1―2.時計塔の人影
「――時計塔の長針に、人が立っていたんです」
レガリス学園の設計は、かの有名な建築士ガスパルが行った。
ガスパルの代表作で、レガリス学園の他に有名な建築物がある。それが、学園から徒歩圏内に建てられた時計塔だ。皇都レガリスのどこからめも見ることができると言われており、ガスパルは塔の設計から時計の文字盤のデザインにまで携わったと言われている。
アリアンの言葉に、エマは眉を顰めた。
「長針の、上?……時計の長針の上に人が立っていたというの?」
ガスパルの建てた時計塔の文字盤は人二人分をゆうに超える。
そんな時計の長針もまた、当たり前ではあるが普通の時計とは比べ物にはならない程長いだろう。しかし、人が立つことは出来るのだろうか?
エマの信じられないという声に、アリアンは自信をなくしたように俯きながら小さく頷いた。
「はい……人影が見えたんですけど……やっぱり、信じられませんよね」
アリアンのそんな姿に居た堪れなくなったエマは咄嗟に謝った。
「ごめんなさい。あなたの話を信じるわ。だから、詳しく話してくれる?」
エマが優しくそう言うと、アリアンは少し自信を取り戻したようだった。やや躊躇っているものの、アリアンは時計塔の人影についてを語りはじめた。
「昨日、夜中に目を覚ましてしまったんです……何となく夜風に当たりたくなって、同室者を起こさないように気をつけながら部屋を出たんです。それから寮を出て、何時か確認するために時計塔を見たんです。そしたら……」
幽霊ではなくとも、アリアンにとっては怖いものは怖いらしい。やや強張った顔でアリアンは続けた。
「文字盤に人影が見えたんです。寝ぼけてるのかな、と思ったのですけど、確かに文字盤に人影が浮かび上がってました。それで目を凝らしたら、長針に立っているのが見えて……」
「それをエリザベトは幽霊だと言ったのね」
「そうなのです!ゆ、ゆゆ幽霊だなんて……聞くだけでもおぞましい」
(……やっぱり、幽霊ではないみたいね)
アリアンという少女は、ひどく幽霊や未知のものを恐れる。幽霊と言っただけで涙を浮かべるし、誰もいない部屋で物音でもすれば失神するほどだ。そんなアリアンが、幽霊でも観たのではとあしらわれたことに怒りを覚えて入るものの、怯えてはいない。それはつまり、信じられないながらにも針の上に立っていたのが人だと確信しているからだろう。
「では聞くけど、どうしてあなたは幽れ……人だと思ったの?」
「それは……ぼやけて見えたからです」
幽霊であればたとえ遠くに見えたとしても輪郭を辿ることができるが、人であればそうはいかない。
アリアンの持論ではあるが、大抵の場合当たっている。まあ、その判別方法をした時に幽霊などではなく人であったという経験則だが。
(……正直なところ、私は幽霊など信じていないけれどね)
「……なるほど。因みに、それは何時のことだったの?」
「えっと……それが、よく覚えていなくて……」
(まあ、時刻どころではないわよね)
それほど期待はしていなかったが、アリアンは必死に記憶を手繰っているようだ。
「でも、長針が指してたのは四十五分、だったような気がします。寮は九時消灯ですが、零時は過ぎていたような……」
「それだけわかれば十分だわ!ありがとう。それでは、あなたはこの件どうしたい?」
エマが問いかけると、アリアンは少し考えてから言った。
「エリザベトさんに訂正させたいです!紛れもなく人の仕業であったと」
◇◆◇
「それでお嬢様は、当然のように長針の上に立っていたという人について調べるということですか」
「ええ、……悪い?」
放課後、エマはオリヴァーを連れて時計塔へ向かおうとしていた。
「いえ。お嬢様は気になることがあれば止まれない性格ですからね。気にしておりません」
「何か含んでない?褒められてると受け取っていいのかしら」
「ええ、褒めております」
「……あなただけよ。そうやって私を子供みたいに扱うのは。そういえばあなた、今何歳だったかしら?」
「今年でちょうど三十になります」
「ということは今は二十九歳よね。私より十以上年上だけれど、だからって子供扱いしないでよね」
「子供扱いではありません。お嬢様はお嬢様ですから。それから、今更態度を変えることなど出来かねます」
「……まあ良いけど」
オリヴァーとそんな事を話しているうちに、時計塔まで辿り着いた。
学園から見る時計塔は時刻を見るのにちょうどいいが、間近で見ると見上げるほど高い。
「結構高さがあるわね」
「時計塔のおかげで皇都では時刻が分からなくなることはないと言われるくらいですからね」
この高さで、長針に立つのは中々に怖いような気がするのだが……
「取り敢えず、中に入りましょう」
「はい」
時計塔は皇都のシンボルでもあり、人気の観光地でもある。時計塔の内部は一年中開放されており、自由に入ることができる。
見張りの騎士に一礼し、エマたちは時計塔へと足を踏み入れた。
螺旋状の階段を、足が重くなるほど上ると、そこは一つの部屋だった。
薄暗く湿っぽさを感じるが、観光地なだけあって手入れは行き届いている。床の隅にもほこり一つないのが見て取れる。
「特に何もないわね……って、何をしているの」
床に膝をついたオリヴァーがガタガタと音を立てているので、何かと思えば壁に向かって何かをしていた。
「壁に紛れて収納庫があるようでして」
オリヴァーに手で示された辺りを見ると、そこだけ壁が無くなっていた。
「ちょっと、勝手に何をしているのよ」
そう言いながら、エマは覗き込む。
壁が無くなっている所だけ、壁を取外す事が出来るようだ。
そしてそこには、何かが入っているようで……
「トランプ……?」
「……のようですね」
「時計塔の中でトランプをするような人なんているのかしら?」
おおよそ、時計塔に置いてあるものとは思えない。
「怪しいわね。どうする?ここで待つ?」
「それは危険ではないでしょうか。何時になるかもわかりませんし」
「まあ、それもそうね」
「はい。ですので、一度、お屋敷に帰られた方がよろしいかと」
「ええ、そうね。それじゃあ、帰りましょう」
エマは踵を返し、階段を降り始めた。しかし、後から足音が聞こえず、後ろを振り返った。
「?何かあったの」
エマが視線を向けた時、オリヴァーは相変わらず床に膝をついたままだった。
「いえ……気の所為なら良いのですが……」
オリヴァーは自分の指を見つめながら難しい顔をして何やら呟いたようだったが、エマの耳には届かなかった。