真実を呑む覚悟
「“本当のこと”を、言えばよかったのよ」
セレナの肩がぴくりと揺れる。
「でも、そんなの……。誰にも届かなかったら、ただの独りよがりよ。今更、実は違いましたって言って、何になるの?」
かすれた声でそう言ったセレナは、まるで自分を責めるように唇を噛んだ。
「あなたが黙っていたら、妹が増長するだけよ」
アネットの言葉は、セレナの胸に突き刺さる。けれど、それでも彼女はうつむいたまま、かすかに首を振った。
「……それでも、あの子は、私の妹なのよ」
震える声には、情と葛藤が混じっていた。裏切られ、侮られ、それでも見捨てきれない――セレナの中にあるのは、姉としての最後の矜持なのか、それとも単なる諦めなのか。
アネットはため息をつくと、椅子の背にもたれた。
「家族だからって、すべてを許す必要なんてないわ。許すって、何もかも受け入れることじゃない。ちゃんと“間違ってる”って言ったうえで、それでもなお――それでもなお手を伸ばすのが、姉妹なんじゃないの?」
セレナはゆっくりとまばたきをし、視線を落としたまま、唇を結ぶ。
「……でも、私が何かを言えば、リディアは――きっともっと傷つく」
「そうね。きっと傷つくわ」
アネットは続けて話す。
「でもそれは、誰かを傷つけた責任を取るってことよ。自分のついた嘘がどれだけ重かったのか、初めて知る機会になるわ」
紅茶の湯気はとうに消え、カップの中の液面が、静かに揺れていた。
「……けれど、リディアが本当に反省すると思う? 自分から認めるなんて、あの子には無理よ」
セレナが絞り出すように言ったその声は、どこか悲しげで、同時に姉としての無力感をにじませていた。
アネットは一瞬、目を伏せたまま小さく息を吐く。
「……だから、あんたの代わりに、私が用意したの」
「え?」
セレナが顔を上げる。アネットは静かに立ち上がり、脇の小ぶりな鞄から、掌に収まるほどの銀細工の小瓶を取り出した。
「これ、見覚えある?」
「……それって」
「ええ、“真実薬”よ」
アネットは言いながら、瓶をセレナの前にそっと置く。
「これを少量、紅茶に混ぜればいい。飲んだ人間は、少なくとも十五分、嘘をつけなくなる」
セレナの喉が、ごくりと鳴った。
「そんなもの……いつの間に……」
「例の薬師に依頼したの。半信半疑だったけど、昨日、自分で試したわ。部屋で一人で。あなたの妹について、何か“賞賛”しようとしたの。例えば“リディア嬢は、心優しくて礼儀正しい”とか、“いつも姉思いで健気だ”とか……」
そこまで語ったアネットは、カップのふちを指先でなぞりながら、わずかに肩をすくめた。
「……でもね、いざ口にしようとした瞬間、喉が詰まったのよ。咳でも出るかと思ったわ。『それは流石にキツくて無理』って、私の口が言ったのよ。薬の効果か、私の良心か……まあ、両方でしょうね」
アネットはカップを持ち上げて、小さく笑う。
セレナは、ぽかんとした表情でアネットを見つめていた。冗談とも本気ともつかないその語り口に、ほんのわずかに口元が緩む。
「……それ、どこまでが本当なの?」
「さあ? 試してみる?」
アネットはカップをソーサーに戻し、からかうように片眉を上げて見せた。
「一度貼られたレッテルは簡単には剥がれない。……だったら、少しばかり強引な手段でも使って、真実を引きずり出すしかないでしょ」
部屋の中に、しんとした静寂が満ちる。
セレナは真実薬の瓶を見つめたまま、ぴくりとも動かなかった。
アネットはそんな彼女をじっと見つめながら、ふ、と小さく笑った。
「……まあ、決めるのはあなたよ。私が無理やり飲ませるわけじゃないし、焚き付けるのは任せて頂戴」
「明日の茶会、リディア嬢も来るんでしょ? 奇遇ね。私もちょうど、その時間に用事があるのよね。偶然」
セレナは目を細めた。
「……偶然、ね」
アネットはすました顔でティーカップをソーサーに戻しながら、いたずらを仕掛ける子どものように口角を上げた。
「そう、偶然。偶然って、ときどき都合が良すぎるくらい重なるものよね」
「……あなたがそういう調子で来るってことは、本気でやるって事なのね」
「さあ、どうかしら?」
アネットは立ち上がり、手提げの鞄を肩にかけると、ふと振り返った。
「けど、本当のところを言うと――あなたが何も言わないなら、私が代わりに言ってもいいと思ってるわ。真実って、あんまり長く寝かせておくと、腐るから」
セレナはその言葉に、ぴたりと指を止めた。
そして、静かに――けれど確かに、うなずいた。
「……明日、考えるわ」
「いい返事ね。任せたわ、私の親友」
ドアノブに手をかけたアネットは、ふと立ち止まり、肩越しに振り返った。
「セレナ。後悔しない選択をしてね。――たとえ誰かの心を傷つける結果になったとしても、自分の尊厳だけは、守りなさい」
それだけを告げると、アネットは音も立てずにドアを開け、部屋を後にした。
――これだけ後押ししたんだからね。頼むわよ。
アネットは小さく笑みを浮かべ、踵を返して歩き出した。