかった。
一人で来た――ということなのだろう。
アネットはカップを置き、背もたれに軽く身を預ける。
何が起きるのか、あるいは、何も起きないまま終わるのか。いずれにせよ、今日は“決着の場”になるはずだった。
視線の先でリディアが誰かに呼ばれ、小さく頭を下げて笑っていた。
その様子を見つめながら、アネットは唇を引き結んだ。
リディアは、よく通る甘い声で応対を続けていた。少しも動じた様子はない。優雅な微笑を絶やさず、まるで“何もなかった”かのように振る舞っている。
アネットは、その様子に内心で小さく舌打ちした。
――よくもまあ、ぬけぬけと。
腹の底に溜まっていたわだかまりが、じわじわと込み上げていく。けれど、それを顔に出すほどアネットは未熟ではない。
(セレナ、来なさいよ。あとはあなた次第なんだから)
と、そのときだった。
会場の空気が、わずかに揺れた。何人かの令嬢たちが視線を同じ方向に向け、ささやき合う声が聞こえてきた。
「えっ……あれ、ヴァルシュタイン家の……」
アネットも思わずそちらへ顔を向けた。
入ってきたのは、薄紅色のドレスをまとったセレナだった。華やかではないが、どこか凛とした気配があった。背筋をまっすぐに伸ばし、視線を逸らさず、堂々とした歩みで会場を進んでくる。その手には、小ぶりなティーカップの乗った銀の盆が一つ。
足取りは安定していて、手元も揺れていない。無駄な装飾のない身なりと、無表情に近いその顔つきが、かえって周囲の視線を引きつけていた。
ほどなくしてリディアがセレナに気づき、瞬きのあとに微笑を浮かべた。
「……お姉さま? どうしたの、こんな場所で」
その声に、取り巻きの令嬢たちも一斉にセレナへと視線を向けた。
セレナは答えず、リディアの前まで進み出る。そして、ごく簡潔に言った。
「まだ紅茶を飲んでいなかったでしょう?」
そう言って、盆をそっと差し出した。
一拍の沈黙。リディアが笑顔のまま、その意味を計るように目を細める。
「まあ、ありがとう。お姉さまが淹れてくれるなんて、めずらしいわね」
リディアはそう言ってティーカップを受け取った。
その手に、わずかな戸惑いの動きが見えたが、すぐに取り繕うように笑みを出す。
周囲には、ただ姉妹のささやかなやり取りに見えたかもしれない。
けれど、アネットには違って見えた。
これは“仕掛け”だ。セレナが、自分の意志で一歩踏み出した証拠でもあった。
あとは、その紅茶が、どう口を開くかだけだった。